トトガノート

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「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」の「第3部 日本にも個別教育を」(p197〜211)を読みました。(小林教室収蔵

日本では、教育に関して「管理から自由へ」という流れがあるように見えるけれども、注意が必要であると言っています。

《以下引用(p203)》
私は、「画一競争を促す管理」から解放され、「人それぞれの機会均等を保障する多様な選択肢を認めた自由」へ、と向かっていくのが教育改革の正しい道である、と思っています。…親が自分の子どもに合った教育を選べるよう、多様な方法の共存を保障し、子どもに直接接している、つまり、専門家として一人ひとりの子どもの発達を観察している学校や教員の自由裁量を認めるべきなのです。その一方で、そのような自由裁量に基づく教育行為が、子どもの発達を犠牲にして政治・経済などの利害のために利用されていないかを冷静に監督する、制度上・法規上の管理体制を整えることが必要です。
《引用終り》

撤廃されるべき「管理」、認められるべき「自由」はあるけれども、強化されるべき「管理」、認めるべきでない「自由」もあります。だから、「管理から自由へ」という捉え方よりも「画一から個別へ」という捉え方を提唱しています。

さらに、オランダの教育サポート機関の職員が挙げた学校教育の目的として、セレクション・アロケーション・インテグレーションの3つを紹介しています。

《以下引用(p206)》
まず、セレクション(選別)というのは、政治・経済・産業・行政など、社会の様々な分野においてリーダーシップをとり、進むべき方向を指し示していく人材を選び出すことです。アロケーション(分配)とは、端的に言えば適材適所、つまり、それぞれの子どもが、教育を通じて自分の好みや特性に合った社会的場を見出し、その場に必要な知識や技能を身につけ、社会に出ていけるようにすることです。インテグレーション(統合)は、子どもたちが、学校生活を通じて、お互いにその役割や人間としての価値を認め合い、協力して、社会の発展と維持に参加できるようになることです。統合の規模は国家という単位に限りません。子どもが実際に生活している場である近隣、やがて出ていく労働の場、国を超えた世界、という社会もあります。
《引用終り》

日本の教育は、セレクションにのみ特化しているのではないか?と指摘しています。その通りだと思います。

一番になることばかりを重要視していて、助さんを育てるという発想がないような気がします。

グループ学習の目的は、一つのテーマを皆で追う時のそれぞれの個性を見つけ出し、全体の中で自分はどんな役割を果たせるかを自覚し(ここまでがアロケーションかと思います)、それぞれの良い所を生かしながら全体が有機的に機能展開していく(これがインテグレーションかと思います)ように図る能力を養うことなのですね。

日本でもグループ学習は行われていますが、単なる「なかよしクラブ」の練習くらいの認識しかないように思います。形だけまねても魂が入ってなければダメです。根本的な課題だと思います。

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「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」の「第2部 オランダ・イエナプラン教育」(p79〜195)「第四章 開かれたイエナプラン教育」(p183〜195)を読みました。(小林教室収蔵

20の原則というのがありましたので、メモっておきます。漠然とした裏づけのないコンセンサスを前提に動いていく我が国民性からすると、きちんと明文化することは馴染みがないし、国内で発行された文書であればこういうのは「たてまえ」として真面目に読まないのですが…オランダは違うと思うので、真面目に読んでみましょう。

《以下引用(p191)》
A.人について
1.各人はユニークである。つまり、たった一つの存在であり、すべての子どもとすべての大人はそれぞれ、かけがえのない価値を持っている。
2.各人はその人がその人らしく発達する権利を持っている。その人らしい発達とは、次のようなものによって特徴づけられる。すなわち、独立性、自分で(批判的に)判断する意識を持つこと、創造性、社会的正義へ向かう姿勢。この権利は、人種・国籍・性別・性的傾向・社会環境・宗教・信条または障害の有無によって左右されるものでは一切ない。
3.各人はその人がその人らしく発達するために次のようなものと独自の関係を持っている。すなわち、ほかの人々、自然や文化について感得できる現実、および感覚によっては経験できない現実と。
4.各人は常に一人の人格を持った人間として認められ、可能な限りそのように待遇され、話しかけられるべきである。
5.各人は文化の担い手、また、文化の改革者として認められ、可能な限りそのように待遇され、話しかけられるべきである。
《引用終り》

「正義」という言葉は、個人的にはドキリとしてしまいます…。

《以下引用(p192)》
B.共同社会について
6.人は、各人のかけがえのない価値を尊重する共同社会を目指して働くべきである。
7.人は、各人のアイデンティティ(個性)を発達させるための場と、刺激が与えられる共同社会を目指して働くべきである。
8.人は、お互いの間の相違や変化を、公正と平和と建設性に基づいて受け入れる共同社会を目指して働くべきである。
9.人は、地球と世界空間を尊重しかつ注意深く守る共同社会を目指して働くべきである。
10.人は、自然資源と文化資源とを、将来の世代のために責任を持って用いる共同社会を目指して働くべきである。
《引用終り》

「自然資源…を、将来の世代のために…」は、明らかに守られていないですね。

《以下引用(p193)》
C.学校について
11.学校は、関係者の、自立的で共同的な組織である。学校は、社会によって影響を受けると同時に、それ自体が社会に対して影響を与えるものである。
12.学校において大人たちは、先に示した人と共同社会についての原則を、自らの教育学的な出発点として、仕事を行う。
13.学校で教えられる教育内容は、子どもたちの生の世界と〈内的な〉経験世界から、そして、〈人〉と〈共同社会〉の発達にとって重要な手段であるとみなされる、われわれの社会の中の文化資源とから、引きだされる。
14.学校では、教育は、教育学的な道具を用いて教育学的な状況において実施される。
15.学校では、教育は、対話・遊び・仕事(学習)・催しという基本活動がリズミカルに循環する教育形態で行われる。
16.学校では、子どもがお互いに学び合い助け合うという目的のもと、年齢や発達のレベルに違いのある子どもたちのグループが慎重に考えられたうえで作られる。
17.学校では、自立的な遊びや学習が、指示されたり指導されたりする学習によって補足されながら、両者が交互に行われる。指示的・指導的な教育は、特に、レベルの向上を目的としている。これらすべての学習において、子ども自身のイニシアチブが重要な役割を果たす。
18.学校では、基本的な経験、発見、探究と共に、ワールドオリエンテーションが中心的な場を得る。
19.学校では、子どもたちの行動や成績についての評価は、可能な限り、その子どもの発達の経緯から、また、その子どもとの話し合いを通じて行われる。
20.学校では、変更や改善は、不断のプロセスとみなされる。このプロセスは、行動と思考との首尾一貫した交換作用を通じて遂行される。
《引用終り》

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「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」の「第2部 オランダ・イエナプラン教育」(p79〜195)「第四章 開かれたイエナプラン教育」(p183〜195)を読みました。(小林教室収蔵

イエナプラン教育では、〈学校の真正性〉は二つあると考えているそうです。「真正性」は、オランダ語のauthenticiteit'、英語のauthenticity、平たく訳せば〈ホンモノ〉というニュアンスだそうです。

二つのうちのひとつは、子どもと現実世界を引き合わせる場面でなるべく〈ホンモノ〉を使うということ。写真や絵で説明するのはやむを得ないけれど、なるべく本物を見聞きさせましょうということのようです。

興味深いのは、もう一つのほう。教育者の真正性です。

《以下引用(p186)》
イエナプラン教育では、学校における大人と子どもを、授業を与えるものと授業を受けるものという関係とは捉えません。そうではなく、〈人間〉(大人)と、〈やがて大人になろうとしているもの〉(子ども)との出会い、として捉えます。学校での学びを通じて、大人になる準備をしている子どもに対して、イエナプラン教育では、大人である教育者は、自分自身を役割や地位の陰に隠してはならない、教育者は、教育の場面において、〈ホンモノ〉の大人でなくてはならない、というのです。教育者といえども、迷いもあれば、自分自身が学ぶこともあるでしょう。そのことを踏まえ、自分を信じて話しかけてくる子どもたちに対して、きちんと向かい合って対話をする心構えの大切さを説いています。
《引用終り》

著者が紹介しているエピソードが、例として分かりやすいでしょう。交換留学で短期間日本で学んだオランダ人の高校生が、「オランダの学校の先生は、生徒から質問を受けて答えられない時には『ノー、私は知らない』と言えるが、日本の先生は、『ノー』と言えない」と感想文に書いていたそうです。

《以下引用(p187)》
教室で一様に前を向いて座っている生徒たちに対して、知識や情報の伝達者として教壇に立つ日本の先生たちには、子どもからの質問を受けた時に答えられないのは伝達者としての資格がないことのように感じられるのではないでしょうか。しかし、個別教育は、子どもの自立的な学びを基本としています。教育者は、子どもがわからないことに出会った時、その答えを与えることではなく、そのわからないことの答えを子どもと一緒に考えることを期待されています。人間、死ぬまでにたくさんのわからないことに出会います。教育者にできるのは、わからないことに出会った時にはどうすればよいか、という姿勢や行動の仕方を教えることです。子どもの「わからない」という問いに答えを与えるのが教育者の役割ではありません。子どもの一つひとつの疑問は、探究的に、また、自立的に学ぶプロセスの大事な第一歩なのです。
《引用終り》

公文式の考え方と重なります。

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「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」の「第2部 オランダ・イエナプラン教育」(p79〜195)「第四章 開かれたイエナプラン教育」(p183〜195)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p183)》
オランダで、イエナプラン教育に携わっている研究者や学校の先生たちと話をしていると、「イエナプラン教育というのは、方法(メトーデ)ではないのです。これは、教育についての一つの概念(コンセプト)です。だから、この学校でやっていることは、別のイエナプラン校でやっていることとは大きく異なる場合もあります」ということをよく言われます。そして「学校は一つひとつおかれた状況も違うし、またそこで教えている先生たちのチームにも個性があります。その個性によって、教室はどう配置すべきか、週間計画や学校計画をどう作るべきかは当然変わってきます。イエナプラン教育はオープンモデルなのですよ」とも言われます。
《引用終り》

かつて聖職などと呼ばれてしまったためか、とかく学校は「唯一最高」の形で運営されることが期待されます。「唯一最高」ですから、どこの学校も同じということにもなります。これは理想論であり、現実には絶対にありえないことをみんな知っていながら、このたてまえを何となく共有しているようです。

その学校の先生たち、生徒たち、その保護者たち、さらには地域性の違いもあり、学校は千差万別であるのが自然です。最高の学校の姿は、唯一ではなく学校ごとに違うはずなのです。

公文式の教室の運営は指導者の裁量に基本的には任されておりますから、結果として教室ごとに個性があります。創始者の公文公氏自身も、このオープンモデルを目指していたように思われます。

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「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」の「第2部 オランダ・イエナプラン教育」(p79〜195)「第三章 オランダ・イエナプラン教育の発展」(p160〜182)を読みました。(小林教室収蔵

この章は、オランダにおけるイエナプラン教育発展の歴史を説明するものです。今回、この本を読む目的からすると重要ではないので、斜め読みしました。

《以下引用(p176)》
イエナプラン教育の提唱者ペーターセンが、〈教育者〉というものを、従来の〈教師〉とは大変異なるものとして捉えていた、ということはすでに何度か触れました。学校を、教員と生徒が共に作る、生きて働くための共同体と捉えるイエナプラン教育には、その前提として、教員は、生徒と共に歩み成長し続ける人間であり、子どもと同じように社会の一員である、という考え方があります。ペーターセンのいう〈教育者〉とは、ヘルバルトやラインに代表される〈国民教育〉のための〈教師〉、また、オランダに1960年代まで続いてきた画一一斉授業におけるモノを一方的に教える存在である〈教師〉、とは真っ向から対立するものです。

イエナプラン教育を普及させるためには、まず、教員たちが、それまでの教師像から解放され、個別教育における役割を担っていくだけの知識や技術を習得しなければなりませんでした。この新しい役割である〈教育者〉とは、生徒の自立的な学びを支え、生徒と共に歩み、生徒に適切な刺激を与える存在です。生徒の個別のニーズを発見し、個々の生徒に合った学び方を見出していく存在です。
《引用終り》

「この新しい役割である〈教育者〉とは…」以降の最後の二文は、公文式の指導者としても大切なことではないかと思います。

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「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」の「第2部 オランダ・イエナプラン教育」(p79〜195)「第二章 創始者ペーター・ペーターセン」(p143〜159)を読みました。(小林教室収蔵

イエナ・プランの創始者ペーター・ペーターセンは1884年に、デンマーク領に限りなく近いドイツ領で生まれたようです。ハンブルグで教師となり、「新教育運動」で指導的な立場となりました。1926年の新教育フェローシップの会合での発表のために書かれた『小さなイエナプラン』に、彼の考えがまとめられています。その本からの引用です。

《以下引用(p153)》
イエナプランの考えに基づく学校は、まず何よりも家族学校である。それはどういうことかというと、この学校は国立であるけれども、私たちは、その深い内的な意味において、家族の養育を補完し、さらに進めて、文化生活全体とより密接に結合させることで、若い世代の人々が有機的に国民社会の中に参加し成長していくことを目指した機関として捉えている。
《引用終り》

1926年と言えば大正15年と昭和元年。ドイツでも「規律」や「しつけ」は厳しかったようです。

《以下引用(p155)》
罰や怖れ、強制によって生み出される〈よい行動〉というものは、1人の人間である子どもの個人的な生においては何の意味もないものであり、社会にとっても意味のないものである。
《引用終り》

当時としては、かなり先進的な考え方だったろうと思います。

《以下引用(p157)》
ワイマール共和国は、1918年に建国し、33年ヒトラーの出現によって終焉しています。大衆の政治ストライキやデモンストレーションによって皇帝が追いやられた後に建国したワイマール共和国の時代は、共和国とは名ばかりで、陸軍や海軍の横暴ははなはだしく、ベルサイユ条約による苛酷な賠償取立てと極端なインフレによって社会が混乱し、人心が腐敗を極めた時期でした。
《引用終り》

何だか、ナポレオンが登場する直前に似てます。共和制は初めは迷走しがちなようです。ペーターセンは当時の社会権力者たちの無責任と権威主義に対して強い憤りを持ち、また、教育者として社会変革に関わるという使命感を強く抱いていたに違いないと、筆者は指摘しています。

《以下引用(p158)》
将来どんな政治的、経済的な状況が生じるか、私たちは誰も知らない。未来は、人々の不満、利益追求、闘争、そして今の私たちには想像のできない新たな経済的、政治的、社会的状況によって決まるだろう。けれども、たった一つ確信を持って言えることがある。すべての厳しく険しい問題は、問題に取り組んでいこうとする人々がいて、彼らにその問題を乗り超えるだけの能力と覚悟があれば、解決されるだろう、ということを。この人たちは、親切で、友好的で、互いに尊重する心を持ち、人を助ける心構えができており、自分に与えられた課題を一生懸命やろうとする意志を持ち、人の犠牲になる覚悟があり、真摯で、嘘がなく、自己中心的でない人々でなければならない。そして、その人々の中に、不平を述べることなく、ほかの人よりもより一層働く覚悟のある者がいなくてはならないだろう。
《引用終り》

宮沢賢治の「雨にも負けず」を思い出しました。こういう人に私がなりたいのではなくて、こういう人を育てなければいけないという決意表明だと思われます。

第一次大戦を終えて、大変な状況にあるドイツ。未来はどうなるのか「私たちは誰も知らない」と言いながら、いずれ起こる第二次大戦を知っているかのような書き出し。

この危機感は今を生きる私たちも持たなければいけません。祖先が体験した津波の記憶を完全に風化させて3.11を迎え、最悪の原発事故を招いてしまった現状。再び天変地異が起こらない保証はありません。戦争も未だに絶えません。それに備えて、新しい世代を育成するという覚悟。新しい教育を考えていこうという決意。

現在の日本の学校教育は、戦時下に、ナチスの制度を真似て作った国民学校を、そのまま踏襲していると指摘する学者もいます。これでいいのでしょうか…。

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「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」の「第2部 オランダ・イエナプラン教育」(p79〜195)「第一章 イエナプラン校を訪ねる」(p82〜142)の「静かな学びの場」「学校職員のチームワーク」「保護者の参加」を読みました。(小林教室収蔵

まず、「静かな学びの場」の章に関してですが、「静か」というのがどの程度のものか、実際に見てみないと分からないですね。静か過ぎて集中できないという場合も無いとは言えません。国民性や個人によっても適度な静かさがあると思います。

ある学習塾では、集中力をつけるために敢えて静かにしないという方針を取っているという話を聞いたことがあります。蝉の声が聞こえる中でも閑かさを感じられるような精神力も必要な気がします。

《以下引用(p137)》
前もって答えが用意されておらずどんな発見があるかわからない、また、いくつもの答えが見つかるかもしれない、オープン・エンドの問いとしばらく向き合う、という経験は子どもの探求心や好奇心、洞察力を育てるきっかけになります。答えをすぐに教えたり説明したりすることが適切であるとは限らないのです。
《引用終り》

この点は全く同感です。

次に「学校職員のチームワーク」から。

《以下引用(p139)》
オランダでは、基本的に、学校ごとに教員を募集、採用します。つまり教員は、その学校の理念や教育方法をすでに知っており、その上で、自分で納得してその学校に就職していくのです。また、オランダの学校では、同じ教員が、2,30年にわたって一つの学校で教えるというのが一般的です。この自主的な選択による就職と一つの学校での永続的な勤務という慣行が、教員のチームスピリットを比較的作りやすい環境にしている、といえると思います。もちろん、人間は一人ひとり違いますから、時には、摩擦やすれ違いもあることでしょう。実際に、校長先生や教員チームのメンバーが、ほかの教員との円滑な関係を維持できずに、解雇されたり自主的に転任していくケースも現実にはたまに耳にします。
《引用終り》

オランダは、公立の小学校も同じ地域にいくつか散在し、競争関係にあるようです。保護者には選択の自由があります。であれば、教員の雇用形態はこのような形の方がいいのかもしれません。学校ごとに個性があり、その個性を理解した教員や保護者が子どもを教育していくのは非常に理想的だと思います。

しかし、日本の公立の小学校は基本的に学区制ですから、ユニークな校風はむしろ弊害の方が多くなるのかもしれません。教員も個性的でない方が望ましい。どこの店に行っても同じサービスが受けられる全国チェーンのお店のようになることが無難なわけです。

どちらも一長一短だと思いますが、塾経営の立場から言えば、日本の場合は個性的な塾に子どもを入れなければ、はっきりとした方向性のある教育はできないと言えます。さらに公文式について言えば、同じ公文式でも指導者によってやり方はかなり違っており、保護者は各教室が出しているアナウンスや評判を参考にして、近くのいくつかの教室の中から選択することができます。非常にうまい相補関係が築ける状況にあると見ることもできます。

最後に「保護者の参加」から。

《以下引用(p140)》
しかし、このようなオランダの一般的な学校と比べてみても、イエナプラン校は特に、保護者の学校活動への参加に積極的で、学校は、教員と保護者とが協力して子どもの養育・教育にあたる場である、という考え方を強く打ち出しています。
《引用終り》

この点に関しては、日本でも地域差があるかも知れませんが、うちの子が通っている小学校は一生懸命だという印象を(一応は)受けます。具体的には、親子参加の行事が多いということです。ただ、これが「保護者が学校活動への参加に積極的」と言うことになるかどうかは甚だ疑問です。去年もやったから今年もやりましょう、という流れになっていないかどうか…。また、親子行事の準備のために子どもと過ごす時間が削られるという事態もあるわけで、保護者間でも温度差はかなりあるような気がします。

前項の論点からすれば、公文式というオプショナルな教育をされている保護者さんは塾への理解と積極的な参加が基本的には期待できそうです。しかしながら、学校の行事、地区の行事、さらには他の習い事もやっているということになると、かなり多忙な方が多く、塾としての催し物を増やすのも憚られるところもあります。もちろん、これを何もしない言い訳にしてはいけないわけですが。

保護者の方々のすきまの時間に入り込んで、ご理解を深めていただく方法として、ネットは非常に有効だと思っています。もちろん、ここでデジタル・ディバイドが発生してもいけないわけですが…。

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「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」の「第2部 オランダ・イエナプラン教育」(p79〜195)「第一章 イエナプラン校を訪ねる」(p82〜142)の「循環する活動、科目によらない時間割」を読みました。(小林教室収蔵

イエナプラン教育では、4つを基本活動(対話、遊び、仕事、催し)が、リズミカルに循環することを目指しているのだそうです。

まず、「対話」について。
《以下引用(p128)》
「対話」の意義については、サークル対話のところで、詳しく述べました。しかし、イエナプランにおける対話とは、必ずしもサークルを作って行われるもののみを指すのではありません。子ども同士、子どもと教員、教員同士、また、保護者と教員が、積極的にコミュニケーションを図り、お互いの立場や考えを理解しながら、学校の活動を進めていくことを目指しています。
《引用終り》

次に、「遊び」について。
《以下引用(p128)》
「遊び」もまた、授業の合間の中休みや昼休みの遊びを指すだけではありません。学習活動の中に遊びの要素を取り入れることの意義を積極的に認めています。…このような考えに基づき、表現学習はもちろんのこと、ワールドオリエンテーションなどの総合学習の中にも、また、算数や文法の学習の中にも、遊びやゲーム感覚の学習が様々に取り入れられています。また、教室の中だけではなく、ホールの隅のコーナーや廊下の脇などにも、目的別、年齢別のゲームをおいた棚などがしつらえてあり、子どもたちが、それぞれ自分の課題を終えた後など、時間の余裕ができた時に、それらのゲームをして遊ぶことができるようになっています。
《引用終り》

そして、「仕事」について。
《以下引用(p130)》
「仕事」をするというのは、自己実現であると同時に、誰か、ほかの人のために意味のあることをしているという自覚にもつながるものであることが理想です。ですから、イエナプラン教育では、ただ単に、仕事の結果だけを取り上げて評価するのではなく、仕事を進めるために、自分で計画したり企画したりする力、自分で調べたり練習したりすること、自分自身で課題を選んで挑戦する姿勢、仕事の内容や質を高めるように努力する姿勢、ほかの子どもとともに協力して目的を達成する力など、仕事のプロセスそのものを、仕事の成果についての評価よりも重視、評価しています。

子どもたち一人ひとりが行う一週間の課題も、子ども自身がグループリーダー(担任の先生)と相談し、納得した上での約束ですから、子どもはそれを責任を持って終えなければなりません。決して、グループリーダーが一方的に押しつける、子どもが受動的に行うものではありません。仕事としての学習に企画の段階から子どもは自主的に関わっているのです。また自立学習や共同学習の際に、グループリーダーが観察しているのは、仕事に取り組んでいる子どもたちの態度、その日の課題を着実に達成させようという責任や集団への参加・協力の態度です。

したがって、教材は、子どもたちが、できるだけ自主的に選び挑戦するもの、ということが重要な基準になります。
《引用終り》

最後に、「催し」について。
《以下引用(p130)》
イエナプラン教育の「催し」には、セントニコラスやクリスマス、イースターといった年中行事だけではなく、クラスの中で祝う子どもの誕生日、頻繁に行われる学芸会、スポーツの日などが含まれます。
《引用終り》

公文式教室という立場で参考にするとすれば、まず「遊び」ということかと思いました。「採点待ち」とか「お迎え待ち」という状態の時に、頭をリフレッシュかつ活性化する楽しさを含みながらも学習に結びつくような何かを用意することはできないか。

それから「仕事」の中で、「ほかの人のために意味のあることをしているという自覚にもつながるもの」という要素を公文式学習の中に取り込むことはできないだろうかと思いました。学習はそもそも自分自身のためであり、とかく「あなたのためなのよ」と押し付けがましく言われがちですが、「ほかの人のため」という要素を強調することはできないものか。早く最終教材まで行き着けば家計が楽になる、といったこととは別な何かがないものか。

責任を持って目標を達成させるという部分は公文式にも元々ありますが、上記の課題と組み合わせて、うまく機能するシステムを創り上げることはできないものかと思います。

《インデックス》

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ワールドオリエンテーションとイコールではないでしょうが、日本で試みられているのは総合学習なのかもしれません。

《以下引用(p120)》
後に詳しく触れますが、文部科学省は、1985年の新しい初等教育法の施行以後、初等教育の教育内容を、八年間に到達すべきミニマムな指標――「到達目標」として定めるようになりました。これは、学年ごとの厳密な教育内容ではなく、学校によって、八年間の間に方法や順序を自由に裁量できる弾力性のある目標です。
《引用終り》

後に詳しく触れて下さるようなので、それを楽しみにしたいと思います。

たまたま、最近、耳に入ったのですが、数年前に総合学習で「将棋の駒」について調べたいという小学生が、東京から天童に二人で来たことがあるそうです。おそらく自腹でしょうから、自分たちで「将棋の町・天童」までの運賃や新幹線の時刻などを調べて、やってきたわけです。天童駅の観光ボランティアの案内で、将棋の駒の工房を見学し、体験などしていったということです。

ここまでやれば、前回のワールドオリエンテーションで北極に(仮想的に)行くのに近いし、天童と北極ではスケールは負けているものの、こちらは仮想的な旅ではなく実際に天童に来ているのですから、トータルでは五分五分だと思います。

ただ、実際問題、こういうことを行わせながら、ミニマムな指標プラスαの本来のカリキュラムもこなして、学校を運営していくのは非常に難しいように思われます。そこに、学校と相補的な関係を目指す塾が立つべきニッチ(隙間)があるような気がします。

オランダの取り組みについては、本書でも少し触れているので、興味のある方は御覧下さい。

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「オランダの個別教育はなぜ成功したのか」の「第2部 オランダ・イエナプラン教育」(p79〜195)「第一章 イエナプラン校を訪ねる」(p82〜142)の「ワールドオリエンテーション――探究する心・共に生きる社会」を読みました。(小林教室収蔵

前出のサークルという形で、ワールドオリエンテーションも行われます。

《以下引用(p110)》
まず、グループリーダー(…)が、クラス全員の子どもと共にサークルを作り、地球儀について学びます。地球儀はどのようにできているのか、北極はどこにあるのか、オランダはどこにあるのか、地球儀での方角と、実際の教室での方角はどう違うのか、といったことです。それから、子どもたちはテーブルグループに分かれて方位磁石を作ります。棒磁石を使って縫い針に磁気を与え、それを発砲スチロールの一片にテープで貼りつけ、小さな器の水に浮かべるのです。

次の時間には、実際に北極に行くためには、どんなルートを辿るのか、どんな交通手段があるのか、何日くらいの時間がかかるのかといったことを地図やコンピュータなどを使って調べます。それから、途中通過するのはどんな国か、ぞれぞれの国で使われている言葉や通貨について情報を集め、時間が許せば、それらの国の簡単な言葉を学んだり、通貨を作ってみたりします。また、北極探検に出るには、どんな書類を携帯していなければならないのか、ほかにどんなものを持っていくのか、どこに泊まり、食事はどうするのか、などといった問いかけから、必要となるいろいろな情報を集めていきます。当然、北極の気温や日照時間についての情報も必要になります。

このような準備段階を経て、今度は実際に北極に着いてからのことです。講堂などの広い場所を使って、グループごとにテントを張ります。北極にいるつもりで、何日間かにわたって、降水量や風力・風向を観測し、雲の様子を観察し記録していきます。グループごとに、観測係、記録係などの役割分担をします。また、北極で撮られた写真などを雑誌やインターネットなどから集めます。それらの写真を素材にして、子どもたちはそれぞれ詩を作ります。

それが終わると、北極を去る準備です。次の訪問者のためにどんな記録を残そうか話し合って、みんなでそれを作ります。オランダの家族にどんなお土産を持って帰るかを決めます。そうして北極探検から無事に帰ってくると、まずは、現地で(!)観測したデータを整理し、それをグラフにします。このほか、北極での観察を含め、「まだ北極に行ったことのないオランダの人たち」を想定して、グループごとに、北極探検旅行の報告をします。報告の際にも、当然、グループの中で役割分担を決めます。…

この北極旅行をテーマとした総合学習が行われている間、子どもたちの教室は、どんどん様変わりしていきました。窓には、雪をかたどった綿や発泡スチロールの破片が散りばめられ、背後の壁には、シロクマやセイウチなどの北極の動物や氷山をかたどった白い紙が貼りつけられます。教室は白い雪の世界になりました。挙句の果てに、子どもたちは、普段は20度に保たれている暖房のスイッチを切って「北極らしくしよう」などとグループリーダーに言い出し始める始末です。

一見雑然としているようですが、それでいて、どの子をみても、何もしないでいる、誰かの指示を待っているということがありません。

授業時間の終りが近づき、グループリーダーが、片づけ始めるように合図すると、それぞれ思い思いの場所で身の回りの道具を片づけ、誰が言うでもなく、学校の倉庫から掃除機を取り出してきて、床の片づけが始まります。役割が決まっているわけでも、グループリーダーが指示するわけでもないのに、雑然としていた教室が短時間のうちに片づけられていきました。…

…イエナプラン教育では、意図的に、科目ということをあまり強く意識しないように努めているように思えます。言い換えると、小学校に行く年齢の子どもたちに対して、はじめから、科目という枠をもって教えることをあえて避けているということです。科目を前提とした教育に入る前の段階、というのがより正しいかと思います。
《引用終り》

現在の日本でも、中高一貫校の適性検査は科目を意識しない問題構成になっていますし、高校入試問題もこの問題は数学じゃないの?と思うような問題が社会に出たりしているので、「科目を超えた学習」が始まっているのだと思います。

子どもは、こういう「北極に行ったつもり」みたいな遊びをよくやります。「ここは○○の国です。」とか「これは魔法の杖です」とか、どんどんと架空のものを作り出して、一緒に共有して、その世界で遊ぶのが好きなようです。だから、ワールドオリエンテーションのような授業はむしろ違和感がないかもしれないし、格別面白いことでしょう。

《インデックス》

◆◆◆公文式小林教室◆山形県東根市◆◆◆

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