トトガノート

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Tag:方便

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結婚前に妻と話したことについて前にも書いたことがありますが、今でも思い出す言葉があります。

「絶対にバレない嘘ならついても構わない」

「浮気しても、バレなきゃいいってこと?」と聞くと、
「うん、だって同じでしょう?」
…絶対バレない嘘なら本当と同じ、という意味です…

その時は、面白いことを言う人だと思いました。でも、最近、深い言葉と思っています。(どっちかが不倫したということじゃないですよ!念のため)哲学的に深いということです。

客観的観察とはかなり主観的らしい。それは、影絵から元の姿を想像するようなもの。だから、同じものを見ていても、人によっていろんな姿を思い浮かべてしまう

こうなると、嘘が成立しない…

「黒を白と言う」という責めも、「黒は何か。白は何か。」という認識がバラバラな中では成立しません。嘘だとしてもバレることはなさそう。

…形而上学の世界では嘘はバレない?

ならば、相手に信じてもらえること、そして相手を幸せにすること、(つまり、バレてもいい嘘)を「本当」にすればいい。これは仏教的な「方便」を意識して書いているんですが、サンタクロースとか「千の風」とかが分かりやすい例かもしれません。

これは飽くまでも哲学的な話です。バレない嘘をつく野心は毛頭ありません。バレてもいい嘘とか、バレた方がいい嘘だけつくことにしています。女の勘には勝てませんから。

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第15章「人間の進歩・幸福に不可欠な「徳育と知育」」を読みました。

《以下引用》…これまで考慮の対象にならなかった重要な経験的要素として、時間の心理的な価値がある。幼年時代とそれ以後の時代とでは、時間の価値は同じではない。子どもにとっての一年は、生理学的にも心理学的な面でも大人の一年よりはるかに長い。十歳の子どもの一年は二十歳の大人の二年分に相当する。年齢がもっと低くなれば、この差はさらに大きくなる。
 三歳から七歳のあいだに流れる時間は、大人で言えば、おそらくは十五年から二十年にあたるだろう。ところで、将来の人生に起きる、あらゆる出来事に対応していくための精神的枠組み、とくに自分の道徳律を子どもが築き上げるのは、まさにこの時期と言える。だからこそ、生まれて数年のあいだに、かなりの量の知識が蓄えられていくのだ。親や教育者は、ぜひこの点を肝に銘じていただきたい。…《引用終わり》


著者のご専門はまさにこの部分です。生理学的時間を算出する方程式の考案者なのですから。そんなわけで、ここはメモらせていただきました。この定量化が妥当かはわかりませんが、早い時期の教育がいかに有効であるかは、子どもに接していると毎日気づくことがあります。

《以下引用》…基本的な原理は一つであっても、その提起のしかたや展開の方法は、学ぶ側の器にあわせなくてはならない。学ぶ側には、「教えの精神」を汲み取ってもらわねばならない。同じ言葉を使ったからといって、ポリネシア人や高校生や大学生に同じ結果をもたらすとはかぎらない。…《引用終わり》

この本は異教徒や途上国の人に対して侮蔑的な表現が多く、とても気になります。その辺は目をつぶって上の文章を読みますと、これって「方便」だよね!と思いました。

《つづく》

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「嘘をつくな!」ということですね。「ふもうご」を変換したら、「不毛後」となりました。「不毛後に嘘つくな!」となると「カツラはやめろ!」という状況を連想してしまいました(笑)。

小泉純一郎元首相が「音楽遍歴」という本を出しました。キャッチコピーは「真実のうそは感動的だ」。意味不明ですが、???と思わせて買わせる魂胆ですね。

嘘は何でもかんでもダメ!というほど、仏教は浅薄幼稚な教えではないと思います。「嘘も方便」の方便は元は仏教用語であり、人を助けるための手立てのひとつと解説されますが、要はその人のためについた嘘ですから。

賛否は分かれますが、癌の告知をしないことはその人のためを思ってつく嘘のひとつですね。私の知人でも、奥さんに告知しないで最期まで看護を続けた方がいらっしゃいます。「癌だとは告げなかったけれども、分かっていたようです。ある時から病気のことをピタリと聞かなくなったから。聞いたら私が困るということを知っていたんでしょう。妻はそういうヤツでした。」…何とも涙を誘う話です。

子供に夢を与えるメルヘンや、感動を生む物語(フィクション)はたくさんあります。これらは全て嘘。サンタクロースはかつてどこかに実在したかもしれないけれども、今の日本に本物はいません。でも、みんなが守り続けている嘘です。嘘も良いものと悪いものがあるということです。

人を騙すような嘘はいけないということですね。ばれた時に心が不毛になるような嘘はいけない。逆に、ばれた時に心が温かくなるような嘘ならば、許されると思います。

実際問題、子育てで一切嘘をつかなかったら、収拾がつきません。

《つづく》

如来寿量品第十六で、弥勒菩薩の問いに答えています。過去についてあまりはっきりと答えていないような気がするのですが、仏の教えはずっと昔からあったという意味なのかもしれません。そして、釈迦がいずれ亡くなると言ったけれどもそれは方便だったのだと告げます。

その方便とは…名医の子供たちが誤って毒薬を飲んでしまいました。父はその解毒となる妙薬を処方し子供たちに飲ませますが、毒がまわっておかしくなった子供は飲もうとしません。そこで、「私は死期が迫っている。この薬は良薬だから飲みなさい。」と言い残して旅に出ます。そして「父は死んだ」という使いを子供たちに送りました。頼るものがない孤児になったと思い込んだ子供たちは薬を飲みました。子らが苦しみから逃れたのを知り、父は帰りました。…例えるとこういうことです!という説明。

これは騙したことにはならないでしょう?と念を押した上で、これと同じ状況だから私も「もうすぐ死ぬって言ったんだよ。私はいつまでも滅びずにここにいる!けれども、方便で出たり消えたりするんだよ。」

分別功徳品第十七では、仏の寿命が永遠であることを信じることが大切であることを重ねて強調しています。五波羅蜜(六波羅蜜から智慧を除いたもの:布施・持戒・忍辱・精進・禅定)よりも、信じることの方がずっとずっと大切だと教えています。

随喜功徳品第十八では法を聞くこと、また一人でも多くの人に法を聞かせることが大変な功徳になると言っています。

私としては日々の行いを正すことの方が大切だと思っていたので、かなり意外です。

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脂肪燃焼に関して、有酸素運動を20分以上続けなければ効果がない!という噂が一時期流行りました。これを信じている人の多さに当時は驚いておりました。案の定、20分以下でも脂肪は燃焼するということが、あとで言い訳のように言われるようになりました。これも方便としては効果があったと思います。20分以上運動を続けなければ意味がない!と信じて頑張った人が多数いたでしょうから。

痩せたければ時間なんか気にせずにとにかく動けばいいんです。脂肪燃焼の燃焼効率を気にする前に、自分が消費すべきカロリーとそれを燃焼するための運動量を考えるべきです。実際問題、体重が減らないのなら、カロリーが過剰だということです。何分すればいいかなんて考える暇があったら汗をかいて動けよ!という人が当時いなかったのも不思議な話です。

長い目で見れば、基礎代謝の高い体を作るのが一番いいと思います。それには筋肉をつけること。筋肉をつける運動というのはメチャクチャきつい運動です。10回くらいしか動かせないような重〜いバーベルとかダンベルを使った運動をしなければいけません。20分も続けられるような軽い運動ではお話になりません。

女性の場合、いくら太りにくいと言っても筋肉隆々というのは嫌だという方が多いと思います。その場合は軽い運動を延々と続ける有酸素運動がいいということになります。長時間(90分超)の運動ではタンパク質の酸化(燃焼)が起こります。マラソンランナーに筋肉隆々の人がいないのはこのためでしょう。

「やっと持てる重〜いダンベルを使え!」とか「2時間くらい走ってろ!」とか最初から言ったら、誰も運動しようとは思わないでしょうね。だから、「20分以上の軽い運動」というフレーズはとても良かったのかもしれません。方便として。

そんなわけで筋肉痛を楽しみながら、ビリーをやっています。全身の血行が良くなっている感じが快感です。それでも運動量としてはまだまだ足りないと思っているのですが、テレビなどでは「この運動を毎日5回だけやれば大丈夫!」的な情報が多く聞かれます。全く理解できないところです。

見る方も「そんなに簡単に解消するわけないだろう」という気持ちでいるから問題はないのですが、医学博士ともあろうお方がそんなことをおっしゃっていいのか?ということが多々あります。

せめて、どういう人を対象に、どのくらいの期間実施し、何%の人にどの程度の効果があったか、というデータを明示して欲しい。「大丈夫」だけでは公共の電波を使って流す情報たりえないと思います。「これは嘘だな」とはっきりわかる番組がやっと摘発されて約一年。最近少しだけ良くなったような気はしますが…。

でも、体を動かすといってもトイレに行くくらい!というような方も世の中には結構いらっしゃるので、5回だけ動かすような運動もしないよりはいいかもしれません。中には、これをきっかけに運動をする習慣がつく人もいるかもしれない。

「嘘」ではなくて、これは「方便」なのだと解釈すべきなのかもしれません。「運動を始めてみようかな」という気持ちにさせるための方便。最初から「あなたが消費すべきカロリーは○○カロリー。ジョギングだったら○○分続けなければいけません。」なんて言ったら、超運動不足の人は絶対諦めますからね。

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