9月25日、ヨコミネ式の横峯吉文さんの講演を聞いてきました。「エチカの鏡」を見て衝撃を受けてから、早2年。改めてスゴイ!と思いました。私のメモを基に、まとめておきます。個人メモということで、若干不正確かもしれません。

動物は生まれた瞬間から、その動物としての活動をほぼ開始するが、人間はそうはいかない。人間は10歳までの間に、持っている遺伝子の中に埋もれている「自立するスイッチ」を入れてあげなければいけない。

運動神経は6歳でほぼ完成する。この後は絶対だめというわけではないが、能力の伸びは鈍化する。この段階まで運動能力を高めてあげれば、ちょっと要領を聞いただけですぐにいろんなスポーツがこなせる人になる。

絶対音感は5歳(とおっしゃった気がする)まで。これを身に付けておけば、生涯思い立ったときにいつでも作曲ぐらいはできるようになる。

学ぶ力として、理解力・思考力は国語(読み書き)で養われる。洞察力は算数(計算)。2歳までで絵本くらいは読めるようになるから読み聞かせは2歳までとし、3歳からは「この本、お母さんに読んで聞かせて!」と言って、子供に読ませる。

小学校入学の時期は生まれた瞬間に決まっている。その日に向かって、一日でも早く準備しておいた方が良い。小学生が本を読んで見せてもみんな当たり前だと思う。でも、幼児が本を読んで見せたら、誰でも「スゴイ!」とほめる。一日早く読み書きができるようになるということは、ほめられる機会が一日増えるということである。「読み書きは小学校に上がってからでいい」という育て方をしたら、その子は読み書きでほめられる機会を失うことになる。これは、算数・体育・音楽など全ての教科で言えることである。

昔の高度成長期と違い、これからの日本は何か必ず仕事があるという状況にはならないだろう。単純な労働は外国人労働者に奪われる可能性もある。そんな日本で仕事を持ち続けるためにはITに強くなければならない。計算力は絶対に必要である。

子どもは、命が危険になるようなことはしないようになっている。だから簡単なことからやらせる。慣れてくると飽きる。飽きたら、少しだけ難しいことをやらせる。やっているうちに慣れてくる。慣れてくると…の繰り返しで、子どもは全ての能力、何でもどんどんとステップアップしていく(これは公文用語で言うと「ちょうどの学習」ですね)。その結果、全園児が逆立ちや跳び箱ができたりする。

子育てで大切なことは、いい加減にすること、手を抜くこと。子どもに手をかけたら、自立できないまま大人になってしまう。なるべく用事を言いつけて、「ありがとう」と言ってあげると、みんなのために何でもやろうという人間に育つ。だから、保母さんも座ったまま用事を言いつけているとのこと。

保育園としては、将来に責任を持つということで、小学校に見に行くそうです。学校からうるさがられるくらい頻繁に。卒園児が元気でやっているか、どんなふうに育っているか。

オフィシャルサイトはこちらなので、正確な内容はこちらをご覧ください。

確かに、幼稚園児が絶対音感を持ったり、逆立ちで走り回ったりできなくても別にいいわけです。でも、ヨコミネ式をやると、みんな当たり前のようにそれができるとしたら…お子さんにそれをさせてあげるだけの余裕があるとしたら…させてあげたいと思いませんか?

これは、わたしたちが公文式をやっている理由と全く同じなのですけど。