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「空海の風景」(中公文庫)
「上巻の六」を読みました。

まずは華厳経についての記述。私が探し求めている「古き良き日本」の根源、武士道なのか仏教なのかと彷徨っていましたが、華厳経の中に見つかりそうな気配がします。

《以下引用》
…中国および日本の思想にこの経ほどつよい影響をあたえたものもないのではないかとおもえる。一個の塵に全宇宙が宿るというふしぎな世界把握はこの経からはじまったであろう。一すなわち一切であり、一切はすなわち一であり、ということも、西田幾多郎による絶対矛盾的自己同一ということの祖型であり、また禅がしきりにとなえて日本の武道に影響をあたえた静中動あり・動中静ありといったたぐいの思考法も、この経から出た。この経においては、万物は相互にその自己のなかに一切の他者を含み、摂りつくし、相互に無限に関係しあい、円融無碍に旋回しあっていると説かれている。しかもこのように宇宙のすべての存在とそのうごきは毘盧遮那仏の悟りの表現であり内容であるとしているもので、あと一歩すすめれば純粋密教における大日如来の存在とそれによる宇宙把握になる。さらにもう一歩すすめた場合、単に華厳的世界像を香り高い華のむれのようにうつくしいと讃仰するだけでなく、宇宙の密なる内面から方法さえ会得すれば無限の利益をひきだすことが可能だという密教的実践へ転換させることができるのである。…空海はのちに真言密教を完成してから、顕教を批判したその著『十住心論』のなかで華厳をもっとも重くあつかい、顕教のなかでは第一等であるとしたが、このことはインドでの純密形成の経過を考えあわせると、奇しいばかりに暗合している。…
《引用終わり》

つづいて大日経について。

《以下引用》
…毘盧遮那仏は釈迦のような歴史的存在ではなく、あくまでも法身という、宇宙の真理といったぐあいの、思想上の存在である。…この思想を、空海ははげしく好んでいただけでなく、さらに「それだからどうか」ということに懊悩していたはずであり、その空海の遣り場のなかった問いに対し、『華厳経』は答えなかったが、『大日経』はほぼ答え得てくれているのである。大日経にあっては毘盧遮那仏は華厳のそれと本質はおなじながらさらにより一層宇宙に遍在しきってゆく雄渾な機能として登場している。というだけでなく、人間に対し単に宇宙の塵であることから脱して法によって即身成仏する可能性もひらかれると説く。同時に、人間が大日如来の応身としての諸仏、諸菩薩と交感するとき、かれらのもつ力を借用しうるとまで力強く説いているのである。…
《引用終わり》

空海の足跡の中での謎の七年間、私度僧として、社会的に肩身は狭いながらも自由な立場で、むしろそれを存分に利用して、大安寺や久米寺に出入りし、多くの経典に触れたようです。

《以下引用》
…かれは釈迦の肉声からより遠い華厳経を見ることによってやや救われた。死のみが貴くはなく、生命もまた宇宙の実在である以上、正当に位置づけられるべきではないかと思うようになったはずである。生命が正当に位置づけられれば、生命の当然の属性である煩悩も宇宙の実在として、つまり宇宙にあまねく存在する毘盧遮那仏の一表現ではないか、とまで思いつめたであろう。この思いつめが、後年、「煩悩も菩薩の位であり、性欲も菩薩の位である」とする『理趣経』の理解によって完成するのだが、その理解の原形はすでにこの久米寺の時期前後にあったであろう。…
《引用終わり》

私度僧になるということは、通常は「脱落」になります。でも、空海の場合はこの時期に思想の原形が出来上がったようです。

善無畏三蔵が725年に翻訳を終えた『大日経』が5年後には日本に伝わっていました。多くの経典の中に埋没していたものを私度僧空海が発見します。そして諸仏・諸菩薩との交感の方法を身につけるために、唐を目指します。

純粋密教は、中国でもインドでも消滅し、チベットでは変質してしまっているので、空海が確立したもの以外は残っていないそうです。

これほど有意義な「脱落」は世界史的にも稀でしょう。

《つづく》