トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:ニッポンの教養

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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#77」(6月30日放送分)を見ました。日米関係史&米国憲法史の阿川尚之先生でした。今回は非常に不愉快な30分。2ちゃんねるで「お前はバカだ」と書かれたということですが、私もそう思い…

阿川さんは「やっていい戦争とやっていけない戦争がある」という考えのようでした。太田さんが「やっていい戦争なんて一つも無い!」と言い切ったのは立派です。これまで起きた戦争は、起こした人たちにとっては全て「やっていい戦争」だったはず。「正義」の怪しさが分からないとは、何とも青いお方。

私も小さい頃はアメリカという国に憧れ、最高の理想国家だと思っていました。でも、今は全く逆です。私の誕生日はアメリカの独立記念日です。昔は嬉しかったけど、今は全然です。まあ、日付けが一致しているだけで、何の関係もありませんが。

番組の中で、イラクの大量破壊兵器の問題が出てきました。阿川さんは、「フランスもイギリスも有ると思っていたから…」あれで良かったんだみたいなことをおっしゃった。これはどう考えても受け入れられないです。「他の人もそうだから、いいでしょう?」というのは日本人の専売特許だったはず。

あれが正当化できるなら、真珠湾攻撃も正当化できると思うけど…

北朝鮮に核を持つな!と言っていますが、核保有国にして唯一原爆を使用したことのある国が、何の言い訳もせずに当たり前のようにそんなことを言えるところに、強烈な不信感を感じます。

軍事力を恃みにしているところ、核を恃みにしているところは、同じ種類の国です。イラクのように濡れ衣を着せられて、日本も叩かれる日が来ないとも限らない…

ジャイアンのようなアメリカ、スネ夫のようなヨーロッパ、そしてのび太のような日本。助けて!ドラえもん!

《つづく》
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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#76」(6月23日放送分)を見ました。実験心理学の一川誠先生でした。今回は無難に終わってつまんなかった。

前回は空間認識にまで思いを馳せました。今回は時間認識ということで、話がつながってると言えばつながってます。

最近は電波時計も珍しくなくなってきて、時計がくるうということすら無くなってきている。時間が絶対的なものだという錯覚を犯しやすくなっているような気がします。

歳とともに時間が経つのが速く感じるのは誰しも気づくことです。「ゾウの時間」とか「ネズミの時間」というのもあるらしい。「子どもの時間」とか「大人の時間」とか、こういう感覚は大切にしたいものです。

私たちの時計はセシウム原子を使った原子時計によって決められています。私たちの社会は「セシウムの時間」で動いているということでしょうか。

セシウムが一番正確だということなんですが、こんなにいろいろ時間があるのに、「正確」だという意味がわかりません。家族で一緒に歩いてるときに、「お父さんのペースに合わせよう!」ということはあるけど、「お父さんのペースが一番正確だ!」という言い方は変ですよね。

時間軸というのは「ひとつの座標軸として最も信頼できる絶対的なもの」と思いがちなのですが、実はこれほど胡散臭いものは無いかもしれません。

うちの妻は、時計を5分くらい進めておかないと気がすまない人です。だから、電波時計は大嫌い。でも、それが人間臭くて、いいかな…

《つづく》
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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#75」(6月16日放送分)を見ました。複雑系科学の池上高志先生でした。今回の先生は爆笑問題のファンということで、なかなか示唆に富んだ内容でした。

醤油に浮かんだラー油、餃子を食べる時必ず見かけます。その動きから「生命」を解明する…

一個の水の分子。一個だけでは水なのか氷なのか湯気なのか分からない。そして、どんどんマクロに見ていくと、我々の体の中で生物の一部になっていたりする。生物かどうかは、スケールで違うのか?

地球は生き物なのか?銀河系は?宇宙は?

DNAというところから始まるお決まりの生物学ではなくて、生き物のような動きをするものから生き物を研究するという手法。生きるとは、「何(what)をしたか?」ではなくて、「いかに(how)生きたか?」ではないだろうか?という私の人生観にも似たアプローチの仕方ですね。

「生きる」とはダイナミクスである。DNAだから生き物と言っていいのか?生き生きしてたら「生き物」でいいんじゃないか?DNAという主語から始めるのではなく、状態(述語)から生き物を見つめる…

アリの例えも面白かった。アリには我々人間という存在は大きくて理解できないんじゃないか?いたずらされてても分からないんじゃないか?だから、我々人間も自分の上にいるとてつもなく大きな存在には全然気づいていないんじゃないか?そして絶対に理解することはできないんじゃないか?僕も以前そんなことを影絵に例えて書いたことがあります。

だから、まだ気づいていないものを解明するときに、DNAなんて既存の概念からスタートしたのでは行きつく先には自ずと限界が生じてしまうんじゃないですか?というのが先生の考えです。例えば、「イヌ」という既存の概念からスタートしたら、「イヌ」以上のものには行きつかないんじゃないか?

「ある程度のものができてしまうと守りに入っちゃいますよね?そこでぶち壊して行かないと更なる展開はないんじゃないですかね?そこんとこ爆笑問題さんはどうなんですか?」というような逆質問がありました。

既存の形式にとらわれないやり方、素敵ですね…

《つづく》
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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#74」(6月9日放送分)を見ました。障害学の福島智先生でした。前回の先生と同じく爆笑問題を見たことも聞いたこともない先生。但し、今回は少し事情が違います。目が見えず、耳が聞こえない、しかし東大教授。

障害を持っている人がずば抜けた才能を示すことがあると先日書きました。読字障害だったと言われる天才たちの他にも、最近話題になったのは盲目のピアニスト辻井伸行さん。番組中ではホーキングやスティービー・ワンダーを例に挙げて、太田さんが問いかけます。「障害って何なんだ?障害って本当に恵まれないことなのか?」

福島先生の回答もわかりやすかった。指点字を考案して、大学に通うまでになり、社会から注目を浴びた時、福島先生の一番の悩みは「アパートが見つからないことだった。」

障害者のことを英語ではハンディキャップという言葉で表しますが、肉体的障害がハンデなのではなくて、社会的バリアが真のハンデなんですね…

障害者なればこそ、「生きる意味」とか「幸せとは?」という疑問は切実に迫ってくるでしょう。でも、「バリアフリー実現の意義」という問題はそれぞれ別個に議論すべきである、と先生はおっしゃっていました。

「不謹慎ではあるけれど」という前置きで、太田さんが言ったこと。「飢えに苦しむ子どもが僅かな食事にありついた時の幸福感の方が、義務のように食事をしている我々よりも大きいだろう。そうなると、どっちが幸せか分からなくなる。」という指摘も私好み。

幸せはともかく「苦悩には意味があると思うことにしている」と先生。そこで話されたのが、フランクルの「絶望の方程式」。フランクルの「夜と霧」は有名ですが、私は読んだことがありません。先日紹介したのは「幸せの方程式」でしたが、今日は「絶望の方程式」です

・絶望=苦悩−意味

「苦悩の中で意味を失うことが絶望」

・絶望+意味=苦悩

「絶望も意味を見つければ苦悩に変わる」

「生きる意味」についても、障害者という立場を離れて一般論として、「生きる意味なんて無いかもしれない。でも、あると思った方がいいんじゃないか。」というようなことをおっしゃったと思います。

私も「そんなところかな…」と思ってます。かなり、私好みの内容でした。

《つづく》
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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#73」(6月2日放送分)を見ました。文化人類学の川田順造先生でした。この対談まで爆笑問題を知らなかったそうですが、未知の文化を研究されてきた先生だけあって、未知の芸人にも心を開いて柔軟に対応されていました。素敵な方

20年ほど前にいろんな本をあさっていたころに構造主義哲学という言葉にぶち当たり、いろいろ調べて結局わかりませんでした。が、そのとき出てきた学者がレヴィ・ストロースとミッシェル・フーコーでした。その名前だけ今でも覚えています。川田先生は、そのレヴィ・ストロースの弟子ということで、まあ「ほう!?」と思っただけですけど(笑)。

音調言語と呼んでいたようですが、音の調子で意味を伝える言語があったとは驚きです。太鼓の音とかに意味がある!ちょっと想像がつきませんが、想像がつかないだけに遅れた文明と片付けるのは失礼な話です。

母音と子音を組み合わせた言葉がその利便性から生き残ったのでしょうが、淘汰されるまではいろいろな言葉があったに違いありません。アクセントとかイントネーションはもちろんのこと、表情とかボディランゲージとかがメインの言語もあったかもしれない。

川田先生はメールは嫌いだとおっしゃっていました。心が伝わらないから…と。でも、今やメールは音も添えることができるし、絵や写真を添えることもできるし、絵文字やアニメーションも文字の一種として使えます。絶滅してしまった言葉たちが再び蘇ってくる素地ができてきたとも言えると思うのですが…。

《つづく》
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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#71」(5月19日放送分)を見ました。進化生物学の長谷川眞理子先生でした。私好みのテーマを追っている方なので、もう既に何か著書を読んでいるとばかり思っていたのですが、全然読んでませんでした。この番組には是非出てきて欲しい先生の一人でした。

殺人を人間社会で必ず起こる現象と捉え、マクロに分析していく。その中で見つかった傾向として、20代前半の男性が殺人を犯しやすいということ。殺人者の数を年代別に並べたグラフでは、20代前半に急峻なピークがありました。女性には特に目立った傾向は見られない。

動機は、「man's pride」ってなってたかな…自尊心を傷つけられて、カッとなって、若気の至りで…というパターンが圧倒的に多いんですね。そしてその陰にはおおかた女がいる。哺乳類のオスはY染色体によって変異させられているけれど、ベースはメス。所詮、女の周りを回ってるしかないのかもしれません。

その男性による殺人も、日本の場合、戦時中は極端に減りましたが、戦後に一時的に戦前と同程度の件数に戻ってから、一定の割合で減少していきます。終身雇用制による安心感が殺人を減らしたのではないかと長谷川先生は分析しています。

その安心感が崩壊した今、殺人はこれから増えるだろうというのが先生の予測。

私は、殺人がなぜ悪いかという答えがわからないと以前書きましたが(もちろん良いことだとは思ってないですよ!)、太田さんも同じことを言ってました。この人とは、かなり重なるところがあります。

長谷川先生の「一生懸命」の話は良かった。

死と隣り合わせの毎日をおくる野生動物が、生きるために一生懸命になっている姿を理解できない大学生は少なくないそうです。「生き物は一生懸命生きないと生きていられないのよ。あなたが一生懸命やらなくても生きていられるのは、あなたの分も一生懸命やって支えてくれる人がいるからなのよ。」と言ってあげるとのこと。

何となく生きて、何となく殺してしまう人間が増える…そんなことは何としても避けたいものです。

《つづく》
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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#70」(4月28日放送分)を見ました。デザイン思想の原研哉先生でした。今回はなかなか良かったな。

デザインとは最初、複雑な形態から始まるそうです。自分たちを他者にアピールしたいという欲求から始まるから、「こんな複雑な物を作れるんだぜ!」という主張が入ってきてしまう。

この段階を超えると、シンプルなものが志向されるようになってくる。日本史上の好例が室町時代の東山文化。中国(当時は明だったかな?)にアピールしようとして建てられた義満の金閣寺と、それに飽きた義政の銀閣寺は好対照ですね。

シンプルとエンプティの話も面白かった。ドイツ製の包丁は手の形に合うようなグリップだけどシンプル。一方、日本の包丁は手の形に合うような部分は全くないエンプティ。でも、前者は握り方が一通りだけになってしまうけど、後者は言わば無限通りの握り方が有り得る。…何も無いけれど、そこに全てが存在している。

太田さんのボケとツッコミの理論も面白かった。田中さんがエンプティで如何様にも変わることができる。ボケにどんなふうにツッコミを入れるかで、ボケをどこまでも引き立てることができる。ここに漫才というスタイルの醍醐味がある。

ミヤコ蝶々さんは一人でしたが、「間」を大切にしたそうです。昔の映像が少しだけ流れましたが、ゆっくり丁寧に喋っていて、そっと言葉を切って「間」を作る。ニッコリして客に考えさせることによって、沈黙が大爆笑に変わる。正に名人芸だと思いました。これに比べたら、今のお笑いは素人の宴会芸。プロの技とはとても言えませんね。

何も無いようで、そこに無限の何かが存在している。

人間、世間、空間、時間…

「間」は何も含んでいないはずなのに、大切な物が抜けていることを日本人はなぜか「間が抜けている」と言う。

《つづく》
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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#69」(4月21日放送分)を見ました。触媒化学の原亨和先生でした。全然関係ないんですが、細谷亮太先生を太らせた感じ。

「永久エネルギー誕生!」というタイトルなので、どんな研究なのだろうと興味津々でした。が、石油代替エネルギーの話でした。これって詐欺に近いな…

雑草や木屑からバイオエタノールが出来たら画期的だし、すぐに実用化できそうですね。それはすごいことです。

でも雑草や木屑が無くなったら無くなってしまうわけで、こういうの永久エネルギーとは言いませんね…

《つづく》
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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#67」(4月7日放送分)を見ました。歴史人口学の鬼頭宏先生でした。和やかな雰囲気は良かったけど、もう少しスパイスが欲しかったな。

戦時中は人手が要るから産めよ増やせよ。今度は人口爆発になるから子供は二人までにしろ。最近になって、少子化だから子供を増やせ!人口に対する国の方針は転換の連続なんですね。

地球環境を考えれば人口は減った方がいい。少子化を問題視するのは、高齢化社会では国が成り立たないという人間だけの都合。

人間は増えた方がいいんでしょうか?減った方がいいんでしょうか?

ともかく、子供を増やそう!という時期に子供を持てた我が家は幸せということでしょうね…

《つづく》
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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#66」(3月31日放送分)を見ました。素粒子物理学の益川敏英先生でした。この方は世界の大舞台で英語教育の必要性を否定したきらいがあって、ちょっとどうかなという印象だったのですが、今回の放送を見て少し好きになりました。

対称性の破れについては以前も書きましたが、「全部の素粒子を足すと光を発して無に帰す」という宇宙観は空の概念に似ているようで興味をそそります。

「タイムマシンはできますか?」という問いに「できません!」と即答。相対論というと光速が時空を自在に越えるイメージがありますが、私もタイムマシン否定派なので安心しました。

益川先生の相対論の話よりも、太田さんの主観と客観の話の方が私には難しかった。でも、理系から文系に心が移りつつある今の私には、太田さんの話の方が面白かった。

数式が表わしていることを目の前の現実のようにイメージできる能力が、物理学を勉強する人には不可欠だと思います。数式は客観ですが、イメージは主観。

一方、心霊現象など非科学的とされていることにすっかりのめり込んで、幽霊をイメージできる人がいたとすると、やはりそれは主観。

もちろん益川先生はそのふたつの主観は全く違うと一蹴しましたが、私は最近、これは区別できないんじゃないか?という方に傾いています。イメージすることはすごいことなんじゃないかと

太田さんの影響かな…

《つづく》
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