トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:知恵

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事なかれ主義も全体主義も、もちろん好きではありませんが、知恵の発展した一形態ではあろうと思います。行き過ぎはいけませんが、ひとつにまとまろうという方向性は間違いではない。

夫婦という舟、家族という舟、会社とか学校とかいう舟、地域という舟、地方自治体という舟、国家という舟…そして、宇宙船地球号。いずれは、太陽系、銀河系という枠組みを宇宙船とみなす日が来るかもしれません。

舟の中では、小さな行き違いや誤解や諍いは必ずあります。突如発生する小さながん細胞みたいなものですね。これは避けられない。大切なのは大きくしないこと。

そこから先が知恵のみせどころ。圧殺はもってのほか。

他人の言葉に耳を傾けるために「国語力」があります。相手が外国人ならば「語学力」。それぞれの言い分は聞く必要がある。

盗人にも三分の理とはいえ屁理屈も理屈のうち。これを理解するにも、整理するにも、反論して切り返すにも「論理的思考能力」が必要です。

いろいろな知識も必要です。地理的な知識、歴史的な知識、社会制度に関する知識。環境問題等に取り組むことになれば、科学的な知識。

舟の中で、それぞれの考えを認め合いながら、最善の方向を見出していく。知恵は舟の中を照らす光であり、舟の先を照らす光である…

はずなんですけど、なんだか、中途半端な知恵ばかりのような気がしますねえ、最近。地球という舟も、日本という舟も、揺れてばかり。舵を切り直してばかりで、同じ所をグルグルグラグラ…

船酔いに悩む日々が続いています。
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例えば、唯脳論…脳を中心とした考え方です。考える器官が脳だから、考え方は脳が中心になりがち。心臓のことを考えても、肛門のことを考えても、視点は脳にあります。

でも、心臓が考え始めたらどうだろう…肛門が考え始めたらどうだろう…唯肛門論みたいなのができるんだろうか?

当然、唯脳論者と唯肛門論者は事有る毎に対立するでしょう。唯物論者と唯心論者のように。あるいはイスラム教徒とヒンズー教徒のように。あるいは犬と猿のように?

もともとは同じDNAを持った細胞どうし。もっと遡れば同じ宇宙を構成する原子どうし。宇宙の中で役割分担をして、「役」とか「立場」に違いが生じて…そして考えた…知恵を働かせた…その結果が対立ですか?

対立するために知恵を使うんですか?戦って勝つために知恵を使うんですか?そういう排他的な知恵に真の勝利は有るんですか?相手を打ち負かせば、今度は味方の中に異を唱える者が出てくるんじゃないですか?

そうしたら、また戦うんですか?これでは、知恵が有るのか無いのか分からない。何のために勉強するのか?分からない。

知恵は、まず自分たちを理解し、自分たちの世界の理論体系を構築することを目指すべきでしょう。

その作業の中で、いろんな考え方が出てくることでしょう。矛盾が生じるときには、両方を包み込むような、より大きな考え方を生み出す必要があります。

一方の考え方で済む場合には、他方が取り込まれ、消滅することもあるでしょう。

場合分けで解決できる場合もあるでしょう。この場合にはこちら、それ以外はあちら、というように。

また、両者と全く違った視点にたって、両者を内包するような新たな理論構築がなされることもあるでしょう。

ともかく、そんなふうにして、対立しない理論体系を構築していくことが知恵の本質ではないでしょうか。そのために、私たちは勉強するのではないでしょうか?
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