勉強は何のためにするのか?という疑問。その回答が、ドガ〜ンと津波とともに押し寄せたような気がします。例えば「原発に勤めるわけじゃないんだから、放射能のことを学校で習って何の意味があるの?」というような疑問に対して…。

お陰さまで私の場合は、今日のような状況を可能性のひとつとして予想できていましたから、現実になったと分かってもそれほどのショックはありませんでした。自分が高校や大学で学んだ知識は正しかったのだなと思いました。

残念なのは、こうしたワーストケースを含めた可能性の説明を、なぜ3月のうちに政府やマスコミはしなかったのかということ。こういった場合に、専門的な情報をも国民が正しく理解できるための教育なのですから、情報はかいじされるべきだったのではないでしょうか。もちろん混乱はあるでしょうが、その上で「国民団結して頑張っていきましょう!」という呼びかけなら意味があります。全く教養の無いバカ扱いをした上で、「日本の力を信じてる!」も何も有ったものではない。

ある物質が生体に及ぼす影響がアプリオリに分かるということは有り得ません。放射能の場合でしたら、チェルノブイリ周辺の調査とか、動物実験とかに頼るしかないのではないかと思います。結局「何シーベルトでガンの発生率が何倍になるか」というような形に集約されるでしょう。「安全だ」「安全でない」の判断は、ガンの発生率が何倍までをOKとするかということで、それは主観的な問題です。

政府は、誰が行ったどんな調査を判断材料として採用し、基準として「何倍までをOK」としたかを公表すべきだったと思います(公表されてたらゴメンナサイ)。それが高卒以上の学歴を持つ人に対する失礼のない対応ではないでしょうか?それを一切語らず、「安全」という主観的な意見(基準を明確にしなければ科学的客観的な判断とは言えません)を国民に押し付けました。子ども扱い、あるいはバカ扱いと言えます。大変な侮辱です。

例えばガン病棟に入院することになってしまったドクターに対して、検査結果の数値を一切語らず、「大丈夫だ」と言っているようなもの。「もう、自分はダメなんだ」と思うに違いありません。

この情報開示によって、ガンの発生率が何倍までをOKとするかの最終的な判断は国民一人一人に委ねられ、それぞれが対策を講じることもできたわけですが…。

ともかく、こういう時のために、勉強は必要なのですね。痛感しました。

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