トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:バタフライ効果

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悟りへの道 に参加中!
高校受験のとき、直江兼続ゆかりの亀岡文殊堂にお参りしました。その時、気づきました。自分の合格を祈るということは、別の人の不合格を祈ることにはならないか?だとしたら、これは祈りではなく呪いではないか?そんな願いに神仏は加担するだろうか?

自分やその周囲だけの利益のために祈ることは、時として呪いになることがある…

不合格が必ずしも不幸とは限らない。長い目で見れば、その落胆から這い上がるために頑張って結果的にはかえって良かったということもあり得る。だから、他人の不合格を祈ることになったとしても呪うのとは違う…と、その時は納得することにしました。

でも、ならば自分が合格だけを願うのはなぜか?合格でも不合格でもどちらでもいいのではないのか?

それから、私は具体的な内容の実現を祈ることをしなくなりました。

入試のように定員が決まっているものは、自分の合格は他の誰かの不合格につながります。幸と不幸の交換のようなもの。

でも、定員が決まっていないようなことでも、自分のあるひとつの願いがかなうということは、必ず他の場所に何らかの影響はあるはずです。

それは、直接身の周りにいる人や物に対してだけとは限りません。バタフライ効果を考えれば地球全体が自分の影響下にあると言えますし、EPR効果を考えれば地球の中だけに限定することすらできないようです。

自分のことだけを考えた時、願いは強く、しかも願いの方向性もシャープに決まります。ところが、目の前のごちそうを食べたいと思っている人間が他にもいて、その人たちのことも考えるということになると、何等分にしようとか、この前は譲ったから今回は僕に頂戴とか、願いの強さも方向性も弱くぼやけたものになっていきます。

視野をずっと広げていったときに、つまり誰をも呪うことにならない願いを設定しようとしたとき、その方向性はしだいにぼやけていきます。

そんな中での祈りとはなんでしょうか?「神の思し召しのままに」とか「仏の教えが普く広がりますように」とか、全く方向性のない、Let it be のような内容になるかと思います。それは一見、受動に徹する生き方のようにも見えますが、似て非なるものではないかと思います。

そんなわけで結局何を願うと言うこともなく、毎日お経を唱えています。

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科学 に参加中!
自分のやったことが、地球の裏側にあるような物に影響を与えてしまうかもしれない…というのは何とも不思議なことです。

量子もつれとか、量子テレポーテーションとか、EPRパラドックスとか呼ばれる不思議な現象…量子暗号として実用化されつつありますから、本当の話なんですね。

バタフライ効果は、蝶が羽ばたくような小さなことが「風が吹けば桶屋が儲かる」的な微妙な連鎖を起こし、やがて地球の裏側の気象現象などにまで影響を及ぼすことがあり得るということ。シミュレーションで確認できる…というよりシミュレーションでのみ確認できると言うべきか。

それでもバタフライ効果は、我々もよく承知している現象の連鎖が仰天の結果を生むということでありまして、摩訶不思議な現象は登場しません。それに比べると、量子もつれは随分と摩訶不思議な話です。

やっぱりまだまだ我々の知らないことがあって、自分が直接関わっていないものに対しても、自分の行動が影響を及ぼしているかもしれない…

みんながそう思うようになれば、悪いこともバレなきゃいいだろう!みたいな考え方がなくなるかもしれません。

あるいは…
強い願いがあって、どうしてもかなえたい。でも自分の努力ではどうすることもできないことってありますよね。それでも、かなえたい。もう祈るしかないようなとき。
お祈りすれば…おまじないすれば…良いことをすれば…願いがひょっとしたらかなうかもしれない

こういう迷信めいたことを最近は考えることがなくなっていたんですが、私が子供の頃の道徳心はこんな所に根があったんじゃないかと思うのです。

だから「量子もつれ」みたいな科学現象は、オカルトっぽく神妙に皆が捉えたらいいんじゃないでしょうかね。

《つづく》

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NHK に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#38」(5月27日放送分)を見ました。技術者時代はシミュレーションが仕事でした。今回の放送内容は非常によく理解できたように思います。

私は回路動作のシミュレーションが多かったですが、仕様検討のシミュレーションが楽しかった。回路設計を行う前に、期待される動作を実現できるかどうか、プログラムを組んでシミュレーションするのです。シミュレーションをしなくても確率の計算をして理論値をはじき出して仕様を決めることはできますが、これでは具体的なイメージが湧かないし、微妙に条件を変えた時の影響はわかりません。

物事を理解するにはアプリオリ(先験的:経験しなくても分かる)な場合と、アポステリオリ(後験的:経験して分かる)な場合があります。シミュレーションは、バーチャルな世界に事象を起こさせて、その中でアポステリオリに解明していく手法と言えるでしょう。両者の中間に位置づけられるものかと思います。

コンピュータの性能アップによって、非常に複雑なシミュレーションも比較的短時間でできるようになってきました。初期設定条件を微妙に変えることによって、びっくりするほど違った結果が出ることもあります。バタフライ効果はいい例です。

この世はとても微妙なところで成り立っている!ということを再三、太田さんが言っていました。なかなかいい指摘だと思いました。完全なシミュレータを作ることができたとしても、微妙な紙一重の設定条件を完全に現実と一致させることはできない。

つまり、未来を予言することはできないのです。

《つづく》

古代ギリシャのソフィストたちや中国の諸子百家など、いろいろな知恵が湧き出た時代・場所というのがあるものです。古代インドもそういう時代に恵まれていたようです。

ダルマキールティの指摘は非常に的を射たものです。宇宙の起源という最初のポイントを設けるということは因果関係に縛られないポイントを作ることになる。宇宙はビッグバンで始まるということになっているのですが、ビッグバンが起きる前は何だったの?という疑問がすぐに湧いてきてキリがありません。

因果律というと、カオス理論のバタフライ効果なんかも気になります。ダライ・ラマはどうとらえているのでしょうか。

華厳経の中に、宇宙をお互いに(無数の)網で結びつきあった(無数の)宝石に喩えている一節があるそうです。現代的な比喩としてデヴィッド・ボームはホログラムに喩えています。数式としては畳み込み積分を用いているので、物理学者のみならずエレクトロニクス関係の技術者にも、彼の説明は受け入れやすいものだと思います。

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