トトガノート

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Tag:ストレス社会

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福田政権下でねじれ国会が大騒ぎされていたころ、ある論説を読んでなるほどと思いました。衆参両院が違った意見を持ってこそ両院の存在意義があるのだし、ねじれが無かったら独裁政治の危険性が出てくるわけだから、「ねじれ国会」は民主主義としては望ましい形なのではないか?という意見。

自民党内でのねじれ、政官のねじれをむしろ演出し、逆手にとって積極的に活用していった小泉さんに比べると、雲泥の差だと思います。民主党の偽メール事件があった時に永田さんがストレスを理由に国会に出てこなくなったのですが、この時に小泉さんは「この程度のストレスは、私なんか毎日ですよ」というようなことを言ったと思います。思わずテレビに向かって拍手したのを覚えています。

そもそも世の中というのは、国会に限らず、ねじれが有って当たり前なんじゃないでしょうか?むしろそれが健全な形なんじゃないかと最近思うようになりました。家庭でも同じこと、親と子の世代間のねじれ、嫁姑のねじれ、夫と妻のねじれ…その対立の中でより良い選択を模索していく。

美輪明宏さんの有名な結婚観を思い出しました。「結婚=幸せ」なんていう大嘘を周りが吹き込むから、みんな結婚して失敗したと思うのだ!昔は「結婚=不幸せ」と教えて泣きながら嫁に出したから良かったのだ!

世の中全体が、今、そうなんじゃないでしょうか?スイッチを押せば電気がつくのが当たり前という感覚で家族や仕事先の人にも接するから、ちょっとでも思い通りにいかないとストレスになる。遠足の日は天気になるのが当たり前だと思っていれば、天気にさえもストレスを感じるようになる。

いろんな意見、違った意見の並存状態・アンビバレントな状態を当たり前とする感覚を、仏教徒だった昔の日本人は持っていたのではないかと思います。そこを出発点として、どうやってうまくやっていくかが思案のしどころ。そこに人生の醍醐味がある(んじゃないだろうか)。

ところが、今の人はその出発点で諦めたり、キレたりするのが当たり前だと思っているような気がする。「ご破算で願いましては…」という、まさにこれから始めましょうという段階で本当に「ご破算」にしてしまう人が多い。

若者に限りません。安倍さんも福田さんもそうでしたから。

《つづく》

例えば昔ほど足腰を鍛えなくても遠くに旅行することができるようになりました。自分で何百キロも走らなくてもよくなったから。しかしながら、ある程度は鍛えないと基本的な健康の維持すらおぼつかないことが最近わかってきました。運動不足がひどくなったということですが、これと同じ鍛錬不足が精神面でも言えるのではないでしょうか?

科学という第三者的手法でもたらされた技術革新は、一人称の部分を(よく言えば)解放しました。少なくとも文明国では、どんな一人称でも快適に暮らせる環境がかなりの程度できあがったと言えるかもしれません。でも逆に言うと、一人称を磨く必要性を感じさせない環境が整ったとも言えます。

磨かれない一人称の退廃ぶりは目覚ましく、第三者的手法(科学技術)の進歩ではカバーしきれなくなってきたのが現状だと思います。ストレス社会とか、うつ病の増加とか、満たされない人々の増加がその表れです。

第三者的手法の進歩が無かった時代から開発されてきた、一人称を磨くノウハウが仏教の中にあります。この章では、それが大まかに紹介されているという感じですね。

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チベット問題に関して、日本のお坊さんも勇気ある声明を発表されました。東日本ではご覧になっていない方が多いと思いますので、是非ご覧ください。福田総理とは大違いです。

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