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チャプタ垢痢崛躪臈知性と専門的知性」「「収束性」という罠」を読みました。

《以下引用》…元来、脳の中の神経細胞のネットワークが、「専門的領域」へと塗り分けられているわけではない。脳の中には、どの神経細胞からどの神経細胞へもせいぜい数回の「シナプス結合」を通せば到達できる「スモール・ワールド・ネットワーク」が存在する。表面的に見れば遠く隔たり、関係のないように見える能力の発露も、脳の生理的特性の実際に即して考えれば、実はお互いに関連しあっている。…《引用終わり》

これは、とっても興味ある記述でした。薄々勘付いてはいましたが、「やっぱりそうなのか!」という感じ。おそらく、その人なりの思考回路がユニークな形で出来上がっていて、それがCPUのようにどんな分野の情報をも処理しているんでしょうね。

少なくとも、脳の外で便宜的に行われているカテゴリーの分類に即して、脳細胞の部分部分がきれいに機能分担しているとは考えられない。つまり脳から見たとき、専門性というのは幻想に過ぎない。

《以下引用》…宗教から芸術まで、そして科学においても。「立派なもの」としてある価値を立て、そこへの収束を目指す。人間精神がそのような傾向を持つに至った理由は明らかではないが、この点にこそ、人類が生命現象の本質をとらえ損なってきたことの根本的原因がある。…《引用終わり》

私もドーキンスの本を読んだ時に、そう思いました。さらに、全てのことをとらえるのは脳であり、脳もまた生命現象であることを想起した時に、人類が全てのことをとらえ損なってきたことの根本的原因なのではないか…と思ったりしています。

日常的な事柄についてでさえ、「立派なもの」を中心に据えて、物事を考えている人はとても多いような気がします。

《つづく》