トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:実験

ブログネタ
★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
「どんなことをしてでも伸ばしてやる」(1979年)
「可能性への挑戦」(1979年)
「創造性を高める公文式」(1979年)
「公文式の価値の認識(しりかた)」(1980年)
上記4編を読みました。

以前、公文さん自らが公文式のことを「実験」と呼ぶことに奇異な感じがすることを書きましたが、最初の20年間は「実験」の期間と設定していたようです。それが、1978年まで。今回読んだ文章は、この実験期間が明けてから書かれたものになります。

「幼児期は、勉強は理屈だとは思わせずに、作業だと思わせろ」的なことが書いてありました。そうかもしれません。幼児期を過ぎても、勉強というのは問題を解くという作業そのものか、それができるようになるための努力です。

うちの娘たちも幼児用の教材を少しずつやっていますが、線をなぞるだけのプリントとか、書いてある動物の絵を数えるだけのプリントを次々とやっています。それはまさに「問題を解いている」というよりは「作業をしている」という表現が的確です。

それで身につくのかということですが、公文とは全く関係ない絵本を見ているときに、私が何も言わないのに、「1,2,3,4,…」と数えて「6匹いるな」なんて言うようになっている。

それが創造性につながるかどうかは、まだわかりません。が、やっただけのことは確かにあるようです。

《つづく》

 学生時代のことです。「理論が正しいかどうかを実験で検証するのだ」と工学部の人に話したら、「えっ?それって逆じゃないですか?実験がどれだけうまくいったかを理論と比較するんじゃないですか?」と驚かれたことがありました。

 確かに、学生が実験の演習をしている段階であれば、実験がうまくいったかどうかを評価するには実験結果と理論値の比較をします。この場合は理論が神様(評価の絶対的基準)になります。でも、本来は実験が神様のはずです。現実にマッチしない理論など、どんなに綺麗な数式で表されていても何の意味もありません。

 自然科学でさえそうなのですから、その他の分野においてはなおさらだと思います。理論は頭に入れておくべきですが参考程度とすべきで、現実が全てであり何よりも大切です。

 専門家が子供やお年寄りを理屈にあてはめようとするというのも、こういう本末転倒の一例なのでしょう。

「うろん語」第二巻目次(その1)を見る

↑このページのトップヘ