トトガノート

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Tag:勝鬘経

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「如来蔵系経典」(中公文庫版)
「解説」を読みました。

前半は仏教を概説していますが、高崎先生の「仏教入門」を発注済ですので、そこで詳しく取り上げることにしまして、今回は各経典の解説をノートしておきます。

『如来蔵経』
・すべての衆生が如来蔵(仏となる可能性を持つ者・あるいはその可能性そのもの)であることを初めて宣言した経典。
・如来蔵系経典の三部経(著者が命名)。
・衆生は仏と本質を同じくするが、無量の煩悩に蔽われている。しかし、それは一時的な付着物(客塵煩悩)で、本質とは関わりがない。

『不増不減経』
・如来蔵系経典の三部経(著者が命名)。
・仏の本質と煩悩とは共存しているが本質的には結びついていない。

『勝鬘経』
・如来蔵系経典の三部経(著者が命名)。
・如来蔵を「在纏位の法身」(煩悩の蔽いから離脱していない法身)と呼び、「如来蔵は煩悩に関して空である(如来蔵には煩悩はない)」。一方、如来蔵は仏と同じ知恵やその諸徳性(仏の本質)に関しては「不空」。

『華厳経如来性起品』
・如来の生起・出現の意義を十相にわたって説く。
・如来蔵思想に先駆的および側面的助成を与える。

『智光明荘厳経』
・如来蔵については説かないが、如来蔵説に理論的根拠を与える経典。
・如来蔵思想に先駆的および側面的助成を与える。

※ ※ ※

如来蔵思想は、如来の慈悲に基づく衆生の等質性と、仏との同質性を高らかに説いたが、一方で、衆生がいくら努力しても煩悩を除去しきれないという現実、それが何に由来し、どうしたら除去できるか、という点については十分な説明を与えてくれない。

『勝鬘経』がその原因を「根元的無知」(無明住地)に求めて解明を試みたが、未完成であった。そうした点が、唯識説において、アーラヤ識の主張を引き出すことになったものと思われる。

『楞伽経』はアーラヤ識と如来蔵の同一を説き、この思想が『大乗起信論』へと発展した。

…ということだそうです。読みたい本が倍増しました。

《最初から読む》

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「如来蔵系経典」(中公文庫版)
「勝鬘経」の「四 一諦章」「五 如来蔵章」「六 終章」を読みました。

《以下引用》…苦の滅とは、存在するものの消滅という意味ではありません。(苦が、そしてその原因たる煩悩が、本来、非存在であるということです。)…はじめも知られない昔から存在し、つくられたものでも、生まれたものでもなく、滅尽することもなく、…常住・堅固(・寂静・永続的)で、本性として清浄であり、あらゆる煩悩の蔽いから脱却しており、…知恵と不離なる、不可思議なほとけの諸徳性をそなえた如来の法身が、「苦の滅」という名によって示されているのだからです。…このまさに同じ法身が、まだ煩悩の蔽いから脱却していない状態にあるとき、それが如来蔵と呼ばれるのです。
…《引用終わり》


如来蔵に関する知とは、如来の空性の知です。如来蔵が空性を示すと知ること(如来蔵空智)は2種類の内容があります。
1.如来蔵には、(もともと法身と無関係で、さとりの知恵から切り離された、あらゆる)煩悩の蔽いが欠如している(つまり空である)。
2.(煩悩は虚妄で非存在であるが、)如来蔵は(法身と密着・不可分で)、(さとりの知恵と切り離しえない)ほとけの諸徳性を本来そなえている(つまり不空である)。

また、如来蔵は生死輪廻のよりどころです。生と死をあらわす輪廻とは如来蔵の別名です。死とは諸感官の機能停止、生とは新しい感官の発生です。ところが如来蔵には、生も死も滅も起もありません。如来蔵は有為の存在の領域を超えて、常住・堅固・寂静・永続的であります。

この本性として清浄な心が、煩悩によって汚されている。このことを信じましょう。…というのが結論のようです。

ちょっと気になるのは、この記述。
《以下引用》…
この三種の(如来の)家のよき男子や女子たち以外の衆生なるものは、もろもろの深遠な教えに対し、自分勝手な見解をいだいて、それを最上とみなし、あまつさえ、まちがった観念をもって執着しつつ、教え、説明します。…私は、彼らは真実の教えに背反するもの、異教徒、腐った種子の持ち主であるから、たとえ君側にあっても、調伏すべきである、と申し上げたい。
…《引用終わり》


異教徒は如来蔵ではないの?という疑問が湧きます。「やっていい戦争」があるというふうにも読めます。

「勝鬘経」は聖徳太子も好んで読んでいましたから、和を尊んだ彼も戦地に赴くときは、この辺りの記述を思い起こして力を得たのではないかと思われます。

「シュリーマーラー夫人が獅子吼した説示」という副題が付けられています。とっても怖い奥さんをイメージしてしまう(恐妻家だから?)のですが、こういう仏に関する大演説を「獅子吼」と表現するようです。四誓偈にも出てきます。

なぜ女性に言わせたのか?やはり、口では(口だけじゃない?)女にかなわないのが古今共通ということでしょうか…。

《つづく》

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「如来蔵系経典」(中公文庫版)
「勝鬘経」の「三 一乗章」を読みました。冒頭で、大乗こそが真実の教えであり、声聞や独覚のほか、世間的・超世間的善法はすべて大乗から分かれ出たものである、と宣言されています。

「潜在的無知のあるかぎり完全な涅槃はない」というところの記述が気に入りました。

《以下引用》…
輪廻の最後の生存にある(最後有)菩薩たちでさえ、潜在的無知に蔽われ、遮断され、囲まれて、迷っているため、あれこれの価値あるもの(法)を観察せず、理解できません。

…なんぴとであれ、過誤からの解放という点で残滓があり、すべての過誤から解放されたのではないもの、清浄という点で不十分さが残り、すべてにわたって浄化された性質のものではないもの、不完全な徳性の所有者で、一切の徳性をそなえたのではないもの――

こうした人々は…苦悩(苦)を観察する点でも不十分さが残ります。苦悩のよってくるところ(集)を断ずる点でも不十分さが残ります。苦悩の滅尽(滅)を体得し、実現する点でも不十分さが残ります。苦悩の滅尽を目標とする修行道(道)を実践する点でも不十分さが残ります。

…彼らは…その涅槃が部分的なもの、部分的な涅槃を獲得したものであります。
…《引用終わり》


もがきながら生きるのが人間の宿命…ならば、せめて小さな涅槃を見つけることから始めよう…

《つづく》

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「如来蔵系経典」(中公文庫版)
「勝鬘経」の「一 序章」と「二 摂受正法章」を読みました。シュリーマンとかマーラーという名前があるのでヨーロッパみたいですが、シュリーマーラー夫人はインドの人です。

品行方正で有名なシュリーマーラー夫人のもとに世尊が現れました。そこで、夫人は世尊に対し10の誓いを立てます。

1.戒め(道徳的きまり)を逸脱するような心をけっして起こしません。
2.不敬の心をけっして起こしません。
3.衆生に対し怒ったり害したりする心をけっして起こしません。
4.他人の幸福や成功などに対し、羨望の念をけっして起こしません。
5.ほんの少しでも吝嗇の心を起こしません。
6.自分自身の享楽のためではなく、貧乏で苦しんだり身寄りのない衆生を成熟させるために、財産を蓄えます。
7.四摂事〔布施、愛語、利行、同時(自他平等の心がけ)〕によって衆生の役に立ちます。無雑念、無倦怠、不退転の心をもって、衆生を温かく包容します。(摂受:ひきつけること。すくい取ること。)
8.身寄りのないもの、牢につながれたもの、捕縛されたもの、病気で苦しむもの、思い悩むもの、貧しきもの、困窮者、大厄にあった衆生を見過ごしません。財産の蓄えをもって彼らを救助してはじめて、私は身を引くでしょう。
9.如来の説かれた教えや掟を蔑にするものたちを折伏(しゃくぶく:こらしめること。摂受の反対語。)します。
10.真実の教えを身につけること(摂受正法)を忘れません。

さらに、三つのお願い(三大願)をしました。

1.衆生たちに利益をもたらす福徳を積み重ね、いつも真実の教えを理解することができますように。
2.真実の教えを理解しえたのちも、怠けたり、おじけたりすることなく、衆生たちに教えを説くことができますように。
3.真実の教えを説くにあたっては、身命を顧みず、財産をなげうってでも、教えを護持し、教えを身につけることを望みます。

さらに、真実の教えを身につけることの意義について語ります。

摂受正法(真実の教えを身につけること)と言いますが、真実の教えそのもの(正法)とその真実の教えを身につけることとは、別々のことではありません。真実の教えをしっかりと身につけること自体が、真実の教えなのです。

そしてそれが六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の実践です。

真実の教えを身につけることと、この真実の教えを身につけたもの(摂受正法者)とは、別々ではありません…ということが再三繰り返されます。

自分が六波羅蜜と同化しているが如く実践に励みなさい、ということでしょうか。

《つづく》

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