先日、ビジネス理論とかマーケット理論とか、精力的に勉強されている青年と議論する機会がありました。彼には、より多くのお客様を獲得できそうな分野への進出を薦められました。完全な商売替えでもないので、ある意味尤もな話だったのですが、自分のポリシーに反するからしないのだということで議論は終わりました。

こういった理論、全部が全部ではないだろうけど、やはり当たり前のことながら多数派のニーズを最も大切にするわけです。大儲けするには、最も需要のある分野をまず考える。

基本的には、それでいいと思うのです。商売を始めても喜んでくれる人がほとんどいないのでは店をたたむしかありません。ただ、お客様の嗜好が間違っている場合もあります。

分かりやすい例で言えば、カウンタで何杯も水割りをお代わりしてどう見てもヤバいお客さん。「もう一杯!」と言われたときに、すぐさま出してあげるか、「そろそろやめといた方がいいですよ。」と言って出さないか。

顧客満足だけを追いかければいいのか?と疑問を抱かざるを得ない場面は必ずあるものです。お客様が間違っていると思った時にきちんと諌めることができるかどうか…そこでポリシーとか信念の有無が問題になってくると思います。

どうして、この仕事をしたいのか。その理由がはっきりしていれば、どのようにその仕事をしたいか、どのようにしなければいけないか、という自分の考えが決まってきます。そうできなければ、自分がこの仕事をする意味がない。そうできないのなら、この仕事なんかできなくてもいい。(これを私は四誓偈的精神と呼んでいます)

お金が儲かりさえすればいい、というのもひとつのポリシーかもしれません。でもそれは「その仕事をしたい」ということではなくて、「金になりそうな仕事がたまたまそれだった」ということです。状況が変われば、別の仕事をしたくなります。それは、顧客に振り回されていると言えなくもない状況です。極端にいえば、顧客が1円でも多く金を出してくれるのなら何でもします!という奴隷に似た状況。

少なくともその商売をすると決めて、いろいろ勉強したのであれば、その知識を使って、間違った客は諌め、教育していくという気概も必要なのではないでしょうか。

現在、最も奴隷的な職業が政治家だと思います。どうして政治家になりたいかが希薄な人が多いのではないでしょうか?とにかく政治家をやっていたい。一票でも多く集まるのであれば、何でもします。ポリシー(政策)なんてどうでもいい。四誓偈とは真逆の精神です。

以前は、大方の世論はなかなか動きませんでした。よって「山」に例えられ、土井さんの党が勝った時には「山が動いた」と言われました。だから、政治家もある程度の期間、同じ主張を続けることができました。

でも今は、山というよりも海。世論は波のように常に動いています。これを追いかけていたのでは、ポリシーも節操もあったものではない。ポリシーが無ければリーダーになどなれるわけがない。

ポリシーの無い政治家って…コーヒーを入れないコーヒーみたいですね。