10月21日に、天野秀昭さんの講演を聴いてきました。日本最初のプレイリーダーということで、東根のあそびあランドの最大のアドバイザーと言っていいかと思います。私としても、いろんなヒントを頂きました。講演内容をメモっていたわけではないので、私の記憶違いもあるかと思いますが、天野さんに興味のある方は御著書などをご覧頂けたらと思います。ここには、天野さんの講演を聴いて私が考えたことを書きます。

講演は「遊び」の定義から始まりました。記憶に残っているのは3つ。
1.自分から好んで行うものであること
2.効率は求めないこと
3.結果は自分で評価できること

この3条件はなるほどと思いました。子どもであれば学校、大人であれば職場で求められることのネガにあたると思います。昨日の話の「自由」の内容を細分化したものと言えるかもしれません。

1.では、自分からやりたいと思ってやる「おにごっこ」なら「遊び」だけれども、無理に誘われたり先生からやりなさいと言われてやる「おにごっこ」は「遊び」ではない、という説明がありました。

でも、仕事はどうでしょう。喜んで楽しくやっている場合もあるでしょうが、「やりたくなくてもやらなきゃいけないもの」という側面は必ずあります。「余り好きじゃない人たちと、嫌いな人の指示に従って行う」場合も往々にしてあります。

2.では、「材料を無駄に使わない」とか「できるだけ短時間で行う」といった制約がないということですが、逆に、こういう制約がない仕事なんて考えられません。最近の子どもの場合、何か作るにしても材料は買わないといけない場合が多い(リサイクル工作とか言っても材料全部揃えるためには多少の金がかかる)し、習い事のスケジュールが押していたりするので、効率性という制約が生じてしまうことが多いようです。

3.では、最初作ろうとしていたものと違うものができてしまっても、「これでもいいや」と自分が満足できればOKということ。最初の目標設定から自分自身によるものですから、成り行きでどんどん目標が変化していって構わないわけです。そして、最終的に自己満足の状態で終れればそれで良い。仕事では絶対にこれは有り得ないし、学校でも目標達成度に応じて評価されるのが普通です。

天野さんが脳について少しだけ話をしたので思ったのですが、この「遊び」は「哺乳類の脳」と呼ばれる旧皮質が活性化する活動のような気がします。そして、これとは真逆の、ネガに相当する「仕事」は、新皮質の前頭前野がコントロールすることで成り立っていくのでしょう。

胎児は生まれてくるまでに進化の過程を繰り返します。ですから、旧皮質の健全な発育のあとに新皮質の発育が来ると考えるのが自然でしょう。子どものうちに「遊び」の部分をきちんと構築しておかなければいけないのかもしれません。

小さいうちなら、サンタクロースや宇宙人に夢中になるのが許されるように、子どものうちなら「遊び」が許される。いつまでもそれをやっていると、「もういい加減オトナになろうよ」と言われたりするわけですが。

ただ、オトナは遊んじゃダメということではありません。「趣味」の部分でヤンチャなオトナはたくさんいます。さらに言えば、「仕事」に「遊び」を取り入れることも可能性としては有ります。

かく言う私、脱サラしたのはそこなんじゃないかと思います。自営ならば、気乗りしない仕事は敬遠することができます。効率という点でも自分のこだわりを押し通すことは可能です。さらには目標設定さえ、自分で修正が随時可能です。もちろん、これをやり過ぎれば食べていけなくなりますが…。それでも、「遊び」が少しでもあれば、「仕事」はかなり楽しいのです。売れっ子の芸術家とかなら、かなり「遊び」が許されるでしょう。「趣味が仕事」という羨ましい状態。

会社でも、そういう試みは見られますね。日常の業務にゲーミフィケーション(Gamification)を取り入れている会社がテレビで紹介されていました(一年半前にも同様のこと書いてました)。

そう考えると、必ずしも「仕事」と「遊び」は対極にあるものではなく、「仕事」に「遊び」の要素を取り入れることはアリで、運が良ければ「仕事」がそっくり「遊び」になることも有り得るわけなのです。「好きなことで、生きていく」という状態ですね。もちろん、それを夢見て痛い目に遭った人もたくさんいるのでしょうが。

だから、「勉強」に「遊び」を入れることも可能なはずです。頭書の3条件を加味できれば、「勉強が面白くてたまらない」という状態が実現できるかもしれません。