トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

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「命のノート」という本を読みました。亮太先生にはいつもお世話になっています。

亮太先生のお話は、涙なしでは聞けなくて、テレビも最後まで見れませんでした。映画もきっと感動的なのでしょうが、とても見る気になれません。

子を持つ親として、とても興味のあることなのですが、親であるがゆえにそのつらさには耐えられない…とおっしゃる方が多いです。

この本は、子ども向けに書いてあるので、ボリュームも少なく、さらっと書いてあります。涙はもちろん出ましたが、文字が大きいし、短編なので、なんとか読み切ることができました。

私は、お年寄りに接することが多い仕事なので、毎日痛みに耐えながら先の短い人生を生きることについて、どう捉えていいのか日々悩んでいました。

でも、世の中にはもっともっとつらいことがある。そして、そういう人たちに毎日優しく接している人たちがいる。この事実は、直接の答えにはなりませんが、大きなヒントであり、励ましでもありました。

 45ページに「病気して死ぬだけのじぶん」という言葉が出てきます。病気して死ぬのを待つだけの人生に何の意味があるのか?非常に重い疑問だと思います。

 そもそも、人生に意味があるのか?という疑問の答えを私は知りません。漫画『浮浪雲』の中で、「人生に何の意味もなし!ただ生きるのみ」という一節を見つけた時に、ホッとした記憶があります。人生には、もともと意味が無いのでしょう。意味があるにしても私たち人間には理解できない次元の問題だと思います。

 それは老若男女で事情は同じなのですが、若いといろいろやりたいことがあり、恋人がいたり、子供がいたりで、ゆっくり考える暇が無いし、体の衰えも自覚されないので、悲嘆することは余りありません。しかし老いてくると、友達もひとりひとり去って行き、日々からだの衰えも感じざるを得ず、この重い疑問が毎日のしかかって来るのでしょう。

 だからこそ、老いた身で生きていくことは大きな意味があります。この疑問の重さに耐え続けているということだから。でも、こんなことを言ってもお年寄りの慰めにはなりません。「どんな言葉をかけてあげればいいのか・・・」そんな疑問に悩みながら、そして答えなど見つかりそうもないことに半ば気付きながら、私たちも老いに一歩づつ近づいていきます。

 42ページに「何で死ねばいいんだい」という言葉が出てきます。健康教室では「こうしてはいけません。こんなの食べてはいけません。やめないとこうなります」ということばかり教えてくれますが、どんなに健康を心がけても、誰でもいつかは死ぬわけです。死に方は教えてくれないのかい?という疑問が生じます。

 高齢になって、しだいに機能が衰えて、トイレに行くことも大変になって、ちょっと休養を取るつもりで病院に入院したお爺さんが、そのまま帰ってきませんでした。病院で肺炎になって(院内感染だ!)衰弱して、ベッドに縛り付けられたまま、酸素吸入や強心剤で長生きさせられる。家族も本人もつらそうで見ていられませんでした。病気らしい病気をせずに健康で長生きし、老衰で亡くなることが理想とされているのだと思うのですが、この理想的なプロセスを通った筈のこのお爺さんがいい死に方をしたとは思えないのです。

 積極的に戦略を立てて死ぬ、ということがあってもいいのではないかと私は思っています。社会的に責任のある立場を退いたら、苦しまずに死ねる病気を選ぶ。定期的に健康診断を行い、自分が志望する病気になれるように意図的に不健康な部分を作り、その病気に関しては一切治療を行わない。死ぬまで治療を拒否すれば、健康保険を使わないから社会に迷惑をかけることも少ない。そんな都合の良い病気はないものか、探しているところである。

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