トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:ギャンブル

ブログネタ
憂国 に参加中!
いろいろ悪口を書いてきましたが、どうあがいてもこの社会保障制度が完全撤廃ということはありえないでしょう。としたら、ブツブツ不満ばかり言わないで(私が一番言ってる?)、この制度を素晴らしい制度として感謝の気持ちで見つめ直すことはできないでしょうか?

この制度を保険にするかギャンブルにするかは、相互扶助の気持ちの有無だと思います。それは「お互いに助ける」という精神なのであって、「お互いに助けてもらう」精神ではないはず。後者になってしまうと、どんどん経費がかさんで破綻するしかありません。

80歳になる女性のお客様ですが、しっかりした気骨をもった方がいらっしゃいます。戦前の名家に生まれた方で、お嬢様教育を受けた方です。現在は旦那さんを亡くされて一人で暮らしているのですが、民生委員が「これは公的補助が出ますよ」と教えても一切申請はせず、自分で負担しています。

もちろんそれだけ豊かだということもあるでしょうが、自分が大丈夫なうちはなるべくひとさまのお世話にはならないという信念をお持ちです。これが相互扶助であり、エリート意識というか人としてのプライドなのだと思います。

考えてみれば国という制度自体が保険のようなものです。税金(という保険料)を支払って、困ったとき(必要なとき)に公的サービスが受けられる。「税金払ってるんだから使わないと損だ!」と言ってタクシー代わりに救急車(これは国の管轄ではないでしょうけど)を呼ぶようなことを皆が始めたら、いくら増税しても足りなくなります。

そもそも国というのも相互扶助が目的なのかもしれません。それは「なるべく人を助けて、つらいときだけ自分も助けてもらう」ということ。これがなくなって、国に頼ることばかり考えていたら、国自体ギャンブルになってしまう。

時代劇によく出てくる、女房の稼ぎばかり当てにして博打三昧のダメ亭主。これと似ているような気がしてならないのです。

《最初から読む》
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

ブログネタ
政治全般 に参加中!
社会保障費が増えていく。こんなに払ってるのに俺には何のメリットも無いぞ!という意見が増えれば、受給者の裾野を広げざるを得なくなるかもしれない。宝くじでさえ当選者を増やす傾向があります。そうなると、ますます社会保障費は膨らみます。

この諸悪の根源は、私たちの「国に頼る気持ち」だと思います。ギャンブルなんだからメリットが無いのが当たり前、メリットがある人はごくわずかなのです。保険なんだから、メリットが無いということは病気や介護という問題が起きていないということ!天に感謝しなければいけない。

国からの補助というのは大きいです。例えば農業。補助をすると一時的には良くなるかもしれない。でも、人間というのは弱いもので、補助をもらうとそればかり期待するようになる。畑に挑む気持ちが削がれる。政治の風向きばかり気にするようになる。日本の農業を弱めてしまったのは補助金なのだと私は思う。

景気が悪いと、国に何とかしてください!そして公共事業が始まる。道路が造られる。建設業というのは半ば公務員のようなものでした。かなりの雇用が創出されたことでしょう。この街づくりをするはずの人たちも、街に向かわないで、政治の風向きばかり気にするようになる。建築物の質は当然下がる。今では、道路は要らないと言われるほどに道路が増えてしまった。

私が住んでいるところは〇〇クリニックがどんどんオープンしていますが、全国的には医師は不足しているらしい。医者をこれから更に増やす方針らしい。また、介護保険をバックにした介護の仕事もかなり雇用創出に寄与していることでしょう。「食いっぱぐれがない」ということで、これらの業種を目指した人も多いのではないかと思います。そんな中で、社会保障費の削減が議論されている。倒産が相次いだ建設業のような憂き目を、こうした業界も見ることにはならないのか…ちょっと心配です。

道路は目に見えます。無駄かどうか疑問に思ったら、見に行けばいい。どのくらい車が走っているかも見ることができます。ところが、医療や介護は密室に近いところで行われます。いつどこで誰がどのくらいのサービスを受けたか、道路ほどオープンではありません。道路なら「もう要らない」と言いやすいのです。でも、医療や介護は「これで十分」とは(道路に比べて)言いにくい。強引にカットしようとすると、後期高齢者医療制度のように「人殺し」とか「人でなし」という批判を受けるのは必至。

だから、どんどんと出費は増えていくと思うのです。借金してまで通い続けるギャンブラーと同じように。

《つづく》
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

ブログネタ
憂国 に参加中!
介護保険制度が導入されて最初のうちは、ベッドや電動座椅子が安く借りられると喜んでいる方をよく見かけたのですが、その後の見直しでベッドや座椅子を取り上げられた人がかなりいたようです。「こんな制度で助かる人も少しは居るだろうけれど、かえって困る人の方が多いんじゃないかね」という不満をよく聞きました。

こういうことを言う人は再認識しなければいけません。。介護保険も保険ですから、ギャンブルなのです。「パチンコしても、儲かる人より損する人の方が多いんじゃないか?」とか「馬券を買っても、儲かる人より損する人の方が多いんじゃないか?」というようなものです。

この制度で一番助かったのは、年老いた親の面倒を絶対に見たくなかった人、どうやって言い逃れしようか?、誰に代わりにさせようか?と悩んでいた人たちです。「保険料は払ってます。国が面倒みてくれるんでしょう?私は保険料を払うために仕事をしなくちゃいけない。忙しいからそんな暇ないよ。」と言って逃げられるようになった。

少なくとも私が子供のころは、親の面倒を見ない息子・娘は親不孝呼ばわりされました。でも、健康保険・年金保険・介護保険の3点セットが揃った現在は「病気になっても医療機関がみてくれるでしょ。」「年寄りも結構年金持ってるから自分でなんとかできるでしょ。」「認知症になっても介護施設があるんでしょ。」と逃げられるようになった。

この社会保障制度の良くないところは、強制加入だから皆を面倒みてくれるように誤解しやすいことです。さらに、不必要な人件費と無駄遣いと着服と業績の悪い運用等のために、現在お年寄りに支給されているお金は今の若い世代が支払ったお金がそのまま使われているらしいということ。「俺は国を経由する形で、実質的には親に仕送りしてるんだぜ」と言える現状だということ。

これって、国策として家庭崩壊を推進していることにはなりませんかね〜。親と子の間に国(などの行政)が割り込んできて、家庭を解体しているように思えてなりません。

《つづく》
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

ブログネタ
憂国 に参加中!
年金は年金保険制度とも言います。つまり、保険。保険ということはギャンブルです。

20歳から支払いを義務付けられていて、積み立てられたお金とその運用益を元に、支給開始年齢以降お金を貰い続けることができる制度です。

積み立てられたお金と運用益の方が、年金として支払われる金額よりも多ければ、契約者(受給者側)の負け(損)になります。そして、そうならなければこの制度は破綻します。

制度開始当初の計画が、破綻しないものだったのかどうかは知りません。ただ、目論見違いが起きたことも事実でしょう。不必要に高い人件費で、不必要に多くの人を採用してしまったことも間違いのひとつでしょう。そして、この人たちが予想以上に無駄な使い方をしたり、予想以上に下手な運用をしたり、予想以上に着服したり、ということもあったでしょう。さらには、人が死ななくなったということも大きな誤算だったと思います。

これには健康保険が大きく寄与しています。採算の取れない保険制度が、もうひとつの採算の取れない保険制度を、更に悪くしている(これはもちろん人道的には良いことなんですよ)。

支給額を減額したり、支給開始年齢を繰り上げたり、という詐欺行為が行えるのは公的機関の特権です。民間の保険会社ならば真っ先に人件費を削ったり、無駄遣いをなくす(経費削減)努力をします。契約内容を勝手に変えるなんてのは一人前の大人のやることではありません。というか、普通は犯罪です。

これが当たり前という感覚。こんな制度に金をつぎ込むことは正にギャンブル。穴のないパチンコ台や走れない馬のようなもの。ギャンブルよりもずっとギャンブルだよね。

《つづく》
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

ブログネタ
憂国 に参加中!
保険はギャンブルから派生したものであることは間違いないようです。こんな話があります。
三人の男がポーカーをしながら話し合った。「おれたちの中で誰が最後まで生き残るか賭けようぜ。」三人がお金を出し合って積み立てておき、最後まで生き残った男がそのお金をいただくということにした。
これが、生命保険のはじまりらしい(これも何十年か前に読んだものなので、細かいところは正しくないかもしれません)。

そこで、生命保険をギャンブルとして見てみましょう。最近は医療保険などと一緒になって生きていても保険が下りることがありますが、話がややこしくなるので、単純にある年齢にならないうちに死んだときだけ多額のお金が貰えるというもので考えましょう。

この場合、保険会社は「契約者がその年齢までは生きる」という方に賭けたことになります。契約者は「自分がその年齢までに死んでしまう」という方に賭けたわけです。

自動車保険はどうでしょう。保険会社は「契約者は事故を起こさない」という方に、契約者は「自分が事故を起こす」という方に賭けたことになります。

いずれの場合も、負ける契約者が多く、勝つ契約者はわずかでなければ成り立ちません。パチンコとか競馬でもこれは同じですね。

さて、ここからが実は本題なのですが、健康保険はどうでしょうか?保険組合は「契約者は病気にならない」という方に、契約者は「自分が病気になる」という方に賭けています。この賭け事、勝負になると思いますか?

「一度も医者にかかったことがない」という人も結構いらっしゃるのですが、風邪を含めた病気に一切罹らない人っているんでしょうか?これは賭けてもいいけど、いないはず。

「病気になっても医者に掛からない」ということなのでしょう。でも、最近はテレビなどで盛んに重大な病気の兆候を教えているので、「自分もこの病気じゃないか?」という心当たりは誰しもあるはずです。「心配だから、(違うとは思うけど)診てもらいましょう。」と思うはずだし、私もお客様から相談を受けた場合には医師の診断を受けることをお薦めしています。

「どうせ保険が効くんだし、保険料取られているんだから、使わなかったら損だ」と、考えるのが当たり前。現役世代ならば医者に行く時間が無い!という抑制因子があるからまだいいのですが、お年寄りは病気になることも多いし、治るのにも時間がかかるし、医者にかかる時間もあります。医者の待合室がサロン化するのは当たり前だし、賭け事が成立する可能性など全くありえない。

「強制的に払わされているんだから、払っただけ使うのが当たり前」と考えるのは普通ですね。でも繰り返しますが、多くの契約者が負ける(損をする)ようでなければ、保険という制度も、ギャンブルという遊びも成り立たないのです。

自動車保険を参考に、健康保険が成立するための改善点を考えてみます。例えば、自動車保険はどんな事故にでも使えるわけではありません。免責事項などもあります。健康保険も適用されない病気(あるいは適用される病気)というのを決めて、適用されない病気だと診断された場合には下りない(全額負担)にする。

また自動車保険の場合、保険を使わないと翌年安くなります。健康保険も、最初は所得で金額を決めるにしても、医者にかからなければ金額を安くしていくというやり方はあると思います。

もちろん、そんなことをしたら医者に行く人が減って医療の質がドータラコータラという批判はあるでしょう。でも、これはあくまでも採算が合うかどうかという話なのです。人道的道義的に立派である事業・制度であるということと、採算がとれるということは全く別問題です。

高齢者医療制度をどうするかに関わらず、現行の健康保険制度は、病気の妻の医者代を稼ぐためと称して、絶対に儲からない賭け事に夢中になっているダメ亭主(時代劇に出てきそうですね)と同じような気がします。国家規模で行っているので、なおさら始末が悪い。

「医療に全く無関心なサラリーマンだった十数年前の私でさえ破綻を予想していた」という意味、わかっていただけたでしょうか?

《つづき》
年金とギャンブル
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

↑このページのトップヘ