トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:金

うちの次女は御褒美を目の前に下げられると途端に頑張ります。ホウレン草を食べたポパイみたいに(分かりにくいか?)豹変します。歯医者に行っても痛くない!公文の宿題もいっぱいやる!お手伝いは何でもやる!

飴つぶ一個でそんなに頑張れるのか?と感心することも。でも、一般に、子どもにはそういう傾向があるようです。

犬の学校でも、指示通りの行動ができると、御褒美としてほんのちょっとだけおいしい餌を与えるのだそうで、やはり子どもは人間と動物の中間みたいなもんだな…と納得したりもします。そして、動物から人間に近づけていくのが教育だとしたら、勉強させるのに物で釣るのはどうなんだ?という疑問が湧いてきます。

物が全てではない、金が全てではない、お金では買えないものがこの世では一番大切なんだ!子どもには小さいうちからそういうことに気づかせておかなければならない…。

以前、東大の大学院に息子を入れたというお父さんにお話を伺いました。勉強をさせるために、ファミコンのソフトを御褒美にして、頑張らせていたとのこと。物で釣るのも方法としてはアリなのかな、とずっと悩んできました。

動物的な御褒美ではなくて、子ども的な御褒美じゃなくて、何かもっと大人な御褒美って無いんだろうか!?

と心の中で叫んだ瞬間、じゃあ、大人は本当に目に見えない本当に大切なもののために働いているのか?という疑問が湧いてきました。

「国」という大切なもののために働いている政治家が何人いるのか?職を失いたくないために大切な情報を流さない学者が多いようだという現実も、この3月以降見えてきました。目に見える大切な物のために働いている人が、結局は全てを得てしまう現実があります。

地獄の沙汰も金しだい。金で買えない大切なものは確かにあるけど、大抵の物は金で買えるんじゃない?という現実。そして、「大人になる」とは「現実を見据えること」

ということで、おとなだって似たようなもんじゃないか?いや、もっとえげつないんじゃないか?という残念な結論に達しました。まあ、今も考え中です。
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ブログネタ
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2月7日の日本経済新聞、サイエンスの欄で、金(ゴールド)に関する記事を読みました。化学反応が起きにくい安定した金属ですが、ナノメートル(nm:ナノは10億分の1)単位の超微粒子になると、かなりラジカルなものに豹変するという話。

色も変わるというのが面白かった。直径50〜100nmで紫、20nmで濃い赤色、10nm以下では黄に近づくそうです。

例えば20nmで、なぜ赤く見えるかと言えば、金属の周りを巡る電子が振動し緑の光が吸収され、緑と「補色」の関係にある赤が強調されて見えるから…

この色の見え方の説明が良かった。初めて出くわしたわけではありませんが、今回はとっても示唆的に響いたのです。

赤い物が赤く見えるのはなぜか?緑の光を吸収するから。ここまでが科学の話。ここから先が「念中仏仏」です。

全く偏りのない光が、皆に平等に、降り注いでいる。しかし、緑に執着するモノは緑の光を放さない。故に、そのモノが発する(反射する)光には緑が欠落している。そのモノは偏った存在として見えることになる。つまり、赤いモノとして見えることになる。

全く偏りがない光とは、いわゆる白い光です。光の三原色(Red,Green,Blue)がバランス良く配合された色。全てを含む色。言うなれば「」の色です(「そら」と読まないでね)。

光の緑成分を蔽うと考えれば、客塵煩悩のようでもあります。執着を無くせば、偏りは無くなり、「空」の境地に近づく…これが、第一の教訓です。

赤いモノ、赤に偏っているモノとは、赤の成分が突出していると捉えるのが普通の見方です。だから、赤いモノを更生させるには、赤い成分を抑えてやろう、削ってやろう、妨げてやろう、と発想するのが普通です。

赤いモノを矯正するには、教育するには、救済するには、赤い成分を抑えることだ…。でも、これは、緑に執着していたモノに、さらに赤に対する執着をも植えつけることにはならないでしょうか?

煩悩を減らそうとして、実は煩悩を加えている

赤いモノには、赤を削るのではなくて、緑を補ってあげなければいけない。緑を補い、緑への渇望を癒し、執着を無くしてあげなければいけない。

これが第二の教訓。まあ、教育やカウンセリングの現場で応用するには、全く参考にならない、具体性の無い話ではありますが、例え話としては面白いんじゃないでしょうか。
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