トトガノート

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Tag:ラマ教

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「空海の風景」(中公文庫)
「あとがき」を読みました。

《以下引用》
私は、雑密の世界がすきであった。雑密というのは、インドの非アリアン民族の土俗的な呪文から出たと思われるが、その異国の呪文を唱えることによって何等かの超自然的な力を得たいと願うこの島々の山林修行者が、ときに痛ましく、ときに可愛らしく思われた。
《引用終わり》

この気持ち、よく分かります。

《以下引用》
私は、…日本思想史上、密教的なものをもっともきらい、純粋に非密教的な場をつくりあげた親鸞の平明さのほうがもっと好きになっていた。好きなあまり、私も自分のなかにある雑密好みを追い出そうとした。しかし、…現実に接触した僧たちとしては真言宗の僧のにおいのほうがどの宗派の僧よりも、人間として変に切実に感じられるように思えて、その人たちともっとも親しくなった。
《引用終わり》

巷には、(浄土)真宗と真言宗を混同する人も多いようです。ただ、密教を知るために親鸞を、あるいは親鸞を知るために密教を、学ぶ必要はあるようですね。

《以下引用》
密教はやがて原産地のインドにおいて左道化した。
左道化してしまえば、密教というのは単に生殖崇拝なのかと思われるほどに他愛のないものである。生殖もまた風や雨と同様、法性という宇宙の普遍的原理の一表情だが、生殖が生命の誕生につながるだけに、そしてその恍惚が宗教的恍惚と近似するだけに、さらには密教が大肯定する人間の生命とその欲望にじかにつながるものであるだけに、密教的形而上学を説明するのに、もっとも手近な現象である。…
空海の密教は、これら左道的な未昇華のものをその超人的な精神と論理とをもって懸命に昇華しきったところに大光彩があると思われるのだが、しかし大光彩を理解するためには、逆に左道から入りこんで逆順にさかのぼってゆくことも一つの方法であるかとおもわれ、私はそのようにした。
《引用終わり》

司馬氏は大阪外語大学蒙古語科卒業です。

《以下引用》
左道密教がチベットに入り、土地の土俗密教と習合してラマ教になり、さらに北アジアの草原を東漸してモンゴルに入った。私は学生のころ、ラマ教の概要を教わった。さらに長尾雅人氏などの著作によってその形而上性に触れた。のちに、モンゴル人民共和国のウランバートルのラマ寺院に入って僧侶たちに会い、その教義が、空海の真言密教とまったく他人ではないことを知った。これはほんの一例だが、ラマ僧にとって絶対的に崇敬せねばならぬものは、その直接師である。師とは、宇宙の普遍的原理の体現者である以上、師そのものが、真言密教の用語でいえば大日如来であり、師からそれを承ける弟子としては、大日如来への拝跪の方法は他にない。その師を拝むことなのである。このことは、空海が大師信仰のなかで神格化されたことと同心円のなかにあり、顕教の最澄が神格化されなかったことの理由をも明快にしている。
《引用終わり》

神格化というのか、仏格化というのか…。

《つづく》

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「.密教の世界」の「二.密教の展開」、「.密教の相承」の「一.インド密教の相承」を読みました。

「密教の展開」では、インド,チベット・ネパール,東南アジア,中央アジア,中国,日本のそれぞれの地域での展開が簡単に書いてあります。私の場合は世界まで範囲を広げてしまうとキリがないので日本の密教に限定したいと思っているのですが、そういう人には丁度いいボリュームかもしれません。

学生の頃、世界史でチベットの宗教としてラマ教を習いましたが、チベット仏教のことだったんだ!というとっても初歩的な発見をしました。この「ラマ」は「ダライ・ラマ」のラマと同じで、師匠の意味とのこと。

メラメラと燃え上がる炎に向かって呪文を唱えるような姿をイメージしていたのですが…

「インド密教の相承」より
今日では大乗仏教の典型的な思想を説いていると思われるような経典でも、実際にその経典をアジア各地に流布し、定着させた原因は、高遠な哲学的理念ではなく、経典の受持、読誦に対する民衆の素朴な呪術的な信仰であった。


というところを見ると、当たらずと言えども遠からず、でしょうか。

《つづく》

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