例えば昔ほど足腰を鍛えなくても遠くに旅行することができるようになりました。自分で何百キロも走らなくてもよくなったから。しかしながら、ある程度は鍛えないと基本的な健康の維持すらおぼつかないことが最近わかってきました。運動不足がひどくなったということですが、これと同じ鍛錬不足が精神面でも言えるのではないでしょうか?

科学という第三者的手法でもたらされた技術革新は、一人称の部分を(よく言えば)解放しました。少なくとも文明国では、どんな一人称でも快適に暮らせる環境がかなりの程度できあがったと言えるかもしれません。でも逆に言うと、一人称を磨く必要性を感じさせない環境が整ったとも言えます。

磨かれない一人称の退廃ぶりは目覚ましく、第三者的手法(科学技術)の進歩ではカバーしきれなくなってきたのが現状だと思います。ストレス社会とか、うつ病の増加とか、満たされない人々の増加がその表れです。

第三者的手法の進歩が無かった時代から開発されてきた、一人称を磨くノウハウが仏教の中にあります。この章では、それが大まかに紹介されているという感じですね。

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チベット問題に関して、日本のお坊さんも勇気ある声明を発表されました。東日本ではご覧になっていない方が多いと思いますので、是非ご覧ください。福田総理とは大違いです。