トトガノート

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Tag:原発

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前回は、マニフェスト完全無視の政治を行っている野田首相について書きました。こんなことをされては国民が投票用紙に何を書いたらいいか分からなくなると指摘しました。票がますます読めなくなるということは、政治家にとっても活動しにくいのではないかと思います。困った人だと思います。

今回は、ナポレオンとかヒトラーと似たところがあるように思ったので書いてみます。もちろん、比較にならないほど野田さんはスケールの小さい政治家ですけど。

歴史、あるいは時代というものには文脈のようなものがあります。それなのになぜか、その文脈から全くそれた人物が活躍することがあります。王政への不満が爆発して起こったはずのフランス革命ですが、気づいてみるとナポレオンが王冠を戴いて喜んだりしています。最も民主的だと言われたワイマール憲法の下で、ヒトラーが総統という役職を創り自分が着任しています。

理解に苦しみます。野田さんもこれと似た存在だと思います。どうして我々はこの人のすることを看過してきたのだろう?と不思議に思う時がくるのではないでしょうか。でも、人間と言うのはそういうものなのかもしれません。フランス国民もドイツ国民もそうだったのですから。

20世紀の終り頃から環境問題がクローズアップされ、クリーンであるものへの移行、ムダを省く、省エネ、省資源、不便でも我慢できるものは我慢する…というのが時代の文脈だと思います。

太陽の活動が低下してこれから氷河期が訪れるという説もあるようですが、今のところは温室効果ガスを抑えないと温暖化が進み人間が住めなくなるというのが世界のコンセンサスです。継続可能な社会に一刻も早く移行しなければならない…人類が全滅するのですから、これは何よりも優先される課題だと思います。

二酸化炭素を出さずに莫大な電力をまかなうことができるからクリーンなのだと誤解されていた原子力発電ですが、大震災のおかげで、安全でもクリーンでもないということがわかりました

時代の文脈に従うならば、原発をやめるということを決断しなければいけないはず。なるべく影響が少ない計画停電を模索しなければいけないはず。人類の滅亡を防ぐために、いずれ避けては通れない道なのですから、震災など起こらなくてもやっていなければいけないはずなのです。

「でも、やっぱり必要だから、元のやり方に戻りましょう。節約するのやめましょう。」という方向に、野田さんは舵をきりました。

国のムダな歳出をカットするという問題も、環境問題ときれいな相似形をなしています。郵政選挙で小泉さんが圧勝したのも、実現可能性の乏しいマニフェストで民主党が圧勝したのも、増税よりも先にムダ遣いをやめることを優先させたからだと私は理解しています。国民は、20世紀の終り頃からぶれていないのです。選挙の時だけ国民のほうを向き、政権をとると、しだいに官僚の傀儡に変わっていく…政治家が右往左往している状況も前世紀から変わっていません。

「でも、やっぱり必要だから、今のやり方で行きましょう。節約するのやめましょう。」という方向に、国の財政に関しても、野田さんは舵をきりました。

「孫子の代まで借金を残すわけにはいかない」と言いますが、今回の増税だけでは足りないという話も聞きます。孫子の代に借金と高い税金を残すのがいいことなのか、ムダの無いスリムな国のシステムをまず構築するのがいいのか…議論の余地は無いと思います。

それよりも何よりも、孫子の代までに、地球には人が住めなくなる可能性さえあるのです。真に孫子のことを考えるなら、増税に躍起になっている場合ではないはずなのですが…。
(2012/7/6記)

「もう手遅れのガンだから、本当のことは本人には告知しないことにしましょう」今の日本はそういう段階ではないのだろうか。

私はいろいろなニュースをくまなくチェックする暇がないので、無知からくる誤解であれば是非ご指摘いただきたい。そう前置きして、放射能汚染について最近思っていることを書きます。

まず、神奈川だったか静岡だったか、基準値を超えるほど汚染された御茶が出荷されていたはず。福島から随分遠い。原発から真っ直ぐセシウムが上昇し、そのお茶畑にだけピンポイントで降り注いだという可能性も全く無いとは言えませんが、常識的には有り得ないです。とすれば、そのくらいの範囲には放射性物質は拡散していると考えていい。

ガイガーカウンターでこの範囲にいる人たちが測定していなかったのか?いたと思われるのですが、測定値はどうだったのか?私は、ここで大きな数値が出ていたのに隠蔽されたのであれば、むしろ良い状況だと思うのです。でも、数値は大したこと無かったんじゃないかと懸念しています。ガイガーカウンターで測ってもOKな量の放射性物質が拡散していたのではないか?と思うのです。

それほど微量な放射性セシウムでも、お茶が吸収し茶葉に濃縮されればNGな高濃度になり得る。

そうだとすると、ガイガーカウンターでの測定は、この放射性物質の最も深刻な拡散ルートに関して殆ど無意味ということになるのです。

Wikiで調べたところでは、「米では胚と糠層のセシウム濃度が高く、キャベツでは外縁部」とあります。菌類は「屋外で人工栽培されるシイタケやマイタケでも濃度が高くなる傾向がある」。魚類では「生物濃縮により魚食性の高い魚種(カツオ、マグロ、タラ、スズキなど)での高い濃縮度を示すデータが得られている」。いずれにしても、放射性セシウムの生物濃縮の研究は余り多くはないようです。

今回、岩手県を皮切りに「東北」で、「稲わら」から「牛」への汚染が見つかりました。基準値に達していない物もあるようですが、問題は生物濃縮ですから、今後基準値を越えていくことは十分有り得ます。

「神奈川」「静岡」方面だけでなく、「東北」方面にも拡散していることが確認できたことになります。「お茶」だけではなく「稲わら」でも蓄積されることが確認できたことになります。米の「胚と糠層」だけではないということです。「カツオ、マグロ、タラ、スズキ」だけではなく「牛」でも生物濃縮が確認されたことになります。

拡散範囲が「神奈川」「静岡」「東北」だけだと考えるのは不自然だと思います。植物での生物濃縮が「お茶」と「稲わら」だけだと考えるのは不自然だと思います。動物での生物濃縮が「カツオ、マグロ、タラ、スズキ」と「牛」だけだと考えるのは不自然だと思います。

高校理科程度の知識があれば、このくらいのことは遅くとも4月頃には予想できたと思います。「安心だ」とおっしゃる方、上記の疑問を悉く払拭する説明を、お聞かせ願えないでしょうか。

《つづく》

人間はそれほど単純ではない。自分の気持ちをひとつに表せるものではない。常にアンビバレントなものだと思う。その心の多様性は、種族の保存に遺伝的多様性が寄与したのと同じ機序で、個体の保存にも寄与するんだと思う。

「日本の力を信じてる」という宣伝。ウンザリするほどよく見かけるのだが、大戦の後に復興したように何とかなるだろう(もちろん、望ましい国の形で復興するとまでは期待してないが)と思ってる擬似楽観主義者の私にとって、この宣伝はむしろ不安を煽ってるように見える。「信じてる」ってこんなに執拗に呼びかけるのは、広告主がとっても不安なのだろうなと思う。つまり心の中には悲観論が渦巻いているんだろうなと思う。

心の中に楽観がある私にしてみたら、グラついてる今が良い機会だから、もう少しグラつかせて、こんな政治でいいのか?こんな管理能力のない国民が原発なんか持っていいのか?こんなに世界に迷惑をかけて恥ずかしくないのか?ということを問いかけて、日本が更生して真っ当な国になる方向に持っていきたい。

でもそれが逆に不安を煽っているように見えるらしい。この私が、不安でアタフタしてわめき散らしているとでも言うのか?

「お前はどうしようもないバカ野郎だ!」と言われて、「この俺がどうしようもないなんてことがあるか!」と悔し涙で踏ん張って成長し、苦言を呈してくれた恩師に感謝するというような人生を送ってきた我々と、「大丈夫!大丈夫!」と褒められて育ってきた世代との違いなのかとも思う。

私のやり方はこうだ。

大丈夫な人に「大丈夫だ」なんて言わない。「お前はもっとこうしなさい!真面目にやれよ、バカ野郎!」と言う。それが、そいつを信じるということだと思う。

ダメな人に「ダメだ」なんて言わない。「大丈夫だよ。君は強い人だ。何とかなるさ。」と言う。それは、そいつを諦めるということだと思う。

それが、私なりのアンビバレントだ。

でも世の中にはいろんな人がいて、いろんな考えがなければならない。多様性の無い社会は脆弱である。アンビバレントを持たない個人も脆弱である。要は、異論を持つ人同士が敵対せずに話し合うことだと思う。それぞれの持論は主張すべきである。それが愛国というものである。

しかしながら、そろそろ私も、「大丈夫だよ。日本は強い国だ。何とかなるさ。」と言うべき段階にきたのかな、と思い始めている。

《つづく》

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