トトガノート

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Tag:小乗仏教

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「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナの思想」の「4空の論理」を読みました。「中論」の第二章(第一〜第十七詩)に書かれている「運動の否定の論理」というのが「中論」の論法の基礎なのだそうです。

【運動の否定の論理】(三時門破または三世門破の論法)
「まず、すでに去ったものは、去らない。また未だ去らないものも去らない。さらに<すでに去ったもの>と<未だ去らないもの>とを離れた<現在去りつつあるもの>も去らない」

【その理由】
もしも「去りつつあるものが去る」ならば、主語の「去りつつあるもの」の中に含まれている「去」と、新たに述語として附加される「去」と二つの<去るはたらき>が付随することとなる。

去る主体を離れて去るはたらきはありえないから、二つの去るはたらきが付随するということは、二つの<去る主体>が付随することになる。

これはおかしいから、「去りつつあるものが去る」ということはいえない。

Q.E.D.(証明終わり)

以上、わかったようなわからないような…です。これが、前回の有部の「法有」という考え方を否定したことになるそうです。後でまた取り上げるみたいなので、それを待ちましょう。

前回、有部の「かた」の考え方はイデアみたいだと書いたのですが、著者もプラトーンの対話篇を持ち出しておりまして嬉しいです。

運動の否定の論理に関しては、ギリシアのゼーノーンの論証を比較しています。「アキレスは亀に追いつけない」というパラドクスですね。

《つづく》

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「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナの思想」の「3論争の相手」を読みました。ナーガールジュナの主著「中論」は攻撃的な口調で書かれていて、論敵がいることが明らかなのだそうです。その論敵と目されるのが「説一切有部」。小乗仏教の一派で、最大の社会的勢力を持っていたそうです。敵を知ることで、ナーガールジュナの思想も際立ってくるだろうというわけです。

有部の思想は、「一切の実有なる法体が三世において恒有である(三世実有、法体恒有)」ということだそうですが、4つに分けて考察しています。

1.「法」および「法体」を有部はいかに解したか。
2.「実有」とはいかなる意味か。
3.「一切」とはいかなる意味か。
4.「三世において恒有である」とはいかなる意味か。

1.「法」および「法体」を有部はいかに解したか。

《以下引用》…法とは「きまり」「軌範」「理法」というのが原義であるといわれている。そうしてこれはインド一般に通ずる用例であり、これがもととなってさらに種々の意義がこの語に附加されている。…法の原義は「きまり」「法則」「軌範」であるのに、何故後世、伝統的に「もの」と解釈されるに至ったのであろうか。…《引用終わり》

これは私も不思議に思っていました。

《以下引用》…法とは一切の存在の軌範となって、存在をその特殊性において、成立せしめるところの「かた」であり、法そのものは超時間的に存在する。この解釈は「理法」「軌範」という語源的な解釈とも一致する。法は自然的存在の「かた」であるから自然的事物と同一視することはできない。…《引用終わり》

イデアみたいなものでしょうか…

《以下引用》…個々の存在はたえず変化し生滅するが、それの「ありかた」としての「感受されてあること一般」は変化しないものではなかろうか。すなわち法としての「受」はより高次の領域において有るはずである。存在はつねに時間的に存するが、法は、「それ自身の本質(自相)を持つ」ものとしてより高次の領域において有るから、超時間的に妥当する。かくして法は有る、すなわち実在する、とされた。…《引用終わり》

2.「実有」とはいかなる意味か。

・実有とは、時間的空間的規定を受けている自然的存在を可能ならしめる「かた」としての法に関してのみいわれうる。この点で、「仮有」(男、女、瓶、衣、軍、林、などの自然的存在)、「名有」(自然的存在の中に対象を見出しえないもの亀の毛や兎の角のようなもの)、「和合有」(プドガラ:実有なる五蘊の仮の和合に名付けたもの。相待有を特に空間的に限定したもの)と区別される。

・法は自然的存在の「ありかた」であるから、他に依存せず、独立している。故に「相待有」(長と短、これとかれのように相関関係において存する有。例えば、より短いものと比べれば長となるが、より長いものと比べれば短となってしまう)と区別される。

3.「一切」とはいかなる意味か。

・「一切有」とは「一切の方が実有」という意味。法ならざるもの、つまり名有、和合有、仮有は、「一切」の中に含まれない。

4.「三世において恒有である」とはいかなる意味か。

・「かた」としての純粋の法が先になくて後からできたり、先にあって後になくなるということはありえない。自然的存在は過去未来において存在しないが、「法」は三世において存する。

《つづく》

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「?.ナーガールジュナの思想」の「1.大乗仏教の思想」「2.空観はニヒリズムか」を読みました。大乗仏教と旧来の仏教との比較(当時の情勢)が書いてあります。

《以下引用》…まず第一に、旧来の諸派は、たとえ変容されていたとしても、歴史的人物としてのゴーダマの直接の教示に近い聖典を伝えて、伝統的な教理をほぼ忠実に保存している。これに反して大乗仏教は全然あらたに経典を創作した。そこに現れる釈尊は、歴史的人物というよりもむしろ理想的存在として描かれている。…《引用終わり》

ここでお釈迦さまが超人化したんですね…

《以下引用》…第二に旧来の仏教諸派は国王・藩候・富豪などの政治的・経済的援助を受け、広大な荘園を所有し、その社会的基盤の上に存立していた。ところがこれに反して大乗仏教は、少なくとも初期の間は、民衆の間からもり上がった宗教運動であり、荘園を所有していなかった。…富者が寺塔を建立し莫大な富を布施することは非常に功徳の多いことであるが、しかし経典を読誦・書写し信受することのほうが、比較にならぬほどはるかに功徳が多いといって、経典の読誦を勧めている。…《引用終わり》

法華経とか大乗起信論などでも、「この本を読むことが他の本を読むよりもずっとずっと功徳がある」という自画自賛的な表現があって、私はこれが嫌なんですけど、歴史的背景に由来するようですね。

《以下引用》…大乗仏教においては、三世十方にわたって無数に多くの諸仏の出世および存在を明かすに至った。諸仏の中でも阿閦仏・阿弥陀仏・薬師如来などがとくに熱烈な信仰を受けた。また、菩薩も超人化されて、その救済力が強調された。弥勒菩薩・観世音菩薩・文殊菩薩・普賢菩薩などはとくにその著しいものである。かれらは衆生を救うためには種々なる身を現じてこの世に生まれてくる。そうして衆生に対する慈悲ゆえに自らはニルヴァーナ(さとりの境地)の入ることもない。…《引用終わり》

平泉が表現している浄土は薬師如来の浄土だと聞いたことがありますが、阿弥陀仏の極楽の他に、阿閦仏の妙喜国、弥勒菩薩の兜卒天などもあるようです。

《以下引用》…大乗経典は、それ以前に民衆の間で愛好されていた仏教説話に準拠し、あるいは仏伝から取材し、戯曲的構想をとりながら、その奥に深い哲学的意義を寓せしめ、しかも一般民衆の好みに合うように作製された宗教的文芸作品である。…《引用終わり》

その最も典型的なものが法華経のようです。以下の引用を見るとわかります。

《以下引用》…大乗仏教徒は、小乗仏教徒を極力攻撃しているけれども、思想史的現実に即していうならば、仏教の内の種々の教説はいずれもその存在意義を有するものであるといわねばならない。この道理を戯曲的構想と文芸的形式をかりて明瞭に表現した経典が『法華経』である。…従来これらの三乗(声聞乗(釈尊の教えを聞いて忠実に実践すること)・縁覚乗(ひとりでさとりを開く実践)・菩薩乗(自利利他をめざす大乗の実践))は、一般に別々の教えとみなされていたが、それは皮相の見解であって、いずれも仏が衆生を導くための方便として説いたものであり、真実には一乗法あるのみである、という。…法華経の宥和的態度はさらに発展して、『大薩遮尼乾子所説教』や『大般涅槃経』においては、仏教外の異端説にもその存在意義を認めるに至った。…《引用終わり》

ほう…、涅槃経というのにもちょっと興味が出てきました。

《つづく》

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