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今読んでおります「犀の角たち」では、科学の世界で起きた「神の視点」から「人間の視点」への移行について描かれています。ドキリとする捉え方ですし、ワクワクしながら読んでおります。ただ、「神」についてちょっと気づいたことがあります。

大雑把に言うと、科学史において最初に立てた理論を「神の視点」によるものとし、実験によって変更・矯正されたものを「人間の視点」によるものとしています。前者から後者への移行を堕落と捉えれば、科学は下降していく傾向にあるというものです。

「堕落と捉えれば…」というところに、「最初に立てた理論が崇高なものとは必ずしも言えない」という含みがあるように思います。最初の出発点となる視点、即ち「神」とは、言わば原始的な崇拝対象(ちと言い過ぎかな)でありまして、それが高い位置にあるとは必ずしも言い難い。

「神」には唯一絶対の全知全能な存在という意味もありますが、少なくともこの本ではそういう神を指しているわけではなさそうです。そういう神を想定して理論を打ち立てたら、科学としてどうしてもつじつまが合わなくなってしまったという例を、列挙したのがこの本と言えます。

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私はこれまでこの「堕落」を、合理論から経験論への移行だと捉えてきました。もともと高い位置には居なかったから、「堕落」すなわち「垂直下降」ではなく「水平移動」。昔より物事を精細に見れているという点では、下手すると「垂直上昇」かもしれない。出発点となった「神」は、むしろ低い位置にいる…

合理論は、「人間の理性は神に近いものであり、真実を理解する能力を持っている。ゆえに人間が正しいと感じる物は、正しい。」という感じの考え方だと思います。

でも、人間は誤解を繰り返してきました。「人間は経験から学ばなければ何も分からないんだ。」という感じの考え方が生まれて、それが経験論だと思います。

合理論と経験論が現代哲学においてどう扱われているのかは全然知りませんが、実験によって理論を矯正していくという手法は正に経験論です。最近はコンピュータによるシミュレーションで仮想的な実験を行い、理論を構築したりもしています。人間の理性には限界がある、というよりも、かなり御粗末なものであるということが分かってきました。

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まだ、半分しか読んでません。最後まで読めば気が変わるかもしれません。