トトガノート

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Tag:玄宗

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「?.大日経の相承」の「二.一行禅師」を読みました。
今回は一行禅師さまです。

683年に唐で生まれました。小さい時から記憶力が抜群で、しかも勉強熱心なため、いろんなことに通じていたようです。特に当時盛んだった道教を有名な道士に付いて勉強しました。ところが21歳の時に両親を失い、禅師について出家しました。ここでも才能を発揮し、奥義に達する。その後、律や天台についても学ぶ。

34歳のころ、名声を聞きつけた玄宗皇帝からの勅命で長安に入る。やはり卜占の能力を買われたらしい。この長安で密教と出会います。一行と比べると、善無畏はその1年前に入京、金剛智は2年後に入京しています。まず金剛智より金剛頂経系の密教を学び、その後に善無畏と大日経を翻訳したようです。

道教,易学,数学も得意で、開元大衍暦を作成した天文学者としての顔も持っています。当時の唐で使われていた暦では日食がたびたび食い違うということで、新しい暦の作成を一行に命じています。それが38歳のころ。44歳のころに完成しますが、発表する前に亡くなっています。

善無畏が亡くなるのはその8年後、金剛智が亡くなるのは14年後です。道教と呪術に興味を持っていた玄宗の治世下に、異人の金剛智と善無畏が新来の密教を、唐の朝廷内に急速に浸透させることができたのは、道士の中で厚い信頼を得ていた一行の存在が大きかったようです。

自然科学者としての顔を持つという点で、私としても興味のある方です。44年の人生で、これだけの功績。私の44年は何だったのだろう…

《つづく》

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「?.大日経の相承」の「一.善無畏三蔵」を読みました。

637年に東インドの王子として生まれました。カリスマ性のある人だったようで、末子ながら王である父に認められ、10歳で軍隊を指揮し、13歳で王位を継ぐ。それを妬んだ兄が挙兵したので応戦。反乱軍を鎮圧できたにもかかわらず、王位を兄に譲り出家。各地を放浪して仏教を学び、当時の仏教の中心地ナーランダで達磨掬多に師事。大日経系の密教を学びます。そして唐に向かいます。

長安に入ったときには80歳という高齢。前出の金剛智が長安に入ったのはその3年後。玄宗皇帝が金剛智には冷たかったのに対し、善無畏は手厚く迎えられたようです。長安で虚空蔵求聞持法などを翻訳。88歳のとき、帝に従って洛陽に入り、大日経の翻訳を行い、99歳で亡くなります。金剛智はその6年後に亡くなっている。
道教に傾いていたと言われる玄宗がとても信頼をおいたのは、呪術の力が強かったからのようです。

いずれ合流する金剛頂経系の金剛智と大日経系の善無畏が、玄宗皇帝の前に同時期に仕えていたわけです。高校の世界史では有名な玄宗皇帝ですが、仏教の側から見つめ直すのも面白いですね。

《つづく》

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