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「空海の夢」(春秋社)
「2.東洋は動いている」を読みました。

《以下引用》
…もともと中国への文化文物の流入は、シルクロード型と南海型と北方ステップロードによる草原型の三種のコースによっていた。これをシルクロード型の一本にみてしまうのは、やがてそれが朝鮮半島を経て日本に入ってきたことに照らしあわせても、たいへんに日本文化とアジア文化の橋梁を狭いものにしかねない。密教にもそういう最低三方向の広がりを想定しておく必要がある。たとえば密教の基底にうかがえるシャーマニズムの要素にも、やはり北方系と南方系の混在が認められるのだ。
…空海密教の原点となった『大日経』や『金剛頂教』のふるさとは西南インド地方である。そこはブッダが生まれた北インドとはちがっていた。そのちがいはあるいは最終的な密教の独立にあずかって何かの力を発揮したかもしれない。
…《引用終わり》

純密とは言うけれど、いろいろな要素が入っているはず。それは、日本人を単一民族と言っていたけれど、実は四方から民族の流入があってかなりあって、DNAにいろんな要素が含まれているのと似ているかもしれません。

空海の時代も、それ以前の時代も、我々が想像する以上に交流は活発だったようです。

鍼灸について書いてあるので、ノートしておきます。

《以下引用》
…たとえば一般に漢方医学といわれている中国医療には、いわゆる針灸医学と湯液医学と本草医学の三種類があるが、これらはそれぞれ黄河流域圏、揚子江の江南流域圏、江准の西方の山地帯の三地方に別々に発生し発達したものだった。
針灸医学が黄河地方に発達した理由は、ここに定着した民族が気候の激変するステップ地帯を越えてきた遊牧民だったことによる。かれらは厚い毛皮を着てそのままの姿でつねに100キロや1000キロの移動をくりかえした。いきおい医療面においても頭部や四肢などの露出部のみを対象とした工夫が発達した。おそらくはするどい石器や骨器によって頭部や四肢の露出部を点的に刺戟して痛みをとりのぞいたのだろう。これに反して高温多湿の江南では、豊富に密生している草や木に頼る薬物の湯液が発達した。
…《引用終わり》

学校で習いましたので、懐かしいです。

鍼灸のツボには五兪穴という特別なツボがありますが、すべて肘から先、膝から下に存在しています。体幹部(腰とか内臓とか)の治療を行う際にも手先足先への施術だけで済ませようという意図が感じられます。耳ツボとか足ツボは、この論法を真似たのかどうか、施術は耳もしくは足裏だけで事足りるという理論です。科学的根拠(エビデンス)があるのかどうか…。

ツボそのものでさえ疑わしいのですから、五兪穴とか耳ツボとか足ツボとかの理論はかなり強引だと言わざるを得ません。

話が空海からそれてしまいました…。

《つづく》