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「空海の風景」(中公文庫)
「『空海の風景』を旅する」の「第九章 東寺」を読みました。

当時NHKエンタープライズ21文化番組チーフプロデューサーの鎌倉英也さんの文章です。

《以下引用》
…現在は東寺塔頭宝菩提院住職を務める三浦俊良氏によれば、講堂内の二十一尊には序列がないという。…
二十一尊すべて大日如来の分身であり、『理趣釈経』が説く「悟りとはすべてのものが平等であるということを知ること」を具体的に示したものなのだ。宇宙の真理をあらわすという大日如来がなぜこのように様々な「分身」をとるのか。それは、これらの仏に向き合う人間に、声聞、縁覚、菩薩、如来という「悟」の世界にいたる可能性を教えるためであるという。人間は、地獄、餓鬼、畜生などの「迷」の世界に生まれ変わり、死に変わり、輪廻するだけの存在ではなく、すべて平等に悟りにいたる「仏性」を内に秘めている。その潜在的な「仏性」が、目の前にある大日如来の形のちがう様々な「分身」にも、それを見つめている自分自身にも、備わっていることを気づかせる配慮だという。
…《引用終わり》

東寺に行ってみたくなりました。

《以下引用》
…空海は東寺建設に同時並行して現実社会の中においても、みずからの平等主義を実践に移していった。828年(天長五年)に開設した「綜藝種智院」である。…まず「貴賎を論ぜず、貧富を看ず」と謳い、教育の機会均等を掲げる。…また教授内容においては、仏教、儒教、道教の三教を並べた。… 「綜藝種智院」とは、諸藝を綜合する学校、という意味に近い。狭い範囲の知識ばかりをいたずらに追求する専門学校ではなく、人間性を高める総合学校にしたいという意図がある。そのために空海は、みずからが僧侶であるという枠などたやすく乗り越え、仏教のみでも教育不十分とし、在俗の教師を入れて儒教や道教をも修める理想を掲げる。
当時の仏教界広しといえども、国家の最高学府に学んだ経験を持つ僧侶は空海しかいない。
空海が多方面にわたって独創的な発想を持つことができた背景に自分のこの経験があることは、かれ自身がいちばん自覚していただろう。
…《引用終わり》

長安をモデルにしているとはいえ、千年以上も前にこんなことを思い立つのはやはりすごい。

《以下引用》
…東寺建設においては、国家の力を「道具として」借り、みずからの理想を打ちたてようとした一方で、高野山においては国家の力を一切排除し、民間の人々とともに力を合せてこれを造り上げようという闘いに挑む。
…《引用終わり》

《つづく》