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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#78」(7月7日放送分)を見ました。刑事訴訟法の後藤昭先生でした。さわやかな笑顔で、重い問題をサラッと話す先生でした。裁判員制度(どちらかと言えば)賛成派の私としては心地よい30分でした。太田さんが突っ込む隙が無かった。頭のいい先生ですね。

裁判員制度に対する最も多い感想は「関わり合いたくない」ということでしょう。赤の他人たちが仕出かしたことのために忙しいところ呼び出されて、最悪の場合死刑宣告にまで自分が加担しなければいけない。確かに迷惑千万な話です。裁判官というプロが居るんだから、そいつらがやれよ。そのために税金払ってんだ。職務放棄じゃないのか?その意見も正しいとは思いますが、私は別な考え方により強く賛同します。

まず、裁判は他人事ではないということです。「死刑」に関して言えば、死刑という制度を廃止することもできるのに、アクションを起こさずに黙認しているのは他ならぬ我々です。執行人を税金で雇っているのも我々、法務大臣を雇っているのも我々です。全然知らない人が、全然知らないところで裁かれて、全然知らないところで処刑されたから、私は無関係である!というのはどうなんでしょうか?

プロに任せていれば間違いないんですか?というのが第二の疑問です。後藤先生が話されたことですが、「疑わしきは被告人の利益に」という推定無罪のケースでは裁判員の方が無罪にしやすいのだそうです。もちろん欧米の調査結果ですが。

「関わり合いたくない」という意見を聞けば聞くほど、「法律は自分たちのルールである」ということを思い出す必要性を感じます。それには裁判員制度しかないのではないか、という気さえします。

もちろん、良い結果ばかりを生むとは思いません。悪いことの方が多いかもしれない。でも、それは出さなければいけない膿ではないかと。

「かくして法廷は開かれた そこにいる者全員の人生観が試される場が」というのが、後藤先生の最後のまとめ。現代人は忙しくて、人生観を試されることから逃げているのかもしれません。本来は、妻、子ども、あるいは家族以外でも、周囲の一人一人と対峙した時に、人生観は常に試されるものだと私は思います。

《つづく》