トトガノート

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Tag:儒教

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「三教指帰」(角川ソフィア文庫)第三章「仮名乞児の主張」の後半を読みました。

乞児は輪廻について語ります。当時はまだ、仏教と一緒に入ってきた外来の考え方という認識が強かったのでしょうか。

生き物は輪廻を繰り返す。ある時は妻子となり、ある時は父母となり、あるいは動物となり、すべての生き物の間を迷いながら生まれかわる定め。この考え方は、自分という存在、男とか女とか、老いているとか若いとか、人間だとか獣だとか、そういう束縛から解放するものでもあります。

さらに、釈尊について、無常の賦、生死海の賦、十韻の詩を詠い、仏教の素晴らしさを説きます。そこで、あっさり前出の先生方がひれ伏すのですが、この点は不自然であり物足りない感じがします。もちろん、仏教の深さが他を圧倒している点は明らかですけど。

十韻の詩の中に、「空海の夢」の第20章のタイトルになった一節があるので、メモっておきます。

《以下引用》
六塵は能く溺るるの海、四徳は帰する所の岑(みね)なり。
已に三界の縛なることを知んぬ。何ぞ纓簪(えいしん)を去(す)てざらん。

このように六塵(色・声・香・味・触・法)の世界はすべて無常であり、人々を溺らせる「迷いの海」であり、常・楽・我・浄という四つの徳性を備えた涅槃の境涯こそが、彼岸にそびえる目標の岑なのです。すでに三界(この世)は私たちの真の自由をさまたげる束縛であることがよくわかりました。冠の纓(ひも)や簪(かんざし)で象徴される官位など、捨て去らないでよいものでしょうか。
《引用終わり》

最後の一文は、青年空海の決意表明でもあります。

《最初から読む》

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「三教指帰」(角川ソフィア文庫)第三章「仮名乞児の主張」の前半を読みました。

今回は仏教編。叔父阿刀大足に対する空海自身のストレートな反論と思われる箇所があります。

《以下引用》
あなたは仏道に進もうとする私を忠孝にそむくとして非難しますが、私は私で常に国家の幸せを第一に考えており、両親及び一切の衆生のために陰ながら功徳を積んでおります。これによって得られる智慧や福徳の一切がすべて忠であり孝であると私は考えているのです。しかし、あなたはただ筋力を使って努めることや、身体を屈して仕えることだけが忠孝だと思い込んでいて、もっと大きな忠孝のあることに気づいていないのです。
《引用終わり》

そして、「仏教は全体の真理、儒教・道教は仏教の一部分」という考えを主張します。

《以下引用》
…ある書物によれば、儒童と迦葉の二人は仏弟子ですが、人々がまだ未開の時代に、仏陀はこの二人を中国に遣わされました。しかし人々がまだ深い真理を受け入れるだけの能力が育っていないのを見て、儒童は孔子に生まれかわり、迦葉は老子に生まれかわって、二人に儒教と道教を説かせ、天地・陰陽についての表面的な真理を説き示させたというのです。このようなことも考えずに、あなた方は各自の道が一番だというように固執して争っているのは大きな誤りです。」
《引用終わり》

化身とか、方便とか、真如は一つであり全てであるという、全てを包括してしまう仏教の一面、あるいは空海密教の片鱗がうかがえるような気がします。

《つづく》

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「三教指帰」(角川ソフィア文庫)第二章「虚亡隠士の主張」を読みました。

今回は道教編。陰陽師とか風水とか出てくるかと思ったのですが、仙人の話でした。

儒教は当時出世するために必要だったものですから、もともとの教えは純粋なものだったでしょうけれども、現実は世俗的な成功を求める手段になってしまっていたのでしょう。

虚亡隠士はそこを批判します。

ところが、道教とは何かということになると、結局は長生きを目指すことのようなのです。酒色に溺れて身を滅ぼしてはいけない、というところまではいいのですが、健康を害しないように身体に良い物を食べないと長生きできないよ、という説教。

今風に言えば、儒教は金儲けのことしか考えない経営セミナー、道教はサプリメントとかしか食べない極端なダイエットを薦める健康セミナー。

ところが、亀毛先生も蛭牙公子も兎角公もあっさり並んでひざまずき、降参してしまいます。

儒教<道教、という不等式がここで成り立ちます。

《つづく》

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「三教指帰」(角川ソフィア文庫)第一章「亀毛先生の主張」を読みました。

青年空海が、自分は仏教を目指します!という決意表明の書です。手がつけられない非行少年の蛭牙公子を儒教・道教・仏教の三方向から説得を試みるという筋書き。

三章構成で、第一章は儒教編。水が低い所を目指して流れるように、人間も自然に快楽の方に流れるもの。でも、それではケダモノと一緒。善い方向を目指さなければなりません。人は磨けば必ず光るもの。あなたも才能を磨けば、栄達の人生も夢ではありません。…といった内容。

阿刀大足からなされたであろう説教も、大筋はこんな感じだったのでしょう。

私が子供の頃、年配の人から聞く説教もこんな感じだったように思います。千数百年もの間、最も多かったであろう説教のテンプレートがここにあるような気がします。

《つづく》

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「空海の夢」(春秋社)
「10.方法叙説」を読みました。

一度は大学に入った空海です。当時の受験勉強はほぼ暗記力だけが問われたようです。空海は厖大な漢籍を頭に入れていました。『聾瞽指帰』にそれがうかがえるそうです。

《以下引用》
…福永光司さんの空海に迫る分析によると、『三教指帰』の四六駢儷文のことごとくが中国の古典の用例にもとづいて、空海の恣意的な造語はほとんどないといってよいほどだったというのである。…

空海が他の追随を許さないほどの「集めて一つに大成する綜合力」(福永光司)に長けていたことは、空海研究者の誰しもが認めている。私の言葉でいえば、これはエディトリアル・オーケストレーションの妙、すなわち編集構成力というものだ。…
《引用終わり》

私も高校のころ、ウルトラセブンの中のセリフだけで会話をするという遊びを友達としたことがありますが、かなりレベルが違いますね。

編集構成力を空海はどこで身につけたか?ということですが、まず鄭玄の名が挙がっています。詳しくは本書参照ですが、総合的折衷学と比較的方法論に長けた後漢の学者で、『三教指帰』では「北海の湛智」と賞揚されているとのこと。

『後漢書』に、名高い学者の馬融を鄭玄がやり込めてしまい、「吾が道、東せり」と馬融が嘆じたという故事があるそうです。恵果は空海に「我が道、東せん」と言ったそうで、空海は恵果を馬融に自分を鄭玄になぞらえていたとも考えられるそうです。

《以下引用》
…やはり鄭玄の立場は儒教にどっぷりつかっていた。「仏教には鄭玄はいないものか」とおもったことだろう。もし、そうおもったとすればそれは空海の編集思想の感覚の作動を意味している。編集の出発はAに見出したきらめきを異なるBにも見出したいと願うことにある。そこが学問とは異なっている。Aをそのまま突っこんではしまわない。きらめきを多様の中に求めようとする。青年は“仏教の鄭玄”を探したいとおもうことによって、すでに総合的編集思想の第一歩を踏み出していたはずなのだ。…

けれども“仏教の鄭玄”は南都にはいなかった。それははからずものちに空海自身がはたすことになる。そのかわり、「儒教から仏教へ」などというまさに青年の幻想でしかないと一蹴されそうな構想を、現実にもう少しで確立しかかったところで倒れた一人の思索者がいた。青年はその大いなる人の名を何度も聞いたことだろう。淡海真人三船である。…
《引用終わり》

三船の文章の中に次の一節があるそうです。
「六合のうち老荘は存して談ぜず。三才のうち周孔は論じていまだ尽きず。文繁、視聴に窮まり、心行、名言に滞る。三性の間を識るなく、誰か四諦の理を弁せん…」(『大日本仏教全書』)
「老荘思想にはすぐれた感覚があるものの、太虚の考え方はたんなる否定にとどまっていて実在に達していない。儒教は天地の三才を論じるけれど、その根源をきわめない。いずれの認識にも限界がある。三性四諦を説く仏教にこそ今後の可能性があるのではないか。」

奈良時代にも儒仏習合の気運は高まっており、吉備真備が「二教院」という私塾を創ったりしているそうです。この理想は、空海の綜藝種智院に受け継がれているようだ、とのこと。

松岡正剛さんがこの著書と一緒に新聞で紹介されていたのが、まさにこの編集の方法論についてだったと記憶しています。この本の主題が、空海の中に編集者としての姿を見出すことであるとしたら、松岡さん自身が御自分を空海になぞらえているとも考えられます。

《つづく》

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「空海の夢」(春秋社)
「9.仮名乞児の反逆」を読みました。

《以下引用》
…延歴16年(797)、空海24歳。レーゼ・ドラマ『聾瞽指帰』(『三教指帰』)を綴った。すでに阿波大滝嶽によじのぼり、土州室戸崎に勤念をしたと記す空海だった。

戯曲仕立ての『聾瞽指帰』は五段の構成になっていた。亀毛先生論、虚亡隠士論、仮名乞児論、観無常賦、生死海賦の三論二賦である。これは寡黙の青年の内側に巣くっていた仮名乞児が沙門空海として現実化するための思想劇である。これまでの諸見にたいするすべての反駁は、ここに一挙に爆発し、また結晶した。阿刀大足や岡田牛養や味酒浄成らには儒教としての亀毛先生論を、ただ神仙に遊ぼうとした青年たちには道教論としての虚亡隠士論を、そして大安寺や東大寺の僧たちと我と我身の佐伯真魚に対しては、仏教論としての仮名乞児論が突きつけられた。

空海は序文に書いた、「ただ憤懣の逸気にそそぐ」と。

やむにやまれぬ気持ちをここにぶちまけたという意味である。そういえば、かつて『史記』の著者がやはり「憤懣を舒ぶ」と自序に記したものだった。
…《引用終わり》

レーゼ・ドラマとは、演じられることを目的とせず読まれることだけを目的とした戯曲のことだそうです。これは空海のこれからの人生を方向づけた決意表明です。それをそのままストレートに書かず戯曲形式にするというのも洒落てます。

この決意は、遣唐使船に乗って死ぬ思いをしてもぶれませんでした。長安にてサロンの人気者になり、才能を生かして大活躍したにもかかわらず、ぶれませんでした。

《つづく》

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「空海の夢」(春秋社)
「8.陰と陽」を読みました。

《以下引用》
…このころ(『聾瞽指帰』を書いたころ)の空海は出家の決断のために儒教・道教を排してはいるものの、とくに道教的隠逸思想については世間の名利を遠ざけ一人神仙の道を求めるものとしてかなりの評価を与えている。それでも青年空海は道教を捨て、仏教に入る決断をする。空海の道教批判を一点に絞れば、そこには自他救済の慈悲が説かれていないということだろう。逆にいえば、それ以外の面では、空海はひそかにタオイズムに憧れていたということになる。

忘れてならないのは、この出家宣言ともいうべき『聾瞽指帰』の段階では、空海はまだ密教の本体を知ってはいなかったという点である。

仮名乞児の説く仏法はむしろ仏教一般の特色に近かった。やがて七年後、長安に二年を遊学するうちに空海は密教構想の何たるかを知った。しかもそれは不空一行の呪術的色彩の濃い密教と、恵果の示す内観性の強い密教とであった。空海はそのいずれものエッセンスを踏襲し再編成をくわだてる。すなわち空海は出家のためにいったん方士や道士の思想を捨てたのではあったが、その後に密教の裡にその共鳴内在する音を聞きあて、巧みにみずからの真言密教の体系にこれを取捨選択するにおよんだとも考えられるのだ。

空海がタオイズムから取捨選択したものとは、いわば「観念技術」であった。
…《引用終わり》

観念技術とは…

《以下引用》…
モノとは「霊(もの)」であって「物(もの)」であり、コトとは「言(こと)」であって「事(こと)」である。上代日本語のモノとコトは観念と言葉と事物および現象を分別しなかった。分別しないことによってトータルな世界観を維持できた。…このことはさらにモノとモノ、コトとコトの類感共鳴の呪術的波及を可能にしてしまう。…そうしたなかに大陸や半島から天文遁甲や方術が導入されてきたのである。その導入は仏教よりも早かった。これを日本では一般に陰陽道あるいは陰陽五行思想と言ってきたが、私はアジア的性格をこめてあえて「陰陽タオイズム」と呼ぶことにしたい。すでにのべたように神仙タオイズムとの差を特徴づけるためでもある。
《引用終わり》

ダジャレみたいなもの?

《以下引用》…
やがて仏教が導入されて朝廷にもこの余波がおよぶと、聖徳太子に顕著にみられるような儒・仏・道の習合が促進する。表立った体系は仏教により、倫理は儒教により、裏の縫目は陰陽タオイズムの糸によるという方法だ。
《引用終わり》

日本人が、和洋折衷とかチャンポンとか得意なのは、この辺りからの伝統なのですね。親父ギャグもかな。

《以下引用》…
すなわち、大学在学中に求聞持法などの雑密パワーを知ってこれに投じようとした空海は、いったん山林優婆塞の仲間入りをしたのちに、ふたたび密教に向かったのである。そういうコースを選んだのではないかということだ。…空海が山林に修行したことは疑いを入れないし、その著作の随所にひそむ言葉づかいから、あきらかにタオイズムの洗礼をどこかで受けていたことだけは確実であった。空海は陰陽タオイストにも神仙タオイストにもならなかったが、後日、密教タオイストとしての性格を発揮する人であったのだ。
《引用終わり》

空海の親父ギャグ、聞きたいな…。

《つづく》

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司馬遼太郎を読む に参加中!
「空海の風景」(中公文庫)
「『空海の風景』を旅する」の「第七章 博多」を読みました。

《以下引用》
空海は長安で多くの請来品を得たようだが、それでもまだ帰国途中に越州地方に立ち寄り、百六十ほどの経書を蒐集したようである。それは越州の役人に宛てて書いた手紙「内外の経書を求める啓」によって明らかだ。注目すべきは、以下の記述である。
「伏して願わくは、彼の遺命を顧みて此の遠渉を愍みて、三教の中の経・律・論・疏・伝記、乃至詩・賦・碑・銘・卜・医・五明所摂の教えの、蒙を発き、物を済うべき者、多少遠方に流伝したまえ」(『性霊集』)

三教とは仏教、道教、儒教を指す。空海はかつて『三教指帰』で手厳しく批判した道教や儒教についても、その教えにかかわる書物をあまねく蒐集したいという。「卜」とは占術であり、「五明」とはインド伝来の科学を意味している。確固たる密教の後継者でありながら、その枠にとらわれず宗教の枠も超え、医学や科学など、およそいまだ無知蒙昧な日本の人々の知識を増進し幸福をもたらすと思われる最先端の学問をすべて持ち帰りたいというのである。のちに空海が日本で多方面にわたって活躍した素地がここにある。
…《引用終わり》

密教で食えなかったら他のことで…なんてことを考える人ではなかったでしょうから、分け隔てなく知的好奇心の旺盛な方だったんですね。

例えば、政教分離が現代では当たり前なことであるように、物事には境い目があります。何かの専門家であれば他の分野には手を出さないのが普通です。でも、昔はそういう考え方はなかったのかもしれません。

あるいはこれらの知識も大日如来に帰するものとして、密教への統合を考えていたのか…。

現代でも、これだけ内容の濃い海外出張はなかなかできないような気がします。空海の超人ぶりは想像を絶します。

《つづく》


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司馬遼太郎を読む に参加中!
「空海の風景」(中公文庫)
「上巻の三」を読みました。

今回はアダルトなところから。
《以下引用》
…空海のような地方豪族の子弟の場合は、色を鬻ぐ家の軒をくぐらざるをえないが、宇宙の神秘や人間の生理と精神と生命の不可知なものについてずぬけて好奇心の旺盛な空海が、そういう家に行って性の秘密を知ろうとする自分の衝動にどのようにして堪えたであろう。あるいは堪えなかったかもしれない。堪えよという拘束の稀薄な社会である以上、自分の中の倫理的悲鳴を聴くわずらわしさなしにそういう家へゆき、自分の皮膚をもって異性の粘膜に接したときに閃々として光彩のかがやく生命の時間を知ったにちがいない。その時間が去ったときに不意に暗転し、底のない井戸に墜落してゆくような暗黒の感覚も、この若者は知ったはずであるかと思われる。のちの空海の思想にあってはその暗黒を他の仏徒のように儚さとも虚しさともうけとらず、のちの空海が尊重した『理趣経』における愛適(性交)もまた真理であり、同時に、愛適の時間の駈け過ぎたあとの虚脱もまた真理であり、さらには愛適が虚脱に裏打ちされているからこそ宇宙的真実たり得、逆もそうであり、かつまたその絶対的矛盾世界の合一のなかにこそ宇宙の秘密の呼吸があると見たことは、あるいは空海の体験がたねになっているかのようでもある。…
《引用終わり》

この描写、司馬遼太郎の体験がたねになっているかのようでもある。そして、この描写に共感を覚える私もまた…

《以下引用》
…空海は万有に一点のむだというものがなくそこに存在するものは清浄――形而上へ高めること――としてみればすべて真理としていきいきと息づき、厳然として菩薩であると観じたのみである(ただしついでながらこれは釈迦の思想ではない。釈迦の教団は、僧の住む場所に女の絵をかかげることすら禁じたほどの禁欲の教団であった)。さらについでながら、理趣経の文章が律動的な性的情景を表現しているということは、空海以後、それが漢語であるがためにあまり的確には知られることが少なくて過ぎてきたが、大正期あたりから梵語学者の手でそれが次第にあきらかにされはじめた。ただ空海は長安においてインド僧から梵語を学んだためにそのいちいちの語彙のもつ生命的情景も実感もわかりすぎるほどにわかっていたはずである。…
《引用終わり》

ティーンエイジャーの空海は『理趣経』には出会っていないはずですが、『世の取りきめのみを説く儒教』にうんざりし、自分が求めているものが仏教には有りそうだという確信を得ていきます。

《以下引用》
…人間の内臓、筋肉、骨格、皮膚はことごとく万人に共通し、その成分もことごとく同じである以上、自他の区別というのはどこでつくのであろう。どれほど小さな一点においても区別がつくはずがなく、人間の生理的内容も、性欲をもふくめた人間の活動もことごとくおなじものであり、差異はなく、差異があると信じているのは人間のもつ最大の錯覚にすぎず、その最大の錯覚の上に世の中が成立しており、孔子が「いまだ生を知らず、いはんや死をや」といって弟子の質問を避けたようにその錯覚をはれものにおびえるようにして触れることなしに成立しているのが儒学ではないか、と空海はおもった。あるいはおもったであろう。…
《引用終わり》

これは現代社会においても全く事情は同じように思います。こういった疑問を突き付けられた時、大抵の大人は戸惑うしかありません。空海はこの疑問を叔父に突き付けて、延歴十年(791)に十八歳で入った大学を一年ほどで中退します。

全く時代を感じないのは、司馬遼太郎の腕もさることながら、空海の苦悩が時代を超えた根元的なものだったということだと思います。そしてそれは、仏教あるいは真言密教が今日でも十分通用することを裏付けるものでもあります。

更に言えば…

「性」なくして誰一人誕生しえないのですから、完全な体系を構築するためには実は絶対に外せないテーマなのです。立川流のような偏向の恐れを空海も感じてはいたでしょうが、それでも敢えてその教えの中に取り込んだということは、本当に人間の営みの全てを取り込むのだという強い決意が感じ取れます。そして、そんなことでは自分の構築した体系は揺らがないという絶大な自信も感じ取れます。

空海という男…物凄い男に思えてきました。

《つづく》

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