昨日の小保方さんの会見、ドクター・ストップにも関わらず長時間闘い続けた姿は、可憐ながらも勇敢であり、事の真偽はどうあれ、素敵だと思いました。

私も、一時、科学を志した者としては、真理の探究が最も大きな関心事であり、論文作成の作法は二の次であります。だから、こんな俗世の手続きが不備であったということをとやかく言っている暇があったら、彼女に再現実験を行う場を提供して、さらなるデータを提示する機会を与えるべきではないかと思います。そうしない理研という所は、本当に研究機関なのかと疑ってしまいます。科学的真理の探求よりも、体面とか賠償責任の所在の方が大切なのだろうと思います。

実際問題、自分の職場の人間がこのような大きな発見をしたと言い出したら、「嘘だろ?」とか疑わなくても、「えー!スゴイね!どれどれ」と、実験データを見たくなるのが人情だと思います。生物学の研究に携わっていながら、そうしなかった周りの研究者たちの気持ちがわからない。ていうか、共著者とか指導者は昨日、何してたんだ?

小保方さんの論文は不備があったのでしょうけど、そういう可能性が予想されるがゆえの共著者とか指導者なわけでしょう?借用書だったら連帯保証人でしょう?なんで、小保方さんだけ矢面に立たされるのか?この人たちが理研の中で手伝っていたのなら、理研も連帯責任があるということにならないのか?マスコミ等が理研を批判しないのは何か理由があるんでしょうけど、道義的責任が全くないように振る舞っていることが今回一番頭に来ています。

突然周囲から離反され、最終的な責任を取らされた石田三成。作法を教える立場であった吉良上野介から指導を受けることができずに恥をかかされた浅野内匠頭。自分が発見した研究成果を真理探求とは別の事情で撤回するように迫られたガリレオ・カリレイ。可憐に勇敢に国のために闘いながらも魔女として処刑されたジャンヌ・ダルク。

いろんな不遇な人物たちが頭に浮かんでくるのですが、彼女に再び割烹着を着させて再現実験の機会を与えることができないのであれば、中世のヨーロッパと何ら変わらないのではないかと思います。