トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:汚染

ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
「唯識入門」(春秋社)
「第二章.認識の構造」の「二.まよいからさとりへ」を読みました。

『中辺分別論』第一章「虚妄分別」の第四偈が出てきます。

(1.4abc)それゆえに、それ(すなわち識)が虚妄なる分別であることが成立した。なんとなれば、(識は)そのままに(真実として)あるのでもなく、また、あらゆる点でないというのでもないからである。

(1.4d)(なんとなれば)それ(すなわち識)が滅尽することによって、解脱のあることが認められるからである。

―――
識が顕わし出した対象は「虚妄」です。しかし、真実ではない対象を顕わし出す分別のはたらきは「ある」ということになります。

ただし、この分別は、実在しないものを顕わし出しているわけだから、真実の、あるべきあり方のはたらきをしているわけではありません。

分別のはたらきが「ある」という点にこだわるのは、これが修道を実践の主体となるからです。価値的にあるべきものとしての有ではなくて、事実としての有です。これがなければ実践が成り立たないのです。

虚妄分別は、まよいからさとりへの転換を要請される実践主体です。虚妄分別が迷っている現実の状態を「汚染の存在」、さとりへ向かって動き出した状態を「清浄な存在」と呼びます。

《つづく》

ブログネタ
爆笑問題 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#58」(1月20日放送分)を見ました。環境化学の田辺信介先生でした。今回も太田さん特有の哲学的問題が有りませんでした。この番組本来の面白さが無い。

#58のタイトルは「万物は汚れている」で、「万物は流転する」をもじっているんでしょう。でも、これは仏教に対する挑戦状のようにも見えました。仏教の考え方は「一切皆清浄」ですから。

「汚れる」とはどういうことなのか…自分なりに考えてみました。環境問題で「汚れる」とは混入するということですね。「化学物質による汚染」とは「化学物質が混入する」こと。化学物質が純粋な状態で存在すれば、どんな猛毒であっても汚染とは言わない。瓶の中に猛毒が入っていても、それが純粋な状態であれば、「瓶の中が汚染されている」とは言わない。

環境問題とは純粋主義の問題なのだろうか…。

《つづく》

↑このページのトップヘ