トトガノート

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Tag:三界

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「唯識入門」(春秋社)
「第四章.識と縁起」の「一.虚妄分別の正体」を読みました。

『中辺分別論』第一章「虚妄分別」の第八偈が出てきます。

(1.8)さらに虚妄なる分別は、三界に属する心・心作用(心・心所)である。その場合、識(すなわち心)は対象(そのもの)を見ることであり、それに対して、もろもろの心作用はそれのさまざまな属性を見ることである。

《以下要約》
三界とは仏教の通説でいう輪廻する生存の三つの領域、欲界・色界・無色界をいいます。修行が進んだ無色界はきわめて高度な精神状態ですが、涅槃界には属せず、したがって輪廻生存の領域に属しています。虚妄分別は、所取・能取を実在と見ている段階における心であるということです。

「識が対象を見る」というのは、虚妄分別が実際に機能している場合には、感受作用(受)とか表象作用(想)、その他のさまざまの個別的な作用(行)を伴っています。これらの諸作用は、心に属している、あるいは心と相応してはたらく作用(心相応行)という意味で、「心所(しんじょ)」と伝統的に呼んでいます。
《以上要約…詳しくは本書参照》

虚妄分別がかなりリアルにイメージできるようになってきたのですが、これが虚妄ということになると、私の勉強は進んだのか退いたのか…よくわかりません。

《つづく》

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「仏教入門」(東京大学出版会版)
「五章 輪廻と業・煩悩」の前半を読みました。

輪廻の観念は仏教の発明ではなく、仏教成立当時のインド社会の周知の世界観・人生観です。インド的な仏教の考え方では、死後一定のとき(四十九日)を経れば必ずどこかに生まれ代わります。ですから、日本で信じられているように、霊魂が草葉の蔭からわれわれを見守っていたり、年に一度わが家に帰ってくるようなことはない。

六道(六趣)
・天上(神々の世界)
・人間(人類)
・阿修羅(神々の敵たる魔神)
・畜生(動物類)
・餓鬼(霊鬼、もとは死者の霊)
・地獄(奈落)

《下記参考文献より引用》
輪廻とは生死(しょうじ)ともいい、迷いの凡夫の状態にある間は善悪の業報に支配されて、善業をなした者はその報いとして天上や人間などの善趣(善道)に生まれて福楽を受け、悪業を犯した者はその報いとして地獄・餓鬼・畜生などの悪趣(悪道)に生まれて痛苦を受けるというように、…六道に生死輪廻するとされる。
《引用終わり》

三界
・欲界:禅定の効果があらわれない、欲をともなった日常的意識の世界。
・色界:禅定によって欲は除かれたが肉体をなお存している。
・無色界:肉体の束縛を離れた自由な精神のみ。


輪廻の世界における生存を「有」とよぶので、三界は三有とも称せられる。仏教の教理としては、輪廻は「有」という名でとばれるほうが多い。


三界の「有」を有らしめるはたらき。煩悩(惑)がひきおこすもの。業(カルマン)は行(サンスカーラ)と類似の概念で、仏典では混用される。身業・口業・意業、善業・悪業、福業・非福業・不動業、有漏業・無漏業、など。

煩悩(惑)
原語クレーシャは「汚すもの」の意。心を汚すものは煩悩に限らないけれども、そのすべての過程の大もとにあるところの心のはたらきが、とくに「汚れ」すなわち煩悩の名でよばれる。身体や言葉によって示される行為の背後にあって、それをあらしめるようなはたらきとしての心のはたらき。行為の根元にある心を大事と見る点で、仏教は一種の動機論に立つ。 貪・瞋・慢・癡(無明)・見・疑の六種を「六随眠」とか「六根本煩悩」とよぶ。

参考文献「仏教要語の基礎知識」
《つづく》



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