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「青春」とは若い時ばかりを言うのではない!みたいな言葉があったような気がします。年を取ってても気持ちが若ければ青春なんだ!というような。ただ、気持ちの若さにこだわるのは、やはりそれなりの年齢の裏返しだろうとは思いますが。

同じことは「年寄り」という言葉にも言えるかもしれません。年齢に関係なく、気持ちが年寄りだという人もいます。これよりは気持ちだけでも若い方がいいですけどね。

高齢者と言っても今の人たちは、私の祖母の世代と比べたら随分若いです。身心ともに。それでも体の基本的な活動が緩やかになっていきますから、日常的なちょっとした筋肉痛や関節痛も回復に時間がかかるようになります。ひとつが治りきらないうちに別な箇所が痛んできたりする。

ここで、この痛みをどう捉えるかが重要だと思います。もちろん、まずは医師の診断をお薦めします。ひと通りの診察・検査が済んで、内臓からきているとか、手術が必要だとか、そういう診断ではなかった場合、適度な運動が一番いいはずなのです。

そこで、「少しずつでも体を動かしていこう!」という気持ちになれるかどうか。ここが、「老いても青春」となれるか、「それほどでもないのに老けてる人」になってしまうかの分かれ目です。

私もほとんど全てのお客様に運動をお薦めしています。大抵の方は運動の必要性を知っていて、しかもどんな運動が自分に必要かも知っています。テレビや講習会などで教わる機会が多いのですね。でも、なかなかできない。

それでもやろうとする人はいいのです。三日坊主であろうと、忘れたころにテレビや講習会や私に言われたりして思い出して、その都度やれば、それなりの効果は期待できます。

一番問題なのは、痛みの原因が何であろうと、痛みがある限り絶対に運動してはいけないのだ!という信念をお持ちの方がまだいらっしゃることです。少しだけ運動して「ますます痛み(筋肉痛)がひどくなった」とか「息がハアハアなった」とかおっしゃいます。

「それだけ筋肉や心臓や肺が衰えているということなんですよ。」と言っても、「だから鍛えよう!」という発想はなくて、「だから休まなくてはいけない」という方向にいってしまいます。

こういう人は、薬をたくさん処方してもらうのを好む人が多いです。友達と薬を比べて、自分の方が数が多いとか、自分の薬の方が強い薬だと言って自慢(?)します。

医師が「心配要らないですよ」と言うと、きっと自分は簡単には見つからない恐ろしい病気に罹ってしまったと思いこんで、さらに大きな病院、さらに遠くの有名な病院を受診したがります。やはり「心配要らないですよ」と言われると落胆し、さらに心配を重ねます。

「若年寄」という、若いのか年寄りなのか分からない役職名が江戸時代にあったそうですが、まだ若いのに年寄りみたいな「若年寄」より、年寄りなのに身心とも若い「若年寄」の方が断然いいですよね。

是非、後者を目指して下さい。