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第12章「迷信の功罪」を読みました。

野獣はすべて火を恐れる中で、人間だけが火を支配下に置くことができました。

《以下引用》…恐怖がその心理学的な反応を妨げる壁とはならなかったという点で、原始人は、動物と決定的に違っていた。彼だけが、その壁を越えて進んでいける脳をもっていた。炎の支配に成功した後、彼は経験という限界の外側に、超自然的でしかあり得ないような起源を考え出し、その起源に現実的な人格を授けた。すなわち、つくりものではあるが強力な、新しい存在を創造し、怒りや憎しみ、嫉妬など、あらゆる人間的な感情をつけ加えたのである。これが最初の神だったかもしれない。《引用終わり》

この段階での神は完成されたものではないので、これを崇拝することも宗教とは呼び難く、迷信と呼ぶべきであるという内容です。動物から人間へ至る過程と同じように進化と適応の原則の下、迷信も進化したり適応してしまったりした中から、宗教と呼ぶべきものが誕生した…という考え方。

そしてこれまた、動物と人間との間に完全な一線を引いたように、迷信と宗教との間に一線を引いています。そして、この宗教とはキリスト教のみを指していることは間違いないようです。

でも、自分たちと他者とを完全に区別すること、自分たちの思想・信条が他者のそれとは完全に別物で、しかも自分たちの方が絶対的に優れていると信じることが危険であることに気付いていないようです。

その考え方を拡大していったときに、論理の上では矛盾が生じ、人間社会の中では軋轢が生じる。この本の著者は、そこまで気付かないレベルの人なのだろうか?

《つづく》