トトガノート

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「仏教入門」(東京大学出版会版)
「五章 輪廻と業・煩悩」の前半を読みました。

輪廻の観念は仏教の発明ではなく、仏教成立当時のインド社会の周知の世界観・人生観です。インド的な仏教の考え方では、死後一定のとき(四十九日)を経れば必ずどこかに生まれ代わります。ですから、日本で信じられているように、霊魂が草葉の蔭からわれわれを見守っていたり、年に一度わが家に帰ってくるようなことはない。

六道(六趣)
・天上(神々の世界)
・人間(人類)
・阿修羅(神々の敵たる魔神)
・畜生(動物類)
・餓鬼(霊鬼、もとは死者の霊)
・地獄(奈落)

《下記参考文献より引用》
輪廻とは生死(しょうじ)ともいい、迷いの凡夫の状態にある間は善悪の業報に支配されて、善業をなした者はその報いとして天上や人間などの善趣(善道)に生まれて福楽を受け、悪業を犯した者はその報いとして地獄・餓鬼・畜生などの悪趣(悪道)に生まれて痛苦を受けるというように、…六道に生死輪廻するとされる。
《引用終わり》

三界
・欲界:禅定の効果があらわれない、欲をともなった日常的意識の世界。
・色界:禅定によって欲は除かれたが肉体をなお存している。
・無色界:肉体の束縛を離れた自由な精神のみ。


輪廻の世界における生存を「有」とよぶので、三界は三有とも称せられる。仏教の教理としては、輪廻は「有」という名でとばれるほうが多い。


三界の「有」を有らしめるはたらき。煩悩(惑)がひきおこすもの。業(カルマン)は行(サンスカーラ)と類似の概念で、仏典では混用される。身業・口業・意業、善業・悪業、福業・非福業・不動業、有漏業・無漏業、など。

煩悩(惑)
原語クレーシャは「汚すもの」の意。心を汚すものは煩悩に限らないけれども、そのすべての過程の大もとにあるところの心のはたらきが、とくに「汚れ」すなわち煩悩の名でよばれる。身体や言葉によって示される行為の背後にあって、それをあらしめるようなはたらきとしての心のはたらき。行為の根元にある心を大事と見る点で、仏教は一種の動機論に立つ。 貪・瞋・慢・癡(無明)・見・疑の六種を「六随眠」とか「六根本煩悩」とよぶ。

参考文献「仏教要語の基礎知識」
《つづく》



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「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナの著作」の「1中論」の「第10章」から「第20章」まで読みました。各章、好きな一文を抜き出します。

第10章.火と薪との考察
12.火は薪に依存してあるのではない。火は薪に依存しないであるのではない。薪は火に依存してあるのではない。薪は火に依存しないであるのではない。

第11章.前後の究極に関する考察
7.輪廻に以前の究極が存在しないというばかりでなく、結果と原因、また特質づけられるものと特質、さらに感受作用と感受主体、およびいかなるものであろうとも、あらゆるものに、以前の〔最初の〕究極は存在しない。

第12章.苦しみの考察
1.苦しみは<自らによって作られたものである>(自作:じさ)、<他によって作られたものである>(他作:たさ)、<両者によって作られたものである>(共作:ぐうさ)、<無因である>(無因作:むいんさ)と、ある人々は〔それぞれ〕主張する。しかるにそ〔の苦しみ〕は結果として成立するというのは正しくない
10.苦しみが〔つくられることについて〕〔上述の〕四種類が認められないばかりでなく、外にある諸事物の〔成立についても、上述の〕四種類は存在しない。

第13章.形成されたものの考察
5.それ(前の状態にあったもの)に<変化するという性質>が無い。また他のもの(のちの他の状態に達したもの)にも<変化するという性質>は適合しない。何となれば、青年は老いることがないから。またすでに老いた者はもはや老いることがないから。

第14章.集合の考察
1.見られる対象と見る作用と見る主体と、これらの三つはおのおの二つずつである(見られる対象と見る作用、見る作用と見る主体、見る主体と見られる対象)。しかし、それらは相互に全面的に集合するには至らない。
2.貪りの汚れと貪り汚れる主体と貪られる汚れた対象もまた、そのように見られるべきである。そのほかのもろもろの煩悩も、またそのほかの12の領域(十二処)も、この3つによって説明される。

第15章.<それ自体>(自性)の考察
4.さらに<それ自体>と<他のものであること>とを離れて、どこにもの(存在するもの)が成立しえようか。何となれば、<それ自体>や<他のものであること>が存在するからこそ、もの(存在するもの)が成立するのである。

第16章.繋縛と解脱との考察
8.要するに、束縛された者は解脱することがない。束縛されていない者も、解脱することはない。もしも束縛された者がいま現に解脱しつつあるのであるならば、束縛と解脱とは同時であるということになるであろう。

第17章.業と果報との考察
33.もろもろの煩悩も、もろもろの業も、もろもろの身体も、また行為主体(業を作る者)も、果報も、すべては蜃気楼のようなかたちのものであり、陽炎(かげろう)や夢に似ている。

第18章.アートマンの考察
5.業と煩悩とが滅びてなくなるから、解脱がある。業と煩悩とは分別思考から起こる。ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起こる。しかし戯論は空においては滅びる。

第19章.時の考察
6.もしも、なんらかのものに縁って時間があるのであるならば、そのものが無いのにどうして時間があろうか。しかるに、いかなるものも存在しない。どうして時間があるのであろうか。

第20章.原因と結果との考察
20.もしも原因と結果とが一つであるならば、生ずるもの(能生)と生ぜられるもの(所生)とが一体になってしまうであろう。また原因と結果とが別異であるならば、原因は原因ならざるものと等しくなってしまうであろう。

《つづく》

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