トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:因果関係

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公文式の国語の教材E2についてです。

・「行動や気持ち」「事実や考え・意見」「因果関係」などに着目し、文章中の様々な関係を把握する力を養います。
・漢字は小5配当の86字の総まとめ。

すいせん図書は、
E-1「注文の多い料理店」
E-2「キャプテンはつらいぜ」
E-3「マヤの一生」
E-4「星と伝説」
E-5「一ふさのぶどう」
E-6「空気がなくなる日」
E-9「きまぐれロボット」
E-10「リトルバンパイア1リュディガーとアントン」
E-15「生物の消えた島」
E-16「大造じいさんとガン」
E-18「ふしぎの国のアリス」
E-35「アルバートおじさんの時間と空間の旅」
E-40「富士山の大研究」
E-43「怪人二十面相」
E-45「コンチキ号漂流記」
E-47「アイスマン 5000年前からきた男」
E-50「ガラスのうさぎ」
F-4「大草原の小さな家」
F-5「ビルマの竪琴」
が使われています。

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科学 に参加中!
第2章「科学はどこまで人間の「味方」になれるか」を読みました。

前の章の内容を言い換えていると思われる部分をまず引用しましょう。

《以下引用》…人間―受信機であり記録道具であり調整器である人間―が存在しなければ、人間の科学が構成しているさまざまな現象も独立した現象としては存在しない。宇宙にはあらゆる種類と大きさの波長があり、そのごくわずかなものだけが感覚によって光、熱、音などに変わる。また、存在する原子や分子、すなわち物質は、神経の末端にふれると、大脳の中で「質」―つまり硬さ、軟らかさ、味覚、においなどと呼ばれる印象を生むが、この印象は対象となる物質の中には存在せず、わたしたちの神経系統が自然に反応したための産物なのである。…《引用終わり》

次に真理追及に関して、考察しています。良心的で賢い観察者が人間社会を司る法則を研究しようとした場合の例です。彼は世界の国々を旅行したあとで、全ての社会に共通する要素である「人間」そのものを調べようとします。人間の集団を支配する法則を見つけるために、個々の人間を研究し始めます。でも、これは後戻りできない境界線を越えたことになります。群集心理は個々人の心理からは推し量れないものだから…

次に彼は、個々の人間の行動の原因を探るためには人体解剖学や生理学の研究が欠かせない、と考える。これは後戻りできない二つ目の境界線になります。生理学をひも解けば生化学にたどりつき、第三の境界線を越えます。生化学の細部を理解するために無機化学を取り上げることになり、これが第四の境界線です。そして更には、分子から原子、陽子、電子へと首を突っ込むことになります。

《以下引用》…彼が逆戻りできないのは、わたしたちの観察基準(つまり人の神経系統におよぼす原子の作用の結果)では原子の「特性」とその電子構造とが結び付けられてこなかったためであり、原子の「特性」が分子の「特性」と結びつくこともあり得ないからだ。…生命の特性は、生命をもたない物質の特性とは結び付かず、人の思考や心理は、生命をもつ物質の物理−化学的、生物学的な特性からは導き出せない。だからこそ彼は出発点に戻れないのである。言い換えると科学者は、ある一つの観察基準から別の基準に移ることによって、新しいさまざまな現象を発見する。しかしそのために、そもそもの目標からはますます遠ざかってしまうのである。《引用終わり》

悲しいマラソンですね…

《以下引用》…自然には、異なる観察基準がいくつもあるわけではない。あるのはたった一つの、巨大で調和のとれた現象だけだ。だが、それをはかる基準を人間の脳の構造が勝手気ままに分割し、ばらばらに切り刻んでしまうため、一般には把握されなくなっているのである。…宇宙の進化の歴史には、いや、むしろその歴史に対する人間の解釈には、最初から一貫性などないことを、読者のみなさんに覚えておいてもらいたかった…その点を忘れなければ、まず「生命」の研究をするうえで、ついで「人間」の研究に取り組む際に出会う他のさまざまな断絶をも受け入れる心構えができるようになるのである。…《引用終わり》

よく物理嫌いの人が「物理なんて私たちの生活に何の役にも立たないじゃないの!」と言うのですが、こういう人の方がノーベル物理学賞を受賞するような人よりも物理を理解しているのかも知れない…

科学が最も大事にする「再現性」についても、偶然の可能性があることを指摘しています。

《以下引用》…生命保険会社や火災保険会社は、一年に平均して何人が死亡し、何軒の家屋が火災にあうかという統計の上に成り立っている。ある条件のもとで数百万の住民が暮らしていた場合、その条件が年ごとに激変しないかぎり、年間の死者数はほとんど変わらない。…《引用終わり》

科学が物質の中に法則性を見出し、現象を予測することができるのは、その物質が数かぎりない粒子によって構成されていて、その粒子群は偶然の法則のみにしたがって運動しているからだ!と指摘しています。つまり、そういう場合にのみ、科学は有効である…

最近、常温超電導とか量子コンピューターとか、これまでの常識では考えられなかった技術が現実化しているのは、偶然とは呼べない環境に物質を置いたり、数少ない粒子で構成される物質を作ったりできるまでに技術が進んだということかもしれませんが…

つまり科学の常識ですら、いくらでも覆り得るということですね。いい意味でも悪い意味でも。保険会社の経営破綻と同じ理屈で!?

《つづく》
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おすすめの本 に参加中!
第一章「人間にとって「宇宙」とは何か」を読みました。

毎日、人様に針を刺しておりまして感じるのは、人間の感覚が大雑把だということです。針を刺されて患者さんが痛みを感じるのは稀なのですが、これは痛点に当たらなければ基本的には痛みを感じないからだと思います。

この本で紹介されていない例をもう少し挙げますと、私たちの目が感じ取れる光の周波数は可視光と呼ばれる範囲で、全ての光(電磁波)から見ればごく一部です。耳が感じ取る音の周波数もしかり。

《以下引用》…ものごとを直接的、表面的に検討しただけでは、見たり聞いたりしたものと現実とが一致するという結論は出せない。感覚的な生の印象を訂正し、感覚から受ける情報にもとづいて主観的な考えとは正反対の、外界と呼ばれる客観的世界に一致する映像を大脳の中に描くためには、理論と経験の助けが必要となってくる。…《引用終わり》

「痛み」という基本的な感覚にさえ脳がかなり介入しているということは以前も書きました。単純に「見た」とか「聞いた」ということにさえ、脳による主観的な処理が施されている。客観性を何よりも大切にしている「科学」が根底からグラつく余地がここにあります。「そうだとしたら私たちがやってきたことは全て崩れてしまうので、そうではないと信じるしかない」というのが、科学者の正直な気持ちでしょう。これを認める勇気を持っているかどうかが、本当の科学者かどうかの試金石だと私は思ってますけど。

《以下引用》…多くの人たちは…理路整然としたものの考え方、なかでも数学的な考え方はつねに「真実」だ、と誤解している。わたしたちは人間の思考のプロセスを疑ってかかる必要がある。というのも、なによりもその出発点が感覚にもとづく観察(したがって、疑わしい観察)や、常識にもとづいた観察である場合が多いからだ。…《引用終わり》

さすが、当時最高の生理学者です。私たちが滅多に疑わない「原因」とか「因果関係」という考え方についても、大砲を例に以下のような考察をしています。

《以下引用》…砲弾は、小さな雷管があるから発射されるのだろうか、それとも発射紐を引く兵士の手の動きが原因なのだろうか?…火薬をつくった労働者、火薬を発明した化学者、火薬工場を建てた人間、そこに資金を援助した資本家、その両親や祖父母を責めることはできない相談だろう。しかしそれでも彼らは、そして大砲の製造に手を貸した人たちは、それぞれに責任の一端をになっており、その責任はしだいに薄くなるとはいえ完全に消えることなく、世界の起源にまでさかのぼっていくのである。…《引用終わり》

因果関係というものを厳密に考えていくと、宇宙の起源まで辿らなければいけなくなる。責任問題になったときこの論法を使えば、宇宙の果てまで責任転嫁できてしまいますね。成功したときの功績を考える時には、功労者が宇宙全体になってしまう。それだけ、宇宙全体が不可分ということなのかもしれない…

《以下引用》…人間という立場からすれば現象を生み出しているのは観察基準だ。この基準を変えるごとに、私たちは新しい現象に直面することになる。…《引用終わり》

これについては、白い粉と黒い粉を混ぜ合わせると人間にはグレーの粉末に見えるかも知れないけれど、小さな虫には白い粒と黒い粒しか見えなくて、グレーの粒などどこにも見えないはずだ!という例えが紹介されています。

いくら文明が進もうとも、その時の基準の限界が見えて、それを打破して新しい基準を獲得したとき、コペルニクス的転回が起こり…パラダイムシフトが起こり…目からウロコが落ちる。人類の歴史は、人類滅亡までこれを何度も繰り返すだけなのでしょうね…。

《つづく》
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最近、爆笑問題が面白いなあと思っています。特に「爆笑問題のニッポンの教養」という番組。と言っても最初から最後まで見れたことは一度もないのですが。福岡伸一先生はいいことおっしゃいますね。

新年の特番もたまたま目にしたのですが、福岡先生も出演されていて「科学は因果関係と相関関係を混同している」というような発言をされました。人間なんて相関関係しかわからないのに、因果関係を解明したような気になっている!というような指摘でした。全く素晴らしい!というか、全く同感です。

以下は私の考えです…

例えば「リンゴが木から落ちるのを見て引力を発見した」という話。これは落体の法則性を発見したのであって、物が落ちるメカニズムを解明したわけではありません。全くわかっていません。だから、因果関係も全然わかっていないんです。

わかっているのは「リンゴを木の枝から切り離す」と、その後に「リンゴが落ちる」という現象がほぼ確実に発生するということだけ。その落下のスピードが、ある方程式で計算した数値に非常に近いものになることが多いということだけ。

因果関係がわかっていないから、「明日から地球の重力が無くなるよ!」と言われてもそれをはっきり否定する根拠を我々は持ち合わせていないんですね。

明日から科学は全く意味を成さなくなるかもしれない。理系の学生が聞いたら勉強する気がなくなるかもしれない。理科大嫌いの人は大喜びするかもしれない。でも、これが本当のところだと思いますよ。

《つづく》
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