トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:木全徳裕

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第五章「子どもたちに夢を!」の後半を読みました。

「教育とは、魚の釣り方を教えるのであって、魚を与えることではない。」

この言葉、以前どこかで聴いて気に入っている言葉なのですが、この本にも出てきました。木全さんのオリジナルなのか分かりませんが。要するに、教育とは自立させることなのですね。

子どもがたくさんいて親も忙しかった昔は、子どもに手が回りませんでした。いちいちやってあげる余裕が無かった。だから自然と「あとは自分でやってみなさい」ということになったわけです。十分に与えられなかったから、釣り方を教えるしかなかった。

ところが少子化ということになると、魚を与えようとする人がたくさんいる。我が家でもそうですが、お爺ちゃんお婆ちゃんの子守りは与えることが主になりがちです。孫の可愛さは格別だそうですから、魚を与えてしまうことが優しさだと勘違いしまうのでしょう。

公文式は、読み書き計算という「釣り方」の訓練と言えます。自立を目指して、あるいは自分の目標に向かって、「釣り方」を習得するまでとにかく諦めずに頑張る。いち早くできるようになって、できなくて困っている人に教えてあげる。あるいは助けてあげる。そういう生き方が身につけば、最低限でも親としての務めを果たしたことになるんじゃないでしょうか?

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第四章「お母さんがたの疑問・質問にお答えして…」の後半と第五章「子どもたちに夢を!」の前半を読みました。

松下幸之助さんの「人生心得帖」からの引用がありました。その一部をさらに引用したいと思います。

《以下引用》私は、成功とは自らに与えられた天分を完全に生かしきり、使命を遂行することだと考えます。したがって、成功の姿は人によって皆異なります。ある人にとっては大臣になってその任を果たすことが成功となり、また、ある人には靴屋さんとして周囲の人に役立ち喜ばれることが成功になります。《引用終わり》

これを読んで、誰かの言葉(有名な小説の一節だったかもしれない)を思い出しました。「幸せな家庭はどこも皆同じに見えるのに、不幸せな家庭はどこも皆違って見える」…成功の形は人によって違うと言う松下さんと反対のようです。

私は、松下さんに軍配を上げますけどね。人それぞれ、皆違うんですよね。幸せな家庭が同じに見えるのは、他人の幸せなんて興味がないから詳しく話を聞かないだけでしょう。他人の不幸は隅々まで詳しく聞きたがるのが人情です。

松下さんの話は好きです。こういう考え方にうなづきながら、日本人は高度経済成長の道を歩んだなあ、と思います。でも、松下政経塾出身ですごい人だなあ〜という人には、まだお会いしたことがないです。

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第四章「お母さんがたの疑問・質問にお答えして…」の前半を読みました。公文式に対するお母さんがたの疑問に対するQ&Aがいくつか紹介されています。

本の内容からは離れますが、前回書いた礼儀正しさに関連することをテレビで見ましたので、書いておきます。

先日、所さんの「笑ってコラえて!」という番組を仕事先で見ていました。新潟のパティシエ専門学校の生徒さんが、最も尊敬するパティシエ鎧塚俊彦(トシ・ヨロイヅカ)さんに会って、指導してもらうというものでした。

技術は大切だけれども、土台がもっと大切。土台がしっかりしていれば、仕事を続けていくうちに技術はひとりでに身に付いてくる。土台というのは、掃除とか挨拶とか…そういう基本的なこと。あなたが本当にここに来たら、最初はお菓子作りなんかさせないよ。土台作りをしてもらう。それが出来てきたら、初めてお菓子に触らせてあげる。「やっとお菓子作りができる!」と思うから、お菓子にも愛情が湧いてくる。

というようなことをおっしゃっていました。いい話です。

公文式も、土台作りを意識することで生きてくると思います。最初に焦らず土台を固めることで、後からどんどんひとりでに力が付いてくるようです。

《つづく》

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木全徳裕さんの本からです。

有名なテニス選手の話。
「両親に試合の結果でとやかく言われることはなかった。親が自分を叱るときは、テニスに対して、あるいは相手選手に対して、態度が悪かったときだけだ。だから、試合中に無用なプレッシャーを感じることは一度もなかった」

これを読んで思い出したのは、海外で学校を建てた日本人校長の話。海外の雑誌に取り上げられたとかで、テレビに出ていました。こういう人はあまりいないと思うのでたぶんこの人だと思います。

その人がテレビで言っていました。実はこの人も「ゆとり教育」を提唱しているのですが、日本での「ゆとり教育」とは全然意味が違う。この人の「ゆとり教育」はしっかり学校で教え込むことなのです。そうすることで、学校を出てから「ゆとり」が生まれる。

しかも昔の日本のように、勉強よりも礼儀作法をまず教えるとのこと。礼儀が正しければ初めて会った人ともきちんとした人間関係を構築できる、ということだと思います。そうすれば、社会に出て無用なプレッシャーを感じることが少なく、真の意味のゆとりも生まれる。

最初に紹介したテニス選手の言う「プレッシャー」は、主に勝ちに執着する気持ちから生じるものを指しているのでしょうが、対戦相手とも気持よく握手ができるということも真の意味のゆとりであり、勝ち負けより大切なことでしょう。

勉強なんかできなくてもいい。人に迷惑さえかけなきゃいいんだ。欲を言えば、読み書きソロバン(計算)くらいはな…食っていけないと困るから。

昔の日本の親はそんなものだったと思うのですが、その精神が技術立国あるいは経済大国につながったと思うんです。

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第二章「素敵なお母様への道」の前半を読みました。

「遺伝か、環境か」という章がありました。エジソンの言を参考にすれば、遺伝は1%で環境が99%と言えるかもしれません。

毎日わが子を見ていると、「親(自分たち)に似ているな」と思うことは多々あるので、遺伝が1%というのは低すぎる気もします。が、離れて暮らしているならともかく、我が家は接している時間が多い方だと思いますから、私たちの背中を見て真似しているところがかなりあるのでしょう。

環境(遺伝以外の要素)が圧倒的に大きいと考えることは有益だと言えます。そう考えなければ、子どもの可能性は生まれながらに決まっているのだということになってしまうから。夢も希望も無くなってしまいます。

それは、教育がいかに重要であるか、ということでもあります。

その教育には、「結果ではなく過程の努力を認めてあげること」「認め、ほめ、励ますこと」そして「期待してあげること」が大切である!と書いてあります。

《つづく》

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木全徳裕さんの本からです。

インドの大学教授の話。
「国力を高めるには高いレベルの技術者が必要であり、数学があらゆる技術の基礎だという共通認識がある…高度な教育が行われ、激しい競争があるからこそ国際レベルで通用する技術者育っていく。カリキュラムをやさしくするなんて誰も考えないよ」落ちこぼれを出さないために敷居を低くする、という発想は普通思いつかないですね。ダメなことが目に見えている。最近、やっと見直しの機運があるようですが…

これは私見ですが、教育界で「偏差値」という指標を使っているということは、子どもたちの成績分布はおおよそ正規分布に従うと考えていることになります。落ちこぼれが出ないくらいにカリキュラムのレベルを下げるということは、あの尖ったクラゲのようなグラフの下の裾に合わせるということ。でも、あのグラフは無限遠までゼロにはならなかったはず。だから、「一人の落ちこぼれも出さない」ためには、無限にレベルを下げなければいけない。最終的には、カリキュラムを全廃すればいいことになります。国が教育を放棄することになる。

文科省の方々は頭のいい人ばかりなのでしょうけれど、教壇に立った経験がある人はどのくらいいるのでしょうか?頭が良くても経験がなければ素人です。数年の実務経験を義務化する必要があるんじゃないでしょうか。

「落ちこぼれが出ているから、目標レベルを下げる」という行為は、「厚生年金を算定するための標準報酬月額が改ざんされた話」と同じで、役人が自分の成績を上げるためだけにやる不正です。誰も幸せにならない。皆を不幸にし、国力を削ぐ行為です。

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14日から書いている木全徳裕さんの著書ですが、印象的なところがポツリポツリあるので、別枠で取り上げることにしました。

自分の子供を問題児扱いしているヒステリックなお母さんのことが書いてありました。木全さんは問題はお母さんの側にあると判断。お母さんの教育に取り掛かります。

「とことん、話し合おうじゃないですか!」と言って、3時間半に渡る議論の末、そのお母さんは「先生の言葉はしょせん理想論に過ぎません」と反発したとのこと。それに対して…

「確かに理想論かもしれません。でも、それができるようになりたいと思って努力していたら、半年、一年経って、ふと自分を振り返ったとき、子どもへの接し方のレベルが向上しているものなんです。…」

ここ、原文では太字になっていないのですが、気に入りました。前に人間とパソコンは似ているということを書きました。

パソコンは別のアプリケーションをインストールすれば、全く別の仕事をする機械に化けます。マイナーチェンジをダウンロードして、日々アップデートしています。

大きな脳を持っている人間も、思考を変えて、別のことに挑戦して、全く別人のようになることができます。それが、人間という種の最大の特長だと思います。教育の必要性・重要性もそこにある。

だから、いつでもいつまでもいくつになっても、理想に向かって進んでいなければ人間足りえない。理想を遠いところに置いたままにしていてはいけない。いくつになっても、理想に向かって、変化し続けなければいけない。少しでもいいから。

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第一章「子どもたちへの真の財産とは「教育」」を読みました。この章は問題提起ですね。今の日本の教育、これでいいのか!

チャレンジ精神がない。実現するまで夢を諦めないゾという気概がない。今の日本の若者、みんながそうでじゃないだろうけど憂えるべき現状です。挑戦心や忍耐力を育てて、自己肯定感を持たせることはできないのか…

インドでは、小学校低学年の間に[9×9]までのかけ算にとどまらず、[20×20]までを暗算で覚えさせる…数学の分野でも、日本と比べると…インドのほうが1〜2年、先に教えます。…インドの数学教育は、わが国の…文部科学省の新学習指導要領とは、まったく対極にあります。

そして今、インドの大学の卒業生は世界の企業から引く手あまたの状態というわけです。「落ちこぼれ」を出さないように学習量を減らすというのは、国としては自殺行為なんですね。

このことに気づき、実践し、成果を上げたのが、長岡藩の米百俵の話です。これをもう一度、思い起こさなければいけないところに来ているのですね。

《つづく》

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先月30日に鶴岡で講演された木全徳裕さんの著書です。公文式では会長の次に有名な方かもしれません。

教室を運営してきた経験、子どもたちやその親たちとのやり取りを熱っぽく語る講演は感動的で、30日の講演も私は楽しみにしていたのですが、結局少ししか聞けませんでした。子どもたちが暴れてしまったので外に連れ出していたのですぅ…

序章「未来をつくる仕事と出会って」を読みました。この本の副題も「“日々感動”の実践から生まれた教育論」ということで、感動に満ちた話がたくさん読めそうです。こういうのくすぐったくて読みにくいけど…まあ、たまにはいいでしょう。

こんなに感動するくらい仕事にのめり込めれば幸せだろうな…頑張ってみよう!


《つづく》

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