トトガノート

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Tag:善無畏

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「?.両部の相承」の「一.恵果和尚」「二.真言と天台」を読みました。

恵果和尚は746年に長安の東方の郊外で生まれました。これは、師となる不空がインド・スリランカの旅行を終えて、長安に戻ってきた年です。9歳の時に不空の門弟だった曇貞和尚に師事し、遅くとも17歳のころには不空に師事していました。22歳のころには、不空より「金剛頂経」系の密教、善無畏の弟子の玄超和上から「大日経」系と「蘇悉地経」系の密教を授かったことになっています。

不空は多くの弟子を抱えていたので、恵果は優秀ながらも弟子たちの中では若い方だったので目立たない存在だったようです。28歳のころに不空を失い、兄弟子たちが亡くなっていく中でしだいに活躍の場を広げ、師不空の鎮護国家の路線を踏襲していきます。

当時の長安は東西の文化を集めた国際都市でしたから、ジャワ,朝鮮,インドなどから恵果の下に訪れる僧がおりました。日本から訪れたのが空海(31歳)です。59歳で病床にあった恵果は即座に空海の才能を見抜き、病をおして密教の奥義を授けました。亡くなったのは、空海と出会ってわずか半年後。

両部一具(金剛界系と胎蔵系の金胎両部を同等に見て、対にして捉える)の考え方は恵果に始まり、空海へと受け継がれていきました。

最澄は、空海と同じ804年に入唐していますが、密教に対する関心は余り高くなく、天台・戒・禅とともに付加的に密教も習ってきました。ところが、帰国して桓武天皇から求められたのは密教でした。この時代の要請に対応した形で、天台宗の中に密教専攻部門(遮那業)を渋々設けたようです。

一方の空海は、 善無畏訳の経典に基づく「虚空蔵法」と善無畏・一行訳の「大日経」を読んで、密教に猛烈な関心を持って入唐しています。最澄が習った密教は辺地の密教でしたが、空海は都長安で習っています。内容・質の面での両者の開きは大きいようです。

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「?.大日経の相承」の「二.一行禅師」を読みました。
今回は一行禅師さまです。

683年に唐で生まれました。小さい時から記憶力が抜群で、しかも勉強熱心なため、いろんなことに通じていたようです。特に当時盛んだった道教を有名な道士に付いて勉強しました。ところが21歳の時に両親を失い、禅師について出家しました。ここでも才能を発揮し、奥義に達する。その後、律や天台についても学ぶ。

34歳のころ、名声を聞きつけた玄宗皇帝からの勅命で長安に入る。やはり卜占の能力を買われたらしい。この長安で密教と出会います。一行と比べると、善無畏はその1年前に入京、金剛智は2年後に入京しています。まず金剛智より金剛頂経系の密教を学び、その後に善無畏と大日経を翻訳したようです。

道教,易学,数学も得意で、開元大衍暦を作成した天文学者としての顔も持っています。当時の唐で使われていた暦では日食がたびたび食い違うということで、新しい暦の作成を一行に命じています。それが38歳のころ。44歳のころに完成しますが、発表する前に亡くなっています。

善無畏が亡くなるのはその8年後、金剛智が亡くなるのは14年後です。道教と呪術に興味を持っていた玄宗の治世下に、異人の金剛智と善無畏が新来の密教を、唐の朝廷内に急速に浸透させることができたのは、道士の中で厚い信頼を得ていた一行の存在が大きかったようです。

自然科学者としての顔を持つという点で、私としても興味のある方です。44年の人生で、これだけの功績。私の44年は何だったのだろう…

《つづく》

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「?.大日経の相承」の「一.善無畏三蔵」を読みました。

637年に東インドの王子として生まれました。カリスマ性のある人だったようで、末子ながら王である父に認められ、10歳で軍隊を指揮し、13歳で王位を継ぐ。それを妬んだ兄が挙兵したので応戦。反乱軍を鎮圧できたにもかかわらず、王位を兄に譲り出家。各地を放浪して仏教を学び、当時の仏教の中心地ナーランダで達磨掬多に師事。大日経系の密教を学びます。そして唐に向かいます。

長安に入ったときには80歳という高齢。前出の金剛智が長安に入ったのはその3年後。玄宗皇帝が金剛智には冷たかったのに対し、善無畏は手厚く迎えられたようです。長安で虚空蔵求聞持法などを翻訳。88歳のとき、帝に従って洛陽に入り、大日経の翻訳を行い、99歳で亡くなります。金剛智はその6年後に亡くなっている。
道教に傾いていたと言われる玄宗がとても信頼をおいたのは、呪術の力が強かったからのようです。

いずれ合流する金剛頂経系の金剛智と大日経系の善無畏が、玄宗皇帝の前に同時期に仕えていたわけです。高校の世界史では有名な玄宗皇帝ですが、仏教の側から見つめ直すのも面白いですね。

《つづく》

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