現実を「受けとめる」…

「受け入れる」のではないですから妥協ではありません。と言って、「受け付けない」のでもないですから拒否とか批判というわけでもありません。現実に対してニュートラルな態度です。

私の世代は、自分をはっきりと主張しなさいと学校では教育されました。友達からは、はっきり表現しないと「暗い」と言われ、「何を考えているか分からない」と気味悪がられました。

その成果が実を結んだということなのか、最近は、ニュートラルな態度は世間的には受けが悪い。即座に何らかの反応を示すことが良しとされるようです。より分かりやすい、激しいレスポンスの方が受けがいい。それが「面白い」レスポンスであれば「面白い人」と評価されるし、「適確」であれば「判断力のある人」と評価される風潮があるみたいです。

現実を「受け止める」…

最近、政治について特に感じます。ここ数年の政治を「受け入れる」なんてとてもできない。ニュートラルという選択肢が無いとすると、「受け付けない」、拒否、批判ということになります。風潮から、完全拒否・徹底批判が流行ります。

それが、政治の動きを鈍くしているだろうし、首相の任期を短くしているのかもしれません。もちろん、首相の舵取りが間違っている可能性もありますから、それ自体、悪いこととはいえませんが。

以前書きました国会はねじれていていいんじゃないか?という内容の記事は、政治を受け止めたいという思いから書いたものです。

細川政権辺りから、国会では、あからさまな数合わせが行われてきました。主義主張に全く関係のない連立です。当初行われた手法は、小さい政党をその党首を首相にしてやるという条件で連立を組ませるというものでした。細川さんとか村山さんとかですね。でも、仲がいいのは最初だけで、連立内で多数を占める自民党が結局幅を利かせ、首相は傀儡となっていく…。

鳩山政権も数合わせは変わりがなかったのですが、連立内で多数を占める民主党から首相が出たにも関わらず、紐がこんがらかった傀儡になってしまいました。何をしたいのか分からない奇妙な動きが目立ちました。

国民新党の活躍で、大きな借金を増やす巨大な予算になりました。郵政民営化も逆行しましたが、国民はそんなことにはあまり興味がないことが今回の選挙で示されました。

社民党の活躍で、もともと奇妙の動きをする首相の動きが、ますます奇妙になりました。沖縄の基地問題は、社民党が閣内にいなくても混迷が膨らんだでしょうが、社民党がこれを破裂させてくれました。

小沢一郎さんが一番活躍していただろうとは思いますけど、連立内で少数の政党が幅を利かせたというのが新しい動きではないかと思います。

参院選は、得票数では民主党が勝っていたらしいのですが、議席数で大敗するという結果になりました。得票数と議席数にねじれが生じるというのは選挙システムに問題があるのではないか?とも思うのですが、これでねじれ国会が実現したわけですからヨシとして、「受け止める」ことにしましょう。

みんなの党が脚光を浴びました。現在は連立を否定されているようですが、当初は「アジェンダの党なので民主党が丸呑みするなら連立するかも」というような態度でした。選挙で議席を増やしたとは言え、小さな政党であることに変わりがありません。小さな政党に牛耳られる連立政権が再び誕生するんだろうか…と思いました。

これ、ウイルスに似てるかな…と思います。自分よりもずっとずっと大きな細胞の中に入り込み、核内(閣内?)に入り込み、その細胞の振る舞いをコントロールしてしまう。

こういうのもありかなとも思います。ウイルスも悪いことばかりではないようですし。

その時その時で大きく変わる世論に対応するため、いろいろな少数政党がレトロウイルスの如く乱立して選挙に臨む。そこで多くの支持を受けた政党が、玉虫色の選挙公約(要するに全方位的政策)で多数の議席を獲得した与党の中に入り込み、政権の方向性を決める。

ポリシーだけの小さな政党と数だけの大きな政党が手を組む、という政党政治。もしもまた連立が誕生するようであれば、こんなふうに「受け止め」てみようかと思ってます。

閉塞しきった現実を「受け止める」こと、それは現時点から最善の一歩を踏み出すために最も必要なことのように思うのです。