もう20年近く前になると思いますが、西部邁さんの講演(だったと思います)を聴きました。「いまや日本においてマスコミこそが最大の野党であり、世論形成に大きな影響を及ぼしている。むしろ与党よりも強大な権力と言え、大いに警戒すべきである。」という内容だったと記憶しています。この状態に変化が起こったのではないかと私が感じるようになったのは、小泉首相が出現してからです。

 小泉さんという人は誰に何と言われても自分の信念を曲げません。総理になること、そしてその地位を守ることが永田町の常識です。だから、それよりも自分の信念を大切にする人は変人になってしまうわけです。「やると言ったら必ずやる」はリーダーとして大切なことです。いざという時に腰砕けになる大将では、部下は安心してついていけません。こういう人を「変わっている」と言うべきか、変人呼ばわりする価値観が「変わっている」のか?

 拉致問題など政治家やマスコミにとってタブーとされてきたことにも取り組みました。政治記者という人たちも永田町の論理に毒されているようで、最初は小泉首相の批判を行いました。しかし、世論調査を行って国民の小泉支持が明らかになると、急に論調が変わりました。その度に私は、マスコミやそれに出演していた専門家の方々の信念の弱さを感じました。と共に、世論の強さを感じました。そう言えば日本国憲法の原則は国民主権であった…マスコミ主権でも専門家主権でもなかった…。

 そんな矢先、新聞社や放送局での記事捏造事件や不正事件も起きて、マスコミに対する信頼も無くなりました。以前は、「この放送局のキャスターがこう言ってるんだから、そう考えるのが本当なのだろう」とか「この新聞がこう書いているんだから…」というのがあり、マスコミを通してオピニオン・リーダーたる有識者の意見に接し、自分の意見を矯正する必要を感じていました。しかし今は、どんな報道機関であろうが、どんなに立派な専門家であろうが、自分と同じ一億分の一の重みしか感じません。

 今回の総選挙の後に、筑紫哲也さんが「今回の選挙結果は我々の考えにそぐわないものであり、我々もこの選挙の敗北者のであることを認めざるを得ない」というようなコメントをされていました。「やっと気付いて下さったか」と思いました。私の一票には、マスコミに対する反対票という意味合いも強く込められていましたから。

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