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「犀の角たち」(大蔵出版)
「第三章 数学」の後半を読みました。

最も衝撃的だと思われるゲーデルの「不完全性定理」についてまとめてあるので、メモっておきます。

《以下引用》…
「その数学体系が無矛盾な場合、つまり完全である場合には、その体系を使って正しいということが証明できないような真理が必ず存在する」

「無矛盾な数学体系においては、その体系が無矛盾であることを証明することはできない」
…《引用終わり》


これを後に別な形で証明したのがチューリング、という関係です。ところが、ゲーデルの登場以前に、このことに薄々感づいていた人がいる。それがポアンカレです。ポアンカレの科学観は、科学の人間化という現象の本質をつくものです。著者同様、私も引かれたので、まとめておきます。

一言でいえば、「近代科学の歴史は、科学的真理が人間の視点から見たひとつの見解にすぎないということを実証してきた歴史である」というもの。

まず、原初の単なる外界認識の段階があります。実生活の中で体を動かして、身の回りの物を見たり触ったりして認識し、空間的位置関係なども認識するようになる。この空間概念を連想で拡張し、最終的には「全宇宙空間」をイメージして、それを外から眺めている自己を想像することができるようになります。これが第一段階。

我々が手にするのは固体が圧倒的に多いから、「空間内を、自己の形状を変えずに移動する物体」という概念が生まれ、それがもととなって力学や幾何学のもととなる。気体や液体の方が多ければ、生まれる概念も違っていたはず。二本足で歩行し、ふたつの目で物を見、5本の指で物をつかむ…そういう人間固有の事情から、独自の世界像が構築されていく。科学的思考方法を生み出す前の段階です。

いつしか、人は論理思考と呼ぶべき特殊な思考法を身につけた。これは、物質世界からの情報ではなく、我々の思考そのもの。神の視点を否定していく原動力と成っていく。ポアンカレは、その本質が数学的帰納法であると喝破した。

リンゴが一個、リンゴが二個…と目の前にあるだけ数えて喜んでいた段階から、一個ずつ増やしていけば数には際限がないはずだ!と考える段階に進む。

「k=1の時にこの規則は成り立つ。一方、k=nの時にこの規則が成り立つなら、必ずk=n+1についても成り立つ。ゆえに、この規則はすべての整数について成り立つ」。子供が聞いたら「なぜ?」と首をひねるだろう。説明すれば納得する。納得するが感得できない。これは我々の原初的世界観に属する思考ではなく、論理思考の結果、否応なく納得させられる事柄、「不思議だが本当な」ことなのである。

帰納法的な思考によって、基本的な規則さえつかんでおけば、あとはそれを現実の対象に際限なく適用することで、全世界の現象をひとつ残さず説明できるように見える。こうして、世界を単純な規則、単純な構造へと集約していこうという傾向が生まれてくる。これこそ科学一般の基本的スタンスである。

ポアンカレによれば、数学およびその他の自然科学とは、人間存在を超えた普遍的真理を探究する学問ではなく、あくまで人間が独自の規約を用いて作り上げる特殊な構造体系を構築する学問だということになる。

* * *

「神の視点」とは、全知全能の神の存在を信じ、神になったつもりで世界を見つめること。「人間の視点」とは、神はいるか分からないし、まして神になりかわるなど無意味な仮定であることに気づき、人間として世界を見つめること。

それが人間固有のものであることを忘れてはならない。人間にしか通用しないということを忘れてはならない。

《つづく》