トトガノート

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Tag:苦行

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「釈尊の生涯」(春秋社)
「7.太子の修道――(二)苦行」を読みました。

禅定で悟りが得られないと判断した釈尊は、苦行に挑戦しました。当時行われていた苦行は、大別して四種類ありました。

1.心を制御するもの
2.呼吸を止めるもの
3.断食によるもの
4.食を減ずるもの

心を制御する苦行とは「端座して上下の歯を合わせ、舌を上顎に着け、その姿勢のままで、心をもって心を制御、統制すること」ということですが、禅定と似て非なるものという感じですね。

呼吸を止める、あるいは食事を減らしたり絶したりというのは、体力を衰えさせる方法としては納得できます。

SMのMみたいのもので、こういうのはギリギリのところまでいくと気持ちいいらしいですね(もちろん聞いた話ですが)。当時のインドでは、変態趣味でも虐待でもダイエットでもなく、極めて真面目な目的で行われていました。とっても危険な話です。

太子はとっても真面目な性格だったので、いずれも超ハードなコースを選んでしまい、瀕死の状態を何度も経験したようです。

そして六年の修行の後、苦行の放棄を決意します。

《つづく》

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「釈尊の生涯」(春秋社)
「6.太子の修道――(一)禅定」を読みました。

当時のインドで、人生問題を解決し、輪廻から解脱する方法としては、禅定と苦行が一般的だった。

最初は坐禅瞑想によって、梵我一如を思惟観察し、聖音オーンを念想し、梵我の一元論を主張していた。次の段階として、個人的な精神原理(プルシャ:神我)と物質原理(プラクリティ:自性)という物心二元論が主張されるようになった。

精神原理と物質原理の対立が諸悪の根源であり、これを取り除く方法、即ち物質の束縛からの精神の自由を得る方法が瑜伽禅定である。瑜伽とは禅定と同義で、精神を一点に集中して、外部からの物質的肉体的な刺激や誘惑にも動ぜず、精神の統一と自由なはたらきを実現させるものである。

一方、肉体を苦しめて衰弱させ、肉体の束縛から精神を解放しようというのが、苦行の考え方である。

まず、太子(釈尊)は禅定の修行を目指し、アーラーラ・カーラーマに、続いてウッダカ・ラーマプッタに師事した。

アーラーラ仙は無所有処定(何物にも執着しない無一物の状態となった禅定)を得て、これに到達すれば、人生の最高の理想が達成されると主張した。ウッダカ仙は非想非非想処定(精神作用があるのでもなく、ないのでもないような、一種の無念無想の精神統一の禅定)を理想とし、それで輪廻から解脱できると説いた。

太子はこの段階ではどちらにも満足できず、苦行の修行の方へと移っていく。が、この二つの禅定は、仏教でも採用されることになる。

《つづく》

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