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「空海の風景」(中公文庫)
「上巻の二」を読みました。

来年は平城遷都1300年だそうですが、実際に都が置かれたのは74年間。1300という数字と比べると見劣りがします。でも、ポンポンとお家を建て替えるが如く都を移っていくところに、当時の朝廷の権力の強さを感じます。今の高速道路に相当する古代道というのもあったようです。

元明天皇の詔から、平城京遷都は官僚主導で行われたと推察されるそうです。しかし、長岡京遷都は政治主導だったらしい…つい最近の話のように錯覚しそうでさえあります。

桓武天皇は『創意と行動力という点では多分に英雄的資質をもっているかもしれないが、反面子供っぽい性格をもち、子供が物事をやりちらすように諸事業をおこしたり、継続事業を断ち切ったり、皇太子を廃したり、なにやかやで、これがために官僚たちはふりまわされ、さらには世間が無用に混乱したりした。』と紹介されています。

今の政権交代もこんなふうにならなければいいのですが…この『独裁者』の思いたちで、奈良の平城京から長岡京への遷都が進められます。この移行期、中央の大学の「学生」(がくしょう)となった若き空海は、二つの都を行ったり来たりしながら学びました。

叔父の阿刀大足の手配で身分不相応の厚遇を受け、高級官僚養成課とも言うべき明経科に進学します。超エリートの出世コースなわけですが…

《以下引用》
…結局は、この創造力にあふれた少年は、ぼう大なもろもろの注疏の暗誦をしていっさい創意がゆるされないという知的煉獄にあえぎ、沙上で渇えた者が水を求めに奔るようにしてそこから脱出するにいたる。この知的創造を抑圧された煉獄のはてにきらびやかな代償としてあたえられるものが栄達であったが、しかしながらいったんこれを契機に疑問をいだけば、いったいそういう栄達が人間にとって何であるかという、渇者のみがもつ思考の次元にゆかざるをえない。しかも大学明経科において百万語の注を暗誦したところで、そこで説かれているものは極言すれば具体的な儀礼をふくめた処世の作法というものでしかなく、人間とはなにかという課題にはいっさい答えていないのである。経学は儒学の基幹ではあったが、ひとたびそれに疑問をもち、そこから跳ねあがって宇宙の課題のほうへ心をうばわれた場合、…儒学や儒者の世界が古ぼけた人形の列をみるように色あせてみえ、それを学ぶことによって支配者の下僚として世間を支配する方法は習得できるにしても、人間と宇宙を成り立たしめている真実や真理などはすこしも語られていないように思えてしまうのである。…
《引用終わり》

「人間とは何か」という最も根元的問題は、探っても探っても埒の開かない底無し沼のようです。若くしてはまり込んでしまうと、一生抜け出せない危険をもはらんでいる。でも、空海は違っていました。

《以下引用》
…空海における真言密教の中には型どおりの仏教的厭世観は淡水の塩気ほどもない。それが無いという機微のなかにこそ釈迦がはじめた仏教の伝統と異なったものがあるとみるべきであろう。むしろ人間がなまのままで、というよりなまであればこそ、たとえば性欲をもったままで、というより性欲があればこそ即身で成仏でき、しかも成仏したまま浮世で暮らすことができるというあたらしい体系なのである。これのみでそう考えるわけでもないが、空海は気質的な厭世家ではなかった。その証拠はいくつもあり、すくなくとものちに空海が大学をすてて無名の私度僧になったというのは厭世が契機ではない。むしろ空海は厭世家をばかにしたであろう。…
《引用終わり》

浅学の私の印象ですが、空海には猛烈な積極性を感じます。法然や親鸞のような「諦め」のようなものを全く感じない。それでいて、日蓮のような危なっかしさもない。

先を読むと、また変わるかもしれませんけど…。

《つづく》