例えば、クラシック音楽のひとつひとつの旋律に意味を見つけることは難しい。解説を読んだり、実際に演奏するようになったり、実際に作曲をするようになったりすれば、ひとつひとつに意味があることは分かってくる。でも、作曲者も全ての人に全ての意味を分かってもらうことは想定していないだろう。

絵画もそうだと思う。文学もそうだと思う。要するに芸術とはそういうものだと思う。

最初は、よく分からないまま鑑賞する。作品に触れて、自分の感情を波立たせ、それを楽しむ。そして、それを繰り返すうちに、作品の細部に気づくことになり、そこから少しづつ「意味」に気づいていくのだと思う。その「意味」は、作者が託したものとは必ずしもイコールではない。

言語もそうなんじゃないか?と思った。

でも、大人は「意味」が分からなければ、言語を見聞きすることに「意味」が無いと決めつける。だから、ただただ言語を鑑賞することに我慢できない。そしてそれが言語習得の最大の障害になっているのではないか?と思った。

少し前までは、外国語を耳にするにはお金が必要でした。何らかの教材とかCDとかDVDを買わなければいけませんでした。でも、今はYouTube等を使えば簡単にいろいろな言語を聴くことができます。無料であれば、「意味」の無い鑑賞をするにも敷居が低いと言えます。

そんなわけで、YouTubeで英語の映像を見始めました。「意味」は分からなくても「意味」はある。だって、子供は意味が分からないのにひたすら聴き続けて、母国語を習得するのだから。

そんなふうに考えて映像を見ていると、なんだか面白い。

トトガメモgooより転載