2011年03月29日 指示語とさまざまな表現(公文式国語F1) ブログネタ:★くもん・公文・KUMON★ に参加中! 公文式の国語の教材F1についてです。 ・小6の漢字から102文字学習します。 ・指示語やさまざまな表現(換言・例示・描写・比喩)に着目して文章全体を解釈する力を養います。 すいせん図書は、 G-1「兎の眼」 G-2「クリスマス・キャロル」 G-3「坊っちゃん」 が使われています。 《F2教材に進む》 タグ :#公文式#国語#指示語#比喩#換言
2009年10月16日 智光明荘厳経(如蔵16/20) ブログネタ:悟りへの道 に参加中! 「如来蔵系経典」(中公文庫版) 「智光明荘厳経」の「一 序章」「二 不生・不滅の法門――九つの比喩」を読みました。 不生・不滅とはどんな法を説明することばですか?というマンジュシリー(文殊師利)の問いに、世尊が答えます。 1.インドラ神の影像 神々の王シャクラの影像は動かず、思惟することもなく、妄想することもなく、主客に分けて構想もせず、誤った判断(虚妄分別)もしない。 これと同じように、如来も構想もなく、誤った判断もなく、思惟もなく、心をはたらかすこともなく、寂静・清涼であり、生なく、滅なく、見られず、聞かれず、嗅がれず、味わわれず、触れられず、相(すがた)もなく、表徴もなく、認識もされない。 如来は不生をよりどころとするけれども、鏡の中に姿が映るように世間に姿を現わす。衆生たちの心の傾け方に応じて、姿の差異や寿命の長短の差異を示して、衆生を成熟せしめ、信仰の力によって悟りを望む器となった衆生たちには影像を現わす。 2.天の太鼓 「華厳経如来性起品」(如来の音声の第三喩)参照 三十三天の神々の大法鼓と同じように… 如来もまた不可視、不可見、非存在、不生で、思い及ばず、無心であり、相(すがた)もなく、形あるものでもなく、音声もなく、実体もなく、無二であって、視野を超えているにもかかわらず、衆生たちの前世の業が成熟すると、彼らの望みや意向に応じて、法の音声を授ける。 如来は存在することがないのに、世間は法の言葉によって、如来という想念を生ずる。衆生たちの前世の善業が成熟すると、それを如来から出た音声であると普く知る。 3.雨雲 「華厳経如来性起品」(如来の音声の第七喩)参照 雨を観察して世間では雲という想念が生ずるが、実際には雲は不現であり、不生・不滅・非存在である。そんな雨雲と同じように… 如来はそもそものはじめから完全な涅槃の境地に入っているのだ。実在することはない。 法を説くのを見て、如来が在(おわ)すとの想念が生ずるのである。 4.梵天 「華厳経如来性起品」(如来の可見の身の第七喩)参照 三千大千世界を支配する梵天と同じように… 如来は空にして虚、生起することなく、文字もなく、音声もなく、はたらく場所もなく、実体もなく、思議も及ばず、根拠となる特質もなく、心・意(おもい)・認識を離れ、不生・不滅である。しかし、衆生たちの善根の集積の力で、如来の住居から動くことなく、あらゆる(行・住・坐・臥の)行動の型をもって、鏡に影像が映るように、世間に出現する。 5.日光 「華厳経如来性起品」(如来の可見の身の第四喩)参照 日光のように… 如来という日輪の放つ知恵の光線はあれこれ分け隔てしないけれども、大地の高・下・中の差異によって、光明も大・小・中の種々の光線となる。 6.如意宝珠 「華厳経如来性起品」(如来の可見の身の第十喩)参照 大海中にある「一切の望みをよく成就させるもの」と呼ばれる宝珠のように… 如来の深い志は純浄なる知恵という宝で、それを大いなるあわれみという幢(はたほこ)の頂に置けば、そこからいかなる衆生であれ、その衆生の志と心の傾け方に応じて、それにかなった教えを説き、衆生たちに普く知らせるが、彼らに対しても全てに平等であって差別しない。 7.こだま 「華厳経如来性起品」(如来の音声の第二喩)参照 こだまのように… 種々の深い志をもつ衆生たちの、言語や、その他種々の報知から(それに反響するように?)、こだまの種々の音声が生じ、ありのままに普く知れわたる。 8.大地 草・木・森林は大地に依存し、大地に根をおろして生長・増大・広大となるように… 全ての衆生たちの一切の善根は如来に依存し、如来に安住して成長する。如来は分け隔てがなく平等である。 9.虚空 「華厳経如来性起品」(如来の可見の身の第二喩)参照 虚空のように… 如来も全てに対して平等で、分け隔てせず、差別せず、不生・不滅であり、過去でもなく、未来でもなく、現在でもなく、根拠となる特質もなく、あれこれ誤った考えもなく、形もなく…である。 最後の一節が面白かったので引用します。 《以下引用》 …如来は、「この衆生は戒、もしくは忍耐、もしくは精進、もしくは禅定に心を傾けているから、この衆生には戒、もしくは忍耐、ないし禅定の法話を説くべきである」とは考えない。…如来は「この衆生は究極・完全なる知恵(般若波羅蜜)に心を傾けているから、この衆生には究極・完全なる知恵について法話を説くべきである」とも思わない。…如来には、そのような分けへだての心はまったくないのである。…如来は真理(法)を体とするもの(法身)であるから、…如来は完全に不生・不滅なのである。 《引用終わり》 《つづく》 タグ :#智光明荘厳経#文殊師利#世尊#不生不滅#比喩
2009年07月10日 『如来蔵経』の後編(如蔵02/20) ブログネタ:悟りへの道 に参加中! 「如来蔵系経典」(中公文庫版) 「如来蔵経」の後半を読みました。「九つの比喩」の6つ目以降です。 6.樹木の種子 果実や木の実は外皮の蔽いの中に芽となる種子があって、壊れることなく、それが地に落ちると、やがて大樹となる。 煩悩の外皮の中に胎児のような状態で如来の本性を持っているのが、われわれ衆生。煩悩の勢いが鎮静したものは、涅槃に入る。 7.ぼろきれにくるまれ、道に捨てられた仏像 ある貧しい男が、宝石でできた如来像を携えて旅をすることにした。旅先で盗まれないように、異臭のするぼろきれにくるんだ。男は旅先で死んでしまい、如来像はぼろきれにくるまれたまま道端に捨て置かれた。通行人は誰一人それが宝物であることに気づかずに踏みつけて行った。風にあおられると、ぼろきれの包みは異臭を放ち続けた。 8.貧女が転輪王子を懐胎する比喩 身寄りのない女が、顔色も悪く、嫌な臭いがすると人々に嫌われながら、今にも死にそうな状態で救貧院に住んでいた。彼女が懐妊し、転輪聖王となるような素晴らしい胎児を宿した。しかし彼女は「この子はどんな子だろう」などと考えることもなく、気は萎えて、下劣なもの弱小なものと決めつけ、相変わらず救貧院で日を送っていた。 9.鋳型のなかの真金像 馬とか、象とか、人物の像をロウで作り、鋳型の中に置いてから土をかぶせ、火にかけてロウを溶かし、その溶け出した後に金を溶かしこむ。溶かしこんだものが中にいっぱいになってから、次第に冷却すると、外の鋳型は黒くて汚いのに、中のものは金である。工匠が鋳型を槌で壊す瞬間、内なる金でできた像は清浄となる。 *** 子を持つ親としては8番の例えが特に気になりました。ある意味、現代的です。子どもには無限(に近い)の可能性があります。それが、親の都合で閉ざされている例が見受けられる昨今…いたたまれない気持ちになります。 如来蔵は、大人にも無限(に近い)の可能性がある!ということです。 《つづく》 タグ :#如来蔵経#比喩#大乗仏教#如来#涅槃
2009年07月03日 内に秘められた徳性(如蔵01/20) ブログネタ:●●心と体・精神・魂・人生向上のお役立ち●●●心が強くなるワーク●● に参加中! 「如来蔵系経典」(中公文庫版) 「如来蔵経」の前半を読みました。「九つの比喩」の5つ目までです。 《以下引用》… 『如来蔵経』(「如来を内部に宿すものについての経典」)は、大乗中期の経典で、その成立はナーガールジュナ(龍樹、150〜250)よりのち、三世紀中葉と推定される。 …《引用終わり》 サンスクリット本は散逸してしまいましたが、漢訳二種とチベット訳が残っているそうです。漢訳のひとつが不空訳です。 お話は、世尊がさとりをひらかれてから十年目のある暑い日に、弟子やそれ以外の人達が集まる前で、金剛慧菩薩の質問に答える場面です。世尊は「九つの比喩」の話をします。 1.蓮華のなかの諸仏のたとえ 色あせ、悪臭を放ち、しぼんで、少しも好ましくない蓮華と、それらの蓮華の萼に坐禅をくんで坐りながら光明を放っている美しい如来を、私たち見て、礼拝している。 《以下引用》… それと同様に、…正しく完全なさとりをひらいた…如来もまた、自身のもつ超越的な般若の叡知と、(それにもとづく)知識と、如来の眼をもって、貪り(貪)、怒り(瞋)、無知(痴)をはじめとする、根元的執着(渇愛)と根元的無知(無明)(にもとづく)…数知れぬ煩悩の蔽いに纏われたすべての命ある衆生たちの内部に、(その如来と)同じ知恵をもち、眼をもった如来があって、坐禅をくんで不動でいるのを見る。 …《引用終わり》 私たちの煩悩をしぼんだ蓮華に例え、その蓮華の中に美しい如来が隠れているように、私たちの中にも美しい如来が隠れているのだ、ということです。 2.群蜂に囲まれた蜂蜜 中にたっぷりの蜂蜜がしまってある蜜蜂の巣と、それを蔽い隠している蜜蜂の群れ。蜜蜂の群れが煩悩で、蜂蜜が如来です。こぐまのプーさんの絵が似合います。 経文には書かれていませんが、蜂蜜を集めたのは他ならぬ蜜蜂たちですから、別な解釈もできそうな気がします。 3.皮殻に蔽われた穀物 米、大麦、稗その他の穀類の実は皮殻に蔽われていて、これを取り除かなければ食べられない。皮殻が煩悩で、おいしいところが如来です。 そば好きの私は蕎麦の実を思い浮かべました。蕎麦の実を挽くと、最初に中心の白い部分が粉になって出てきます。更科用ですね。それが無くなると、殻の方が挽かれてきます。黒い粉になってきます。これがたっぷり混じっているのが田舎そば用ですね。私は、この煩悩がたっぷり入ってる田舎そばが好きですが…これも経文には関係ありません。 4.不浄所に落ちた真金 ゴミ捨て場の腐敗物の中に金塊を落とした場合。金塊ならば、いくらひどい所に落ちてしまっても拾おうとしますね。しかも、金塊は何十年経っても腐敗物の影響を受けません。私たちの中にも、それと同じ如来の不壊なる本性が内在しているのですよ!ということです。 家内がトイレに落としたケータイ、洗って乾かしてからは正常に動作しています。これも不壊なる本性かな? 5.貧家の地下にある宝蔵 貧乏人の家の地中深くに宝物がざっくり埋まってたとしても、宝物が「掘って下さ〜い」などと声を上げたりはしない。みんなの心の奥底に徳性が埋まっていることを、如来は世間にあらわれて指し示す… 「ここ掘れ、ワンワン」と裏の畑で鳴くポチを思い浮かべてしまいました。 *** …思いつくままに一言ずつ書きましたら、ふざけた感じになってしまいましたが… 今、生きる意味を探しています。個人個人それぞれ「意味」を設定していいわけですが、みんなに共通するような最大公約数的な「意味」が無いかな…と。 如来蔵思想の中にヒントがありそうな気がしています。だから、実はかなり真剣に、この本を手にしています。 《つづく》 タグ :#如来蔵経#比喩#大乗仏教#不空#世尊