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「空海の風景」(中公文庫)
「上巻の十二」を読みました。

長安に向かって、大変な旅路でした。悪路をスプリングの無い馬車を飛ばして進みます。しかも、「星ニ発シ、星ニ宿ス」ということなので、ほとんど休憩の無い強行軍。衛生上の問題もあって、赤痢に罹る人もいたようです。そんな中でも、空海は超人ぶりを発揮します。

一行が長安の入り口にたどり着いたのが12月21日。そこで、最澄が乗った第二船の人々は11月15日に長安入りしたことを知る。

《以下引用》…
空海は、最澄の消息について知りたかった。
かれは趙忠のそばに寄り、長安の官話で話しかけた、かと思われる。趙忠はこの僧がうつくしい音で喋ることにおどろき、汝ハ我国ニ曾テ遊ビシヤ、ときいたであろう。空海はワレハジメテ入ル、と答えたにちがいない。…
「その僧は、長安には入らなかった。かれは一行とともに明州に上陸したが、疲労はなはだしく、しばらく医者の手当をうけて休養した。そのあと一行は長安にむかったが、最澄とその随行の僧のみは明州で別れ、そこから天台山にむかった」
と、答えた。
なるほど最澄のめざすところは長安ではない。目的が天台の教学と経典の招来であったために、天台山に直行するのが当然であった。天台山は台州にある。明州から台州へは十日ほどで行ける。となれば最澄はすでにその教学の伝授をうける作業に入っているはずであった。空海はそれをきいてあせりを感じたかどうか。
あるいは、長安の華美を見ようともせず明州から台州へ直行した最澄の生真面目さに内心おどろいたかもしれない。
《引用終わり》

最澄は辺地の密教を少しばかり習ってきたということでしたが、こういう経緯だったようです。

《つづく》