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「犀の角たち」(大蔵出版)
「第二章 進化論」の前半を読みました。

今度は進化論における「科学の人間化」(神の視点が人間の視点に移っていくこと)を見ていきます。

《以下引用》…
本来のラマルク説は、進化に神の意志が反映しているという点ではキュヴィエと同様、神の視点に基づいて成り立つものであったが、こと人間の地位に関しては衝撃的な転換を要求することになった。…ラマルクは「もちろん人間も、進化という視点から見れば動物の一種である。それは猿から進化したのである。」と平然と言ってのけたのである。
…《引用終わり》


ここに「人間の視点」が始まります。ただ、神が個別に生物を創ったとするキリスト教的世界観とは相容れないため、とても衝撃的でした。仏教徒であれば、そんなに驚かなかったことでしょう。

《以下引用》…
ラマルク進化論では、生命を下等なものから高等生物への段階的移行によって捉える。これによってすべての生物は、進化という環によって一体化することになる。この点、ダーウィンもまったく同じである。また、人間も別枠ではなく、他の動物と同じように、この環に入っている。これもダーウィンと同じ。違うのは、進化が起こるそのメカニズムである。ラマルクはそれを、「生命の体制をどこまでも複雑化させようという外部からの不思議な力と、自分をよりよく変えたいという生命側の積極的で切実な要求の合一」だと考えた。…

ではダーウィンはどう考えたのか。鳩のような家畜・家禽類の考察から出発して、彼はついに変異と自然淘汰という二本柱に到達する。

遺伝の本質が何なのか、詳しくは分からないが、とにかく現実の現象として、生物個体は親に似てはいるがある程度の幅の相違をもって生まれてくるということをダーウィンは大前提とした。これは、特別な時期にだけ起こる特別な現象なのではない。変異は、あらゆる生物種においていつでもどこでも同じペースで起こっている、ごく普通の出来事である。しかもそれは、特定の方向性を持っておらず、まったくランダムな現象である。…

こうして、まったく無方向に、ランダムに起こる変異が、自然淘汰という選別を通して、より環境に適応した形に方向づけられていく。このプロセスの積み重ねが、進化の原動力となる。
…《引用終わり》


進化論は確かに衝撃的でしたが、猛烈に拒否されたわけでもありませんでした。やはり、ガリレオの時代とは違います。

《以下引用》…
進化論に納得するキリスト教信者も多かった。『種の起源』が当時としては驚くべき売れ行きだったことからもそういった状況が裏づけられる。…すでに十九世紀後半は、…聖書に書かれているのとは別の、真の歴史があるということは大方の常識となっていたのである。問題は、ダーウィンの進化論を認めても、神の存在の全否定にはならないということである。
…《引用終わり》


全否定にならないということは、進化論だけでは「人間の視点」への完全な移行にはならないということでもあります。

《以下引用》…
では現在の我々ならば否定できるだろうか。ダーウィン時代にはなかった遺伝の原理やDNAに基づく分子生物学は、人間が他の生物となんら変わることのない一生物種にすぎないという事実を強く裏づけている。しかし問題は、身体形質ではなく知能・知性である。…我々は、それが特別なものではないとは、まだ断定できない。この議論に終止符を打つことができるのは脳科学である。…《引用終わり》


以前に取り上げた本でも人間と動物の境目に知能・知性を据えていました脳科学もそういう関心を持って研究が進められているようですし、言葉こそが決定的な違いであるという研究者もいます。

でも、仏教徒としてはあまり線引きは好みません

《つづく》