トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:仕事

「運動不足なのでしょうね」と言うと、「仕事では動いているんだけどね」という答え。

「仕事と運動は違うということでしょうね…」と問題提起のつもりで言いましたら、「そうか、仕事と運動は別だよね!なるほど!」と、あっさり納得されてしまって、ズッコケたことがあります。

仕事と運動で何が違うのでしょうね…

これは仕事にもよると思うし、簡単な問題ではないです。だから、何かが隠れている、考える意味があるということなのですが。

下手なゴルフを揶揄して芝刈りと言いますが、草刈りだと仕事で、ゴルフだと運動になりますから、ややこしい。

仕事というのは、同じ動作の繰り返しが多いと考えられます。しかも、嫌でも続けなければいけない場合が多いです。

同じ動作を繰り返していると、つまりその作業に熟練してくると、動作に無駄が無くなってきます。力を入れやすい所だけを使うようになり、不必要なところには力を入れなくなります。効率化が進むわけで、これによって疲労を抑えることができるわけです。

使われる筋肉は鍛えられる一方、使われない筋肉は弱くなっていきます。これによって、一つの関節における筋肉の力関係が崩れてくると考えられます。これが、関節の破壊や変形を誘っているケースはあるんじゃないだろうか?

運動とは、この偏りを解消するものではないでしょうか?これは定義というよりも、運動に求められることなわけですが。

ともかく、仕事で動いていても、やはり運動は必要らしい、ということではあります。

《つづく》

ブログネタ
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「能力は意識で伸びる」(1985年)
「「こんなものだ」はいつもなく、「もっといいもの」はいつもある」(1985年)
「Unfinished…未完成の魅力」(1986年)
「親から話を聞き、子どものようすを詳しく知ることで、ちょうどの感覚が高まる」(1987年)
上記4編を読みました。公文式の特長が主に述べられています。

いつの間にか自分の仕事に置き換えて読んでいることに気付きました。例えば「子どもの伸びようとする力」は「患者の治ろうとする力」という具合に。

「「こんなものだ」はいつもなく、「もっといいもの」はいつもある」というのもなかなかいい言葉です。自分の施術について常に満足することなく、向上心を持ち続けなければいけません。

「子どもから教わる」は「患者から教わる」。私の場合、お客様は年上の方が殆どですから、本当に教わることは多いです。

「親との懇談を大切にする」は「患者との懇談を大切にする」。日頃どんな生活をしているか、どんな動作が多いか、どんなことを悩んでいるか…

高校教師時代に「相談しやすい先生」という評判だった筆者(公文公さん)。とにかくつまらないことでも我慢して聞いてあげることが大事だとのこと。

見方を変えると、いろんな仕事に参考になる内容です。

《つづく》

パソコンに向かって事務処理その他を何時間も続けていると、会社勤めをしていた頃を思い出します。ほとんど肘から先しか動かない。体の他の部分は動かす必要がない。むしろ動かすと仕事の邪魔になる。

パソコンを使って仕事をしている人は、とても多いと思います。みんな、ほとんど肘から先しか動かさないで稼いでるわけですね。製品の検査などは目で稼ぐ人、鼻で稼ぐ人、耳で稼ぐ人。力仕事などは腕で稼ぐ人、足腰で稼ぐ人。

体の部位ごとにGNPを算出したら面白いかもしれませんね。今の日本は、肘から先にかなりGNPが集中しているんじゃないでしょうか。

 ある罪状に対して、どのくらいの刑罰が適切であると思うか?という調査を、裁判官と一般人に対して行った結果が新聞に出ていました。裁判官は軽い刑罰を、一般人は重い刑罰を選ぶ傾向があるとのこと。裁判官の常識と一般人の常識とのズレが明らかになった形です。

 私個人としては、「復讐法」のハムラビ法典が一番合理的なのではないかと思っています。また、仇討ちが認められていた江戸時代の法律はなかなか粋だな、と思います。ですから、裁判所が下した判決に首を傾げてしまうことは、最近非常に多いです。人を裁くことは難しいですが、裁判官という極めて特殊な一部の人の判断が、果たして適切といえるのか?非常に難しい問題です。

 人の仕事を評価するのも非常に難しいことだと思います。会社に勤めていたときに、能力主義が導入される中、いろいろと考えることが多かったです。優秀かもしれないけれども、上司という極めて特殊な一部の人の判断が、果たして適切といえるのか?

 それで気づいたのが、「商売」がすごく民主的だということでした。「あなたが提供してくれる品物(あるいはサービス)に○○円払いますよ」というのは、自分に対するお客様の評価です。極めて普通の多くの人たちから、毎日お金をいただくという形で評価されているわけです。

 これが、私が会社を辞めた数々の理由の中のひとつだということを、思い出しました。自分が設定した値段どおり、お客様から払っていただけるということは、自分の仕事が評価されたということです。そしてそれは、自分の存在意義を認めてもらえた瞬間でもあります。

「うろん語」第二巻目次(その1)を見る

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