トトガノート

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Tag:金剛界曼荼羅

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禅寺に行って座禅というのは何度か経験があります。座禅している間は何も考えずに、と言っても何か自然に頭に浮かんでくることもあるでしょうから、それは敢えて打ち消さずしかし追いかけることもせずに…というようなことを言われます。

それが「無」ということか…と何となく納得していたのですが、それでいいのかなあと最近思います。

これは、教材を与えずに自習をさせるようなものじゃないだろうか?と。勉強熱心な高校生や大学生ならばいいかもしれない。「座禅をしたい」というやる気はあるものの、小学生級の初心者ならば何か教材があった方が親切なのではないだろうか。

こんなふうに思うようになったのは、高野山(真言宗)での阿字観のレポートを読んだからかもしれません。写経や写仏をして仏さまのイメージを頭(心?)の中に抱きながらの瞑想の方がいいんじゃないかな…と思うのです。阿字観は経験がないから余り強くは言えないのですが。

例えば仏さまのイメージについて言えば、真言宗では多くの如来,菩薩,明王,諸天をまつっているのが特徴だと思います。お勤めの中に「十三仏真言」というのがありますから、お勤めをしていれば少なくとも13の仏さまはすぐに頭に浮かぶはず。金剛界曼荼羅に描かれている姿を数えれば千を超えます。イメージする材料には事欠かない。

あらゆる大きさ、あらゆる向きのベクトルをすべて集めて合成したら何になるか?答えは零ベクトルです。無限に多くのものを集めると「無」になる。多くのことを積み重ねた、有の究極としての無こそが望ましいのではないかと思います。

何も積み重ねのないところでの無は、ただ空っぽなだけで仏教的な意味での「無」とか「空」ではないと思うし、仏教以外の視点に立っても意味を見つけることはむずかしいのではないだろうか。
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第四章第四節の「両部曼荼羅」を読みました。

金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅について説明してあります。前者は金剛頂経、後者は大日経の内容を図示したものということです。お経の内容と照らし合わせていくのも一興だと思いますが、今のところは図の構成を追うのがやっとです。

仏教芸術ということになるのでしょうが、LSI(電子回路)設計のときに描いたブロック図を思い出しました。設計仕様をもれなく盛り込むために、全てを一望できる図としてまとめるものです。全ての内容をイメージとして頭の中にしまいこむには、こういう方法が有効です。大切なお経の内容を頭の中に取り込もうという執念のようなものを感じます。

金剛界曼荼羅には、向上門(成仏の流れ)と向下門(仏が化他に出る流れ)があって、俗な言い方をすると双六のようでもある。エンジニアとして見れば、これはフローチャートですね。

現代のことにも応用できるテクニックが密教の中に含まれているように思いました。真言密教はいろいろな意味で盛り沢山な内容です。

《つづく》
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