トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:言葉

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悟りへの道 に参加中!
言葉…言の葉、葉っぱなんですね。

木を蔽い、春は若々しく、夏は青々と、秋は色とりどりに装う。

そして、綿帽子をかぶる頃には忽然と消えてしまう。

それが、葉っぱ。

実体のようでいて、実体ではない。

確かに輪郭を捉えてはいるけれど、決して幹の形を正確に伝えているわけではない。

むしろ幹を隠し、時として大げさに、時として慎ましく、

あるいは美しく、あるいは都合よく、あるいは醜く…

健気に真実を語ろうと用いられることも有れば、

邪に真実を蔽い、虚偽を取り繕うために用いられることもある。

しかし、どうあろうとも、葉っぱは葉っぱ。

幹にはなれない。

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気づき に参加中!
思い浮かべてごらん…

ここは「思い込み」の世界…

だから、みんな「思い込み」を持っていないといけない。


よりマシな「思い込み」を持つために、

より多くの「思い込み」を持つために、

人々は言葉を使って情報交換している。


「思い込み」とは、

分け隔てのないものを分け隔てること。

境い目のないものに境い目をつけること。

そして言葉とは、その境い目につけた名前。


だから言葉は、

「思い込み」をうまく伝えることができる。

「思い込み」をうまく言い表すことができる。


でも、どんなに言葉を費やしてみても、

「本当」を言い表すことはできない。


いや、言葉を積み上げれば積み上げるほど、

「本当」からはどんどん遠ざかってしまう。

《つづく》

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NHK に参加中!
NHKスペシャル「女と男」第二回(1月12日放送)を見ました。

病気に男女差があることがわかってきました。例えば、狭心症は冠動脈が狭くなってが起こるとされていますが、それはほとんどが男性で、女性の場合は心筋内の微小血管によって起きている。原因は閉経後にエストロゲンが減少するためと考えられています。

他にも、骨粗鬆症による骨折は女性が男性の4倍、過敏性腸症候群は女性が男性の2倍、慢性疲労症候群は女性の方が有病率が高い…などなど。

脳の違いも明らかになってきています。女性は14歳から海馬(記憶を司る)が、男性より大きくなります。男性は15歳から扁桃体(怖いとか好きとか嫌いという感情に関わる)が、女性より大きくなる。

これに由来するかどうかは不明ですが、脳に関する病気の男女差は…うつ病にかかる人は、13歳を過ぎると女性が多くなる。55歳以降、アルツハイマー病の発症リスクは女性が男性の2倍。自閉症の発症率は男性が2.5倍。

「話を聞かない男、地図が読めない女」という本が一時期流行りましたが、言い替えると、男性は空間認知力に優れ、女性は言葉に関する能力(Fで始まる単語を1分間に何個言えるか、といったテスト)が優れているということです。

宝探しのようなゲームをした場合、宝の在りかを方角と距離で指示(「北に何m、東に何m」という形式)すると、男性が圧倒的に強いそうです。ところが、具体的な指示(「○○の像のところを右」というような形式)を出すと、女性が圧倒的に成績が良くなる。

「女は地図が読めない」というのは、地図は方角と距離を中心に作成しているので、単に男性向けに作られた情報だからということなのではないか?この能力差は、人類が狩猟採集の生活をしていた頃に、男性は狩猟、女性は採集を担当していた名残ではないか?という仮説が立てられています。

知能テストで脳のどの部分をよく使うかという研究では、男性は空間能力を司る部分、女性は言葉を話す時に使う部分(ブローカ野)が活性化しているそうです。同じ問題を解く場合でも、男と女では違う道筋で処理しているのですね。

この違いを教育に生かすという取り組みもされています。(アメリカだったかな?)男女共学のクラスの他に、男女別のクラスを選べる小学校があるらしい。落ちこぼれを作らないようにしたら、こうなったとか。

男子クラスでは、男子はじっとしていられないから、好きな本を好きな格好で読んでもいい(寝そべっても可)。授業は軍隊のように命令口調で行われ、ボスが誰であるかがわかるようにするそうです。

女子クラスでは、女子は上下関係を好まないので、ペアで共同作業する機会を多くする。男女一緒だと競争心が強くて喧嘩になるのだそうです。

女性はプロセスを大切にするので、ひとつのやり方を強制されることを嫌うそうです。だから、解析幾何の授業ではグラフから解くやり方と、数式から解くやり方の2つを提示し、選ばせる。

男女の違いを仕事に応用した場合、というのもあります。顧客のところに赴いて、打ち合わせをする場合…

顧客の担当者が男性の場合、こちら側の地位の高い人を出席させ、提供できる最高のプランをズバリ提案するといい。男性はひとつのことに集中し、それを解決するための優先順位を付けようとするから。

顧客の担当者が女性の場合、こちら側の実際の担当者を可能な限り多く参加させ、たったひとつの答えをズバリ言うことを避け、時間をかけて議論し、結果に至るプロセスを大切にするといい。女性は複数のことを同時にこなしながら、決断していくから。

うなづける点が多々あります。妻とのやり取りで試してみようと思います。

《つづく》

話を聞かない男、地図が読めない女
話を聞かない男、地図が読めない女

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悟りへの道 に参加中!
昔は、言葉には表と裏の意味があるのが当たり前だったような気がする。

それだけじゃなくて、右とか左とか、上とか下とか、前とか後ろとか。

当たり前に、有ったんじゃないだろうか。

だから、言葉には幅があり、高さがあり、奥行きがあり、内側があり、外側があり…

少しの言葉で事足りた。それが以心伝心。

それを解しない人たちは、日本語を難解で曖昧だと言った。

裏を削り、両脇を削り、上を削り、下を削り…

言葉を、シンプルで、ピュアなものにしていった。

そして言葉に厚みが無くなった。

だから、なんだか、日本文化全体が薄っぺらになってきたような…気がする。

言葉はあふれているけれど、何も書いてない手紙をやり取りしているみたいだ。

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科学 に参加中!
チャプタ気痢崟こΔ蓮岼媼院廚鯢要としない?」「言語の恐ろしさ」「ニーチェとカツ丼」を読みました。

《以下引用》…世界の本質が、絶えざるダイナミクスによる世界の発展にだけあるのであれば、世界は意識を必要としない。すべては、無意識に進行していればよかったはずだからだ。《引用終わり》

うーん、世界が必要とするとかしないとか、世界自体が意識を持っているんだったら、お友達(となる意識)が必要なのでは?というか、比喩がかえって分かりにくいな。読みにくいな。

《以下引用》…ある概念の普遍性は、その概念の翻訳可能性と一致するとは限らない。たとえば、世界の中のある言語圏だけが到達し、把握している普遍性が存在するということはありうる。それでも、私たちは往々にして翻訳可能なものだけを普遍項として立てることを当然だとみなす。流通性と普遍性を安易に等式で結んでしまいがちなのである。《引用終わり》

漢文のまま取り込んで読み下してしまう日本人。英語をカタカナに置き換えて、そのまま使ってしまう日本人。おそらく他の言語でも同様のことは行われていると思うので、そんなに深刻でもないような気はしますけど。私は国際人じゃないから、分かんないのかな。

《以下引用》…意識とは、個別が普遍に接続する形式のことである。…人間は、個々の生という個別を生きていると同時に、時空間的な限定を受けない普遍をも生きている。「心ここにあらず」とは上の空の空想屋を揶揄する言葉であるが、まさに私たちは一人残らず、意識などというものを持ってしまったがために、世界という土壌をのたうち回るミミズには徹することができなくなっている。《引用終わり》

意識の超個的性格という話のようでもあるし、人間の宿命的な苦悩でもありますね。

《つづく》

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悟りへの道 に参加中!
「それ」は全てを構成しているもの。
何にでもなるから、何と呼ぶこともできない。
「それ」はエネルギーなのかもしれない。

そうなる必要はないのだが、
エネルギーが質量を持ったとき、
「それ」は物になる。
そうする必要はないのだが、
「それ」に言葉をあてがったとき、
「それ」は意味を持つ。

「それ」はあらゆる物になることができるし、
物はあらゆる意味を持つことができる。

「それ」を素晴らしいと思えば、
あらゆる物も、あらゆる言葉も、それらを用いる営みも、
素晴らしいことになる。

《最初から読む》

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悟りへの道 に参加中!
前に伝えることと伝わることは違うということを書きました。頭で考えていることを言葉に置き換えるときに誤差が生じてしまうことを、その原因として挙げました。

でも、これと同じことは受け手の側でも発生します。耳や目から受け取った言葉を頭の中に取り込む時、やはり誤差が発生してします。ふたつの誤差が打ち消しあえば、つまり「嘘を二回ついたら本当になった!」みたいなことが起きればいいわけですが、なかなかそううまくはいかないものです。

ここでちょっと気づいたのですが、それは伝達は相互作用だということ。情報の送り手だけがどんなに真剣に、どんなに情熱的に伝えたとしても、受け手がそれを受け止めなければ何も伝わらない。放送局がいくら電波を発信しても、地デジ対応の受信機が無ければ、電波が発信されていることさえ誰もわからない。

逆の場合もありますね。送り手は何も情報を発していないつもりなのに、受け手が真剣に読み取ろうとすれば、いろいろな情報を受け取ることができます。シャーロック・ホームズのように。

歩き方から、腰が痛いのかもしれないとか、膝が痛いのかもしれないとか、オシッコしたいのかもしれないとか。前の車は道に迷っているようだとか、後ろの車はすごく急いでいるようだとか。

情報の送り手に送る意志が無くてもいいのなら、人間でなくてもいいわけです。空を見て明日の天気がわかるとか、車の乗り心地のちょっとした違いから故障の前兆を察知したりとか。

こういう能力を身につけたら、仕事でも私生活でもいいことがありそうですね。いつも耳をすましていましょう。密やかな声が聞こえてくるかもしれない…

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こどもの教育 に参加中!
第二章「素敵なお母様への道」の中ほどを読みました。叱り方について、いろいろ書いてあります。

ちなみに厳しく接する場合、私はいまの事例のように、“叱りながらでもプラスメッセージを入れる”よう心がけています。…「あなたには、こんなにいいところが、たくさんあるじゃないか」というような救いの言葉が少しでもあれば、子どものほうも悪かったことを素直に受け入れやすくなるんじゃないでしょうか。

これは叱り方のバランスということなのかな、と思います。大人に注意する場合も当てはまりますしね。どんな人にも「悪い人」というレッテルを貼らずに、認めてあげて、調整を試みるのが理趣経的取り組み方だと思います。これは、その実践例とも言えそうです。

私は長女を叱った後で、ちょっと感情的になり過ぎたかなと反省し、「昨日はゴメンネ」と言ったことがあります。すると長女は、「ううん、あれはミホちゃんが悪かったんだよ。」と言いました。そのときは泣きわめいて反抗的だった彼女ですが、なぜ怒られたかは理解していたのです。

子供も意外としっかりしているもの。叱られるべきことをしたことに気付いていることも多いのです。だから、叱るべきときには叱ってあげないと、かえってぐれたりするのかもしれない。そして叱るならば、大人に接するのと同じように反抗を煽るような言い方はするべきではない。

子育ては20年弱かけて社会に貢献できる人材を育てていく大事業というフレーズ、気に入りました。

《つづく》

 先日、上の娘の1歳6ヶ月検診というのがありました。問診表を書いて行くことになっていまして、「意味のある言葉を話しますか?」という設問がありました。「はい」の場合には、例をあげなければなりません。検診の前夜「何て書こうかな?」と妻が悩んでいました。「さっき、お菓子を見て、『ウンチみた〜い』って言ってたよ」と言ったら、「ホントに書いていいの?」とにらまれてしまいました。

 でも、オウム返しではありますが、いろんなことを話すようになりました。「『パパ、カッコイイ!』って教えたら、そのとおり言うんですよ」と、うれしくなってお客様に話したら、「へえ〜、そんなこと言わせて喜んでるんですか〜」

 次女を「赤ちゃん」と呼んでいたら、長女が「ちゃん」と呼ぶようになりました。それで次女の愛称は「チャン」になりました。

 どうやら子供は、言葉を憶える時、後ろの方から憶えるようです。卵や苺は「ゴ」、雪やケーキは「キ」、という具合です。

 長女も1歳7ヵ月。最近では2音節まで憶えられるようになったようです。卵は「マゴ」になりました。

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