トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:ダライ・ラマ

スピルバーグ,ダライ・ラマ十四世,毒入りギョーザ事件を担当している日本側の捜査当局…まだあったかもしれないが…こういった方々と中国という国、どっちを信じますか?

もちろん個々に問題は別だし、白黒はっきりしていないorできないことです。ひとくくりで扱ってはいけないかもしれない。でも、私のレベルではどれも直接自分で調査するなんてことはできないし、マスコミなりネットなり伝え聞いた大まかな情報で判断するしかない。

そうなってくると、中国が悪いなんて断じることはできないのですが、「火のない所に煙は立たない」という言葉を参考にせざるを得なくなる。それにいまどき三権分立でない国ってどうなんだろう?

暗雲立ち込めていることは間違いないし、大気汚染はひどいそうですし、韓国に輸出したえびせんの中にはネズミの屍骸の一部が入ってたそうですよね。参加選手の健康その他の被害の可能性は低くはない。オリンピックの参加資格は得たけれど、「行きたくねぇ〜な」という選手もいるんじゃないでしょうか。

「君子危うきに近寄らず」…古代中国の言葉ですね。
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恥ずかしながら十無記という言葉を初めて知りました。お釈迦様が答えなかった問題(わからなかったのか、敢えて答えなかったのか)です。ウェブ上から拾ってきました。

(1)世有常(この世は永遠か)
(2)世無有常(この世は永遠でないか)
(3)世有底(この世は有限か)
(4)世無底(この世は無限か)
(5)命即是身(魂と身体は同じか)
(6)命異身異(魂と身体は別物か)
(7)如来終(如来は死後存在しないか)
(8)如来不終(如来は死後存在するか)
(9)如来終不終(如来は死後存在し、かつ存在しないのか)
(10)如来亦非終非不終(如来は死後存在せず、かつしないでもないか)

という内容らしいです。

私が宗教に求めるものは、人々が平和の中でストレスなく生きていく考え方を示すこと、です。宇宙の起源などという問題は、わからなければ「わからない」でいいと思います。「この教えを信じれば何もわからないことはありません!」というような人が、私がこれまで会った新興宗教に夢中になっている人に多いのですが、こういう宗教は無条件で×ですね。

宗教に求められるのは、答えの得られない問題に当てずっぽうの答えを用意して無理に信じさせることではなくて、答えが得られなくてもストレスにならない心(考え方)を養うことだと思います。

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相対論が時空間に対する我々の常識を覆し、量子力学が存在の独立性や因果関係に対する我々の常識を覆しました。その内容は仏教の「空」に確かに酷似しています。仏教の方では2世紀ごろにインドの哲学者龍樹によって体系化されたとのこと。その著作もいずれ読まなければいけないでしょう。

EPRパラドックスのような思考実験をしてしまうと、どんな存在も全てのものと関係があり「全く単独に存在するような固有の本性を持った現象はあり得ない」ということが当たり前に思えてきます。この現象を利用したものが量子暗号だと思います。実験室レベルではかなりのところまで行っているはずなので、仏教の「縁起」の考え方が実証されつつあると言ってもいいのかもしれません。

進化論→社会進化論→帝国主義という流れを考えると、科学の哲学や社会思想に対する影響力は大きいものです。量子力学が「空」と結びついて、新たな仏教的思想が起こっておかしくないと思うのですが。

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「仏陀が自分の言葉を鵜呑みにする弟子を戒めた。つまり、仏陀の教えさえも道理に基づいて考察し、各自実践し、検証すべきだ!と仏陀自身が説いた。」という逸話は知らなかったので、なるほどと思いました。仏教にふところの広さを感じるのですが、仏陀のそういう精神が反映しているのでしょう。そしてそれはダライ・ラマが指摘しているように科学にも共通しています。

デヴィッド・ボームの「全体性と内蔵秩序」は十数年前に買って一度読みました。難解で、わかったようなわからないような印象でした。ただ、量子力学と仏教の共通点に驚いたことは覚えています。でも、ダライ・ラマと交友関係があったということですから、その影響が大きかったということなのかもしれませんね…。

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科学に興味を持ち始めたダライ・ラマに、あるアメリカ人女性がした忠告は私も面白いと思いました。「科学が宗教を殺す」ということ。神は死んだそうですが、殺したのは科学なのかな…と私も思っています。

ただ、だからと言って科学に近づくのを恐れてはいけないと思います。科学をこれ以上野放し状態にしておくことは全人類にとっても危機です。「科学は人類をも殺す」だろうから。ダライ・ラマの勇気をたたえたいです。

私見ですが、科学とは客観性(あるいは再現性)のある事象から帰納的に真理を探究していくもの。宗教とは、人を幸せにする真理を示すもの(あるいは探究すべきもの)。そして真理とは絶対普遍のものなどあり得なくて、時代とともにあるいは人とともに相対的にあるものです。昔と現代で違うし、科学者と宗教者でも違う。だからこそ、歴史を振り返り、いろいろな分野の人と影響を及ぼしあいながら、永遠に追及し続けなければいけない。

さてさて、先が楽しみです。

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ダライ・ラマ科学への旅―原子の中の宇宙
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