トトガノート

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Tag:成仏

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第五章「成仏論」の第三節「成仏への方法」と第四節「成仏への階梯」の前半を読みました。

第三節では、三句(因、根、究竟)の思想が紹介されています。因は、宗教を目指す始まり心です。自分で勉強し修行し向上していく姿は立派なわけですが、それだけでは自己満足で終わってしまいます。根は、大衆みんなに御利益があるように願う、利他の心です。この自利と利他が二つセットで 究竟となる、と説いています。

第四節前半は、三劫と六無畏について。三劫は煩悩を分類したもので、六無畏は菩提心を分類したものだそうです。これは前出の十住心にも対応付けられます。

深い精神分析と、実践重視の理念と、整然とした体系…唸らずにはいられません。

《つづく》

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第五章「成仏論」の第一節「序説」と第二節「成仏への道」を読みました。

自己が自己に対して抱く矛盾による悩みは、人間として逃れられない宿命なのでしょう。その苦しみから這い上がろうとする気持ちが宗教的回心(発心)へとつながれば良い。

肉体的存在(因果に支配される自然的存在)と精神的存在(自由を求め因果の束縛から脱却しようとする価値的存在)という自己の中にある矛盾。そこでどんどん落ち込んでいくのではなく、そこを出発点として立ち上がるところに意味がある。それが言わば、人として「生きる意味」なのでしょう。

仏教では、発心あるいは発菩提心と呼びます。龍樹によれば菩提心は3つに分類されます。1は勝義心。一切の哲学や宗教の価値を批判し、智的に真の宗教思想を見出す心。自利のレベルです。2は行願心。一切衆生を我が身のように見て、普く救済しようという心。利他のレベル。3は密教独自のもので三摩地心。凡夫即仏の立場で実の如く自心を知るということ。

高校の倫理社会とか哲学は(難解なれど)面白かったのですが、勝義心のレベルで終わっているように思います。知情意として分類するなら知だけであり、自分だけが理解し高まればいいという感じがする。もちろん、深く勉強すれば更に深い境地はあるのかもしれないけれど。

真言密教にあっては、最初から智だけではダメで、実践が伴わなければダメ!ということが最初から声高に書いてある。智(頭デッカチ)は低いレベルに分類されます。そこが哲学と根本的に違うような気がしています。

《つづく》

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